意識の封印
それもそのはず。竜馬は一対一で相手を観察していた。相手がどんな人かというよりも、まずは自分のタイプかどうかを探っていたからだ。
それはそれで間違いではないのだろうが。それ以前の基本が間違っていた。そもそも、竜馬には自分のタイプがどんな女性なのか、ハッキリしていなかったからだった。
全体的なイメージはあり。パーツのところどころに自分の好みとして焼き付いている部分はあったのだが、それを一つにまとめると、全体的なイメージの女性とはかなり食い違っているのだった。
つまりは、いくつかの数を足していって、全体の数字に合っていないのだ。それでは相手のある自分の女性のタイプなど、決まるわけもなかった。
――何となく分かっていたような気がする――
好きな女性に竜馬は矛盾があった。全体像とパーツパーツのイメージが違うことが一種の矛盾であるが、それ以外にも大きな矛盾を孕んでいた。
元々竜馬は、
「その人の顔立ちや雰囲気から相手の性格を判断し、自分に合う性格かどうかを判断する」
というのが、人を好きになる時のパターンであった。
どちらかというと自分が好きになるよりも、好かれたから好きになりたいと思っていることも、一種の矛盾だったのかも知れない。
数え上げれば無限に矛盾が広がっているのかも知れない。一つの矛盾が新たな矛盾を呼び、平行線のように交わることなくまっすぐに進んでいると、その先にあるのは無限である。
矛盾というものは、ピッタリ合わせれば会うはずのものが、同じものでも噛み合わない場合に使う言葉ではないだろうか。
「そんな強い盾に対しても負けることのない矛と、どんな矛の攻撃にも耐えうると言われる盾があったとすれば、決して勝負がつくことのないものの戦いになる」
つまりは、矛盾と言う言葉には、無限という言葉が表裏となって重なっているものなのだ。
竜馬は自分の考えを、
「絶えず矛盾に満ちているものなのかも知れない」
と思うことが多かった。
そのくせ、矛盾を否定している自分がいて、
「まわりの人は自分よりも優れている」
という劣等的な気持ちを抱きながら、さらに、
「自分は他人と同じでは嫌だ」
という意識の元、まわりに対して優越を絶えず考えている。
これこそが矛盾と言えるのではなだろうか。表に出ているのは、人と同じでは嫌だという優越感であるが、その裏に隠れていて、決して表には出さないが、出さずとも自覚するに十分な気持ちとして、まわりに対する劣等感があるのだ。
この劣等感が普段の自分の行動を抑制している。今度のように恋愛に対して積極的になることなどなかった自分が急に恋愛に対して積極的になったというのも、無意識の中に意識があったからなのではないだろうか。
他人と同じでは嫌だという意識はあくまでも優越感だけだと思っていたが、劣等感も持っていなければ、暴走に繋がってしまう。暴走を食い止めるために、それぞれ盾と矛があるのだとすれば、永遠に続くスパイラルは、竜馬の中で必要不可欠なものだと言えるだろう。
それは竜馬だけに言えることではなく、人間誰にでも言えることだ。誰がどれだけ意識できているかというのも重要だろうが、少なくとも自分のことくらいは自分で分かっていないといけない。
やっと三十歳代後半になってから、今までの自分を顧みることができるのではないかと思っていたが、それはきっと諦めの人生を感じるようになったからなのかも知れない。
物忘れが激しいというのが小学生の頃からあったことだが、物忘れは次第に解消していった。それはよかったのだが、三十歳の途中くらいから、物忘れが激しいというよりも、
「物覚えが悪くなった」
という意識に駆られるようになった。
「どこが違うんだ?」
と言われるかも知れないが、元々の忘れるということと、覚えるということが正反対であることから、まったく違うものだと言ってもいいだろう。
つまりは、
「物忘れが激しいということは、百のことを覚えていて、それがどんどん忘れていくことで、五十になり、三十になりと、どんどん減ってくるもので、減算法と言えるだろう。逆に物覚えが悪いというのは、最初はゼロで。普通の人であれば、すぐに百に達するのに、自分は五十にも満たないというくらいになっているという加算法の考え方である」
と言えるのではないか。
しかも物忘れの場合でも物覚えの場合でも、時間的に他の人と同じところで完結すると考えられ、他の人が百になったり、ある程度の時間に達した時に、物覚えや物忘れという意識はなくなり、記憶として格納されるのだ。つまりは、
「過去と言うことになる」
と言えるのではないだろうか。
竜馬は昔から物を捨てることができないタイプでもあった。いわゆる断捨離が苦手なのだ。
――捨ててしまって、後になって重要なものだったということで後悔したくない――
という思いが強く、重要なものでも、将来必ず必要になるものすら捨ててしまえば、後悔だけでは済まなくなる。
それが、竜馬には嫌だったのだ。結局整理整頓ができないということに繋がるのだが、そのことと物忘れの激しさ、物覚えの悪さに大きな影響を与えているのは間違いのないことだろう。
そんな竜馬が自分を顧みるようになったことと、人生を諦め境地になったのは、
――諦めてしまうと気が楽だ――
ということが一番だった。
「まだ若いのに、何を言っているんだ」
と言われるかも知れない。
だが、竜馬はこの歳になるまで、結局は自分の性格がまったく変わっていないと思っている。結構いろいろ考えて行動をするのだが、最後の一線をどうしても超えることができず、一歩手前で立ち止まり、キョロキョロとしてしまう。我に返ると言ってもいいだろう。我に返ってしまうと、自分がそれまでその件に関して感じていたことに対し、ハッとした気分になり、急に前と後ろが分からなくなる。
せっかく前を見て歩いてきたつもりのその場所は、実際には前を向いて歩いてきながら、見えているだけで、見ていなかったのだろう。我に返ってしまうと、自分がいるその場所がどこなのか分からず、次第に疑心暗鬼になってしまう。
――このまま進んでいっていいんだろうか?
という思いだったり、
――どっちが前だったんだろう?
ということすら信じられなくなっている。
そうなると、一歩も動けなくなってしまい、気が付けば真下を見ると、小さな吊り橋の上にいて、橋の付け根から下は、断崖絶壁になっている。吹いてくる風に煽られて、進に進めず戻るに戻れずと、完全にその場所に取り残されてしまうのだ。
それは夢で見たことだが、最近よく似たような夢を見ることがあった。
――似たようなというよりも、同じ夢だったのではないか?
と、夢の七でデジャブを感じたような気がするくらいであった。
だが、この夢は今に始まったことではなく、過去にも見ていたような記憶がある。それがいつ頃だったのかハッキリと覚えていないが、あの時は、この夢についてそこまで意識したという思いはない。ただ、記憶として残っているだけで、今同じ夢を見ることでその記憶がよみがえってきたのだろう。