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短編集82(過去作品)

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 いつも同じ景色を見ているようで、まったく意識になかった光景は開けることがある。他人の夢の中に入り込んだと考えても不思議ではないだろう。睡魔が襲ってくる時はいつも突然で、いきなり指先に痺れを感じるような睡魔もあったりするくらいで、そんな時に限って潜在意識が見せる夢ではないと感じる。
「でも、私、気がつくと目頭は熱くなってくることもあるし、瞼のまわりがガビガニになる感覚もあるんです。明らかに泣いた後の感じですよね。とっても不思議な感覚なんですよ」
 彼女は夢に対してどんな感情を持っているのだろう。少し興味を持ってしまった。学生時代というのが、一番想像力が豊かな時期だ。考え方に余裕もあるし、それなりに心の遊びの部分があるからに違いない。完成されていないというのも将来への可能性を無数に秘めているということで、それが甘えを超えた融通に繋がるのだろう。
 野崎は今さらながらに、自分が融通の利かない性格であることが分かっている。少しでも自分のリズムが狂うと、まわりが見えなくなるのは、どんなに経験しても消えないことだった。むしろ年を重ねるごとにひどくなっていくようである。
――余計なことを考えすぎるのだろうか――
 最近特にそう感じるようになった。
 物忘れの激しさも今に始まったことではない。物忘れが激しいから夢を見るのかも知れないし、見た夢を忘れてしまうのだろう。自分のリズムがどんなものか、漠然としか分からない。ハッキリと分かる人などいないだろうが、分かってしまえば却って意識しすぎるかも知れない。
 物事を意識しすぎる性格は考えすぎることから由来している。考え事をしている間に起こす無意識な行動は、そのままくせになっていて、それも一つではないようだ。あごを撫でてみたり、首筋を触ってみたりと、その時々で違うようだ。最近分かってきたのだが、それも考え事の度合いで違うようで、表情を見ていれば深い浅いが分かるのだという。
「お前は実に分かりやすい性格だからな」
 と友達に言われると、
「そうなのか? 自分では分からない」
「自分で分かっていれば苦労はしないさ」
 なるほどと感じ、
――もっともだ――
 と心の中で答えていた。
「君はこちらが一生懸命に話し始めると、時々眠くなるみたいだね」
 ふいの言葉にビックリしたこともあった。眠くなる時は自覚症状があって、人から指摘されないと分からないなど今までになかったことだ。
「そのまま眠ってしまうのかい?」
「ああ、やっぱり君には意識がないんだね?」
「言われて初めて気づいたよ」
 人の話を一生懸命に聞いていると、相手の目をじっと見てしまう。それが怖いといわれたこともあったが、相手の目を見て話を聞かないと、本心までは分からない。
 急に相手の顔が眩しくなることがある。顔の表面が真っ白くなり、窪んだところに影が浮かぶ。じっと目を見つめているとそれだけで目の焦点が合わなくなってくるようで、遠近感がハッキリしない。
 眩しさを感じるのはその時で、きっと目を細めてみていることから、眠そうに見えるのかも知れない。
「時々、そのまま眠ってしまうような時もあるみたいだね。わざわざ起こすようなことはしないが」
 やはり意識がなくなってしまうことがあるようだ。
「でも、どうしてそのままにしてくれているんだい?」
「あまりにも気持ちよさそうだし、何よりも君はすぐに意識が戻るみたいだからね。本人はまったく意識がないんだろう?」
「意識したことはないな。眠そうな表情までピンと来るが、本当に眠ってしまっていたとは思いもしなかったよ」
 自分の中での時間は繋がっているのだ。眠っている時間があるとしても、その間に自分の時間は存在しない。どこかに飛んでいってしまったのだろうか?
「物事を考えすぎると眠くなる人もいるらしい。君はその典型なのかも知れないな」
 そんな話を聞いたことがある。どこかの偉い心理学者の先生がテレビで受けていたインタビューだったように思う。いつのことだったのか、無意識に聞いていたが頭の奥に封印されていたのだろう。すぐに思い出した。
 夢の中でもう一人自分がいるが、現実の世界で抜け殻になった自分が、夢を表から見ているとすれば辻褄が合うような気がしてくる。その間に現実の世界で刻まれる時を夢を表から見ている自分は意識していない。
 急に眠たくなることも人の話を一生懸命に聞いている時だけではないだろう。聞いているつもりで忘れてしまったのではなく、夢の世界に行ってしまっているので最初から聞いていないと考えれば、物忘れの激しさへの説明もつく。しかし、あくまでも自分の中での仮説というだけで、これがこのまま他人への説得力に繋がるなど毛頭ありえることではない。
 考え始めると入り込んでしまう袋小路。どこまでが現実でどこからが夢なのだろう。
 ひょっとして夢の世界にも自分と同じ考えを持った自分がいて、時々現実の自分を表から見ているのかも知れない。
――現実逃避――
 時々頭が回らなくなり、どの方向を見ていいものか分からなく鳴るときががあるが、そんな時に考えるのが現実逃避である。袋小路が現実逃避に入り込んでしまうことがないとも限らないが、表から見ているもう一人の自分に気づいているのかも知れないと感じる。
 睡魔が襲ってくるということを意識し始めたのは、朝と夕方の違いを意識するようになったからに違いない。爽やかだと思っていたが、本当に爽やかなのは精神的に余裕がある時だけである。精神的に余裕のない時の朝というのは、皆苛立っていて、
――どうしてそんなに怒っているんだ――
 と会社の上司に何度感じたことだろう。
 朝の喧騒とした雰囲気を感じたのは社会人になってから、前の日の疲れが残ったまま朝の仕事に就くのだから、当然イライラが募って当たり前なのだ。
 上司に対しての苛立ちは、自分への苛立ちに変わるのは、自分に自信がないからなのだろうか? 時々考えるのは、
――自分がまわりを見えていないのではないか――
 ということである。
 四次元の世界を思った時、まったく同じ場所にいても、違う世界が広がっていて、そこから向こうの住人がこちらを見ているのだと、思ったものだ。夢の世界の表から覗いている自分もしかりであり、三次元にない観念を四次元は見事に証明している。あくまでも概念の世界、信じる者は柔軟な頭の持ち主だと思って疑わなかった。
 いつものように遮断機の近くを歩いていた。
――おかしいな、電車に乗ったはずなのに、どうしてまたここに戻ってきたんだろう?
 夢を見ていると自分で感じた。遮断機の篭ったような音を聞きながら、心地よい揺れを感じているのだ。心地よい揺れが睡魔を誘い、陥った睡魔が見せるのが、遮断機の近くを歩いている自分である。
――朝なのに、ここではいつも凪を感じる――
 夢だと考えればそれも不思議ではない。風を感じたり色を感じたりすることのないのが夢だと思っていたがそうではないのかも知れない。感じていて、それを目が覚めるにしたがって忘れていく。表から見ていることを忘れてしまっていて、主人公を演じている自分と混同してしまうとすれば、忘れる理屈も分かるというものである。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次