短編集82(過去作品)
どうして額田が付き合う女性は、皆主導権を握りたがるのだろうか。最初こそ虚勢を張っているように見える女性たちでも、一旦抱いてしまえば普通であれば男の存在感の大きさに気付いて、主導権を渡すものだと思っていただけに、少しストレスとなって残っているかも知れない。
だが、気が楽なのは事実で、状況に流されることを厭わない自分がいるのも自覚している。
そんな男がいてもいいではないか。女性も自分も満足できるのなら、それも一つの愛情表現であり、男女関係のれっきとした形ではないだろうか。そう考えるのは妥協しているだけなのかと悩んだりもしたが、そのうちに、そう感じることが麻痺してしまったようである。
デートの場所は喫茶店から始まって、ショッピングというのがいつものパターンである。ショッピング自体はあまり好きではない。あまりファッションに興味のない額田が、女性のショッピングに付き合わされるのは苦痛以外の何ものでもないが、女性はそのことを分かっているのだろうか? 分かっていて付き合わされているようにも思う。
だが、喫茶店でのデートが一番楽しい時間だ。元々喫茶店でゆっくりすることが好きだった額田は、隣に女性がいるというだけで、そこにできる甘い空気を十分に堪能できるからだ。甘いケーキの香りに、香ばしいコーヒーの香りが芳醇に広がった店内の雰囲気は、昼下がりが一番好きだ。もちろん他の時間も好きなのだが、昼下がりが一番気持ち的にリッチな時間を与えてくれる。それが喫茶店を利用する一番の意義でもある。
額田には一つの夢があった。大学時代から絵を描いていて、コンクールがあれば出品していた。いいところまで行くこともあるが、状況は一進一退、時々自分の実力を憂いて悩んでしまうことがあった。
「あなたは、自分に目標を持っているから素晴らしいわ」
利美がそう声を掛けてくれる時が一番嬉しい。女性らしさが一番見えていて、臆病になり掛かっている額田を優しく包んでくれているようだ。
絵を描き始めた頃は、それだけで充実感があり、すべてがうまくいくように思えてならなかった。まったく不安がなかったとは言えないが、充実感があるだけで悪い方へと向かう根拠がどこにも見つからない。悪いことがあっても、すぐに好転すると信じて疑わなかった。
利美にも学生の頃に絵心があったらしい。学生の頃に描いたといって持ってきた絵を見せてもらったことがあったが、何かを考えさせられるような絵だった。
一輪の花が中心に描かれていて、実に狭い世界を繊細に描いていた。だが、狭い世界を繊細に描くことが、表へ出ようとするエネルギーが溢れているように思えてくる。細部に渡って細かく描かれているが、細部から次第にまわりを見る目を広げていって、絵全体を見ると、実にバランスよく描かれていることに見事さを感じた。
彼女も細部を気にしながら全体を見て描いたと言っていた通り、今まで自分になかったところを思い知らされた気がして目からウロコが落ちた心境だった。
最初から全体のバランスを考えて描いたのとどこが違うのだろう?
しばらく経って分かったのだが、立体感が違うのだ。確かにどちらも影を意識していて立体感を表しているが、細部から全体を見渡した絵の方が影のつけ方が微妙に濃いのだ。それが分かった時に、きっと糠田自身、一皮剥けた気がしていたに違いない。
芸術とは、一人よがりになりがちなところがあるが、たまに人との交流で、我を見つめなおすことで開眼させられることも多いということを思い知らされた。一人よがりでもいいのだが、それだけでは成長するための壁にぶち当たるのに分からない時がある。その時は一旦まわりに目を向けることで、自分を顧みることが必要なのだろう。
どうして利美が絵を諦めるようになったのか、なかなか聞けないでいたが、どうやらそこには男性が絡んでいるようである。最初言い渋っていた利美だが、一旦口を開くと、後は雪崩のごとく喋り始めた。
前に付き合っていた男というのはまったく絵に興味のない人で、利美が絵の話をするのも嫌だったようだ。うちに篭る性格が嫌だったらしいが、利美の本能なのか、母性本能をくすぐるような男性に弱かった。いつも自虐的なことを言っては、利美の気持ちを揺さぶっていたようだ。
それでも、付き合っている間、絵画をやめることはできずに密かに続けていたのだが、ある日男にそれを知られてしまった。
「絵をしないって約束だったじゃないか」
血相変えて怒りを露にする男に対して、利美は最初から怯んでいた。元々うちに篭る人間が爆発すると堰を切ったように捲くし立てることは額田には理解できるが、その時の利美には理解できなかっただろう。
「どうしてそこまで芸術を憎むのか分からなかったんだけど、どうやら彼も芸術に夢破れた人の一人だったのよ。でもあまりにも見切りが早すぎて中途半端なところでの見切りになったことが、自分を許せなくなり、まわりの人が芸術をするのも許せなくなったのね。だから私も、芸術に見切りをつけたってわけなの」
そんな事情があったにもかかわらず、また芸術にかかわっている額田と付き合うようになった。
「結局、私って芸術から離れられないのよね。でもそれでもいいと思っているわ。きっとまた私も絵を描きたいって思うことがあるはずだから……」
といいながら俯き加減ではにかんでいる利美の姿がいじらしい。
「もちろんさ、僕と一緒にいればきっとまた絵を描きたいと思うに違いないよ」
「ありがとう。そうなってくれれば嬉しいけどね」
「なるさ、絶対に」
主導権を握る時の利美とはまた違った表情である。しかし芯はしっかりしている女性だということが分かっているので、きっとまた絵を描くようになるだろう。身体を重ねた時よりも、この時の方がよほど女性らしいと感じた。繊細な絵を描くことのできる彼女である。そこに女性らしさがなくてできるものではない。
だが、そんな利美との別れもそれほど遠い将来でもなかった。次第に彼女を見ていてイライラしてくる自分に気付くのだった。愛情に関しては絵画の話をした時がピークで、なかなか絵を描き始めようとしない彼女に苛立ちが募っていったのかも知れない。
相変わらず休みの日になれば絵を描きにいく額田だったが、毎日の生活が規則的でないと頭の中を整理できないのか、情緒不安定に陥るのが分かるのだ。
仕事とのけじめを中々つけきることのできないでいる自分にも苛立ちを覚える。人に当たってはいけないと思いながら相手に当たってしまうのは、今まで自分が被害妄想だったからだろうか。
女性を真剣に好きになれない理由の一つに気付いたような気がする。好きになっては苛立ちを覚えていては、相手も真剣に見てはくれない。その理由が分からないと、自分もまた苛立ちが強くなる。結局自分に非があるのではないか。今までこんな簡単なことに気付かなかったのかと、情けなくなってくる。
人の意見を受け入れようとしないところは、父親に似たのかも知れない。父親も頑固一徹の人間で、そんな父が嫌いだったはずだ。だが気付かぬうちに自分も父のように頑なな性格になってしまったようで、今では父の気持ちが少しは分かる。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次