意識の封印
という思いでいた。
今から思えば、押し付けであり、この性格は傲慢と言ってもいいだろう。傲慢と思うようになったのは、二度目に直子を見かけた時、つまり郵便局のあのアルバイトの時だった。
だから話しかけることが結局できなかったのだろうし、いまさら話しかけても、何をどう話していいのか分かるはずもなく、直子という人間の性格を殺してしまうような気がした。
――僕が人に対して、いくら性格とはいえ、殺すなどという発想をするなんて――
急に自分が恐ろしくなった。
本当は、そんなに人に対して気を遣う方でもないので、性格を殺すということくらいは何でもないと思っていたはずなのに、どうしたことだろう。
もしそんな風に思ったとすれば、小学生の頃だったと思う。小学生の頃は、自分に自信がなく、まわりが皆自分とりも優れていると思っていた。
いや、この思いは今も持っている。さらに中学になってから、思春期の間に、少しずつ成長していく自分に何かの自信を感じた。それが何なのか具体的に言葉にするのは無理だったが、それがあったからこそ、思春期を乗り越えられたと思っている。
思春期というのは、成長期で誰にでもあるものだが、それを乗り越えるには、それなりに困難を要するものだと思っている。確かに見に就くものが多いのは確かだが、竜馬には思春期に失うもおのたくさんあるように思うのだった。
「それまであまり意識したことのないことであるが、物覚えが悪い竜馬だったからこそ、その感覚が残っているような気がした」
竜馬が今、りえとかおりを見ていて、直子の成長を考えていた。
「直子は成長したわけではなく、元に戻っていったのではないだろうか?」
と感じた。
直子の思い出が頭の中から消えないのは、りえたちを見たからだと思ったが、元々あったものをさらに引き出すだけの効果、さらに今になって思い返すことで生まれてきたコウモリの発想。
りえのこともかおりのこともそばから見ているだけでよかった。関わってしまうとロクなことがないと思うのは、相手に対して感じることではなく、あくまでも自分の中にある確執であった。
その確執はもちろんのこと、直子に感じているものであって、高校時代のあの時、声を掛けることができなかったことがすべてではないかと思っている。
きっとその時、自分が吸血鬼であることを自覚したくなかったというのが大きな理由ではないだろうか。
――ひょっとすると、りえやかおりという女の子は元々存在していなかったのかも知れない。直子を思い出すことで自分が作り出した妄想ではないか?
などという果てしない妄想が浮かんでくるのだが、直子が自分の頭の中にある間は、それを妄想として片づけられない気がした。
ドラキュラが血を吸うことで相手が吸血鬼になるという発想は、決して伝染という言葉で片づけられるものではない。
「どうして血を吸うだけで相手と同じ吸血鬼になるんだろう? 相手に何か伝染するための何かを注入しないといけないのではないか?」
とかつて竜馬は考えたことがあった。
そうなのだ。ドラキュラという発想の疑問点はそこにあった。血を吸うだけで確かにどうして相手も吸血鬼になるというのか、この疑問が、
「この話が妄想なのだ」
ということを思わせる効果を持っている。
もちろん、すべてが妄想だとは言えないが、逆に妄想が一つの大スペクタクルを作るということもあるだろう。
ドラキュラの話を発表した作家にしてもそうだ。彼がこの発想に至った時の瞬間を味わってみたいと思った。相当大きな衝撃に見舞われたのではないかと思う。そう思うと竜馬は、
「自分も今似たような衝撃を抱いているのかも知れない」
と感じた。
構想としてはまだまだ部分的でしかないが、この発想は今後の自分の考えを大きく変えるものになると思えた。
いや、変えるのではなく、今まで抱いていたものだが、意識の中で封印を解かれたような気がした。
「封印というのは、記憶だけではなく、意識にも存在するものだ」
そう思うと自分の中にあった
「物忘れの激しさ」
あるいは、
「物覚えの悪さ」
は、決して悪いものだというわけではない気がした。
頭の中に夕凪の光景が戻ってきたのは、ただの偶然ではないような気がした。
この発想は、小説を書いてきた今までの自分の中で、目からウロコを落としたように思えた。
今、こうやって書いている話が、徐々に形づけられていき、一つの小説が生まれる。それが恋愛小説なのか、SF小説なのか、それともホラーなのか自分でも分からない。ひょっとすると、そのどれにも属していて、ジャンル分けという発想を超越したものなのかも知れない。
竜馬は、
「やっぱり伝染だったのではないか」
と思うことで、ラストを締めくくるつもりであった……・
( 完 )
94