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短編集82(過去作品)

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――きっといつも何かを考えているからだろう――
 時々思うのは、あまりいろいろ考える頭を休めるために、わざと頭痛を起こさせているのではないかということである。まさかそんなことはないと思いながらも、また余計なことを考えていると思わず頭を掻いてしまっていた。
――被害妄想もそこから来るのかも知れない――
 あまりにもいろいろなことを考えているとまわりに対する融通が利かないように思えてくる。被害妄想になるのもしかりで、自分が今どの位置にいるのかを無意識に考えてしまい、まわりを見ることですべてから見張られているように思ってしまうからだ。被害妄想は自分の中にある袋小路が招く産物なのかも知れない。
 袋小路に入り込むからいつも考えているのか、いつも考えているから袋小路に迷いこむのか分からないが、常に一つの答えだけを追い求めているのは自覚している。算数や数学のように一つの答えを求めることは、自分の中にある矛盾に対する挑戦でもある。自分の中に矛盾が存在していることを自覚しているからこそ、却って一つの答えを追い求めてしまうのだ。
――袋小路――
 まさしくやりがいを求めるための壁のようなものではないだろうか。
 手の感覚が麻痺しているのは、頭痛がしている時で頭痛が収まると、手に汗を掻いている。触るものすべてに冷たさを感じ、心地よかったりもする。
 次第に汗が引いてくると、今度は睡魔が襲ってきて、指先が痺れてくるのだ。まるで風邪薬を飲んだ時に襲ってくる睡魔のようである。
 風邪薬を飲むと、顔がむくんだような気分になる。身体の奥から暖かいものが溢れてくるように思えるが、なぜか暖かいものが食べたくもなる。風邪を引いていて食欲がないくせに、お腹がムズムズしてきて食欲旺盛ではないのかと思える時間があるのだ。そんな時は薬の効き始めで、暖かいものを欲しがる理屈も分かるというものだ。
 顔がむくんでくると、熱がさらに上がってくるように思う。だが、ある程度まで熱を上げるのも手ではないだろうか。熱が出るというのは、身体の中に侵入した菌と身体の細胞が戦っているからだと聞いたことがある。まさしくそのせいで、薬が効いてきた時に身体が熱くなるのも当たり前というものだ。
 釣りに行った時、頭痛を感じたように思う。朝日をまともに見てしまったからだが、目を逸らそうとしても、その時は逸らすことができなかった。目を瞑ったが、飛び込んできた明かりの眩しさは、それまでに感じた朝日よりも強かったように思う。
――空気が澄んでいるからだろうか?
 目の前にクモの巣が張り巡らされてくる間に考えたことだった。確かにそれまでに感じたことのない明るさで、自分でもびっくりだった。それにしても目を瞑るのを一瞬躊躇したように思えたが、どうしてだったのだろう?
「大丈夫かい?」
 一緒に行った友達に声を掛けられたが、却って声を掛けないでほしいと思ったくらいだ。本当にきつかったり苦しい時は放っておいてほしくなるものだということをその時に初めて気づいた。
 足が攣った時でも同じではないか、痛い足を人に触られたくないために、痛みを堪える。寝ている時にふとした緊張の解れから痛くなることが多いのだが、まわりに誰もいなくとも、声を押し殺してしまうのも、そういう習性があるからだろう。
 人に触れられたくない痛みを感じるなど、そんなにあることではないが、痛みの激しさは半端ではない。後で気がつくとぐっしょり汗を掻いていることだろう。だが、汗を感じたことはない。痛みが引いて落ち着いてくる頃には、掻いていた汗が徐々に引いてきているからだ。体が火照っていて、睡魔が訪れる。それは心地よいいつもの睡魔である。
 手が暖かいといって握ってきた女性がいる。いつもニコニコしているが、
「私泣いたことがないんですよ」
 と真顔で言う。
 どちらかというと涙腺の緩い野崎は、テレビドラマを見ていても涙が出そうなことがある。だが、無意識であることに気づき、他の人といる時まで涙が出てくるのは恥ずかしいと思うことから、感情を表に出さないように心がけるようになっていた。
 他の人から見て冷静に見えるのは、そのあたりがあるからではないだろうか。熱しやすい性格であるが、冷めやすくもある。熱しやすいのを隠していれば、冷めているところしか知らないだろう。
「ああいうやつに限って、実は我を忘れるくらいに燃え上がることがあるんだぜ」
 そんな噂に敏感だった。
――よく分かっているじゃないか――
 と言いたいのだが、口に出来ないのも複雑な気分である。
――二重人格なのだろう――
 夕日と朝日を見ていて感じるのが自分に躁鬱症の気があることだと思っていたが、それも人格が入れ替わっていると考えれば納得もいく。だから、他人もあまり気にならないのかも知れない。
 気まぐれで済ましているのかも知れない。自分のまわりに同じような人がいれば、きっと気まぐれで済ますだろう。ということは、まわりの皆も大小の差こそあれ、躁鬱症だったり、二重人格だったりしているに違いない。
 泣いたことがないというのは、本当だろうか?
 散々泣き明かして、涙も枯れてしまったなどと、まるで演歌のフレーズのようなわけでもないので、想像もつかない。
 それだけに夢の中だということが分かるのだ。
 だが、どうして泣いたことがないと嘯く女性が出てくるのだろう。自分が普段から涙に対して何か特別な感情を持っているからだろうか? そんな自覚はどこにもない。なるべく感情を押し殺そうという意識は他の人より強いと思っている分、そんな夢を見てしまうのだ。
「それからね。私の夢にいつもあなたが出てくるんですよ」
 とも話している。
 自分が彼女は夢の中の人だと感じるのは目が覚めてからである。だから夢の中では完全に自分の夢を見てくれているんだと思っていたが、実際は逆である。
「夢の中でも私はあなたを思っています」
 と女性に言われてみたい気持ちが、そんなセリフを吐かせる女性の出現を許している。
 だが、本当に私が他の人の夢に現れているのかも知れない。意識がないだけで、誰かが私の夢に出ていることは分かっても人の夢に出ることは分からない。それが異次元の世界への入り口ではないかと感じることが多くなってきた。
 そう考えると、泣いたことがないと言っている女性を時々見ているように思う。それはいつも自分が同じ夢を見ているからだけではなく、他の時にも感じることがある。夢を見ている時に自分が主人公であると感じる時だ。
 自分で見ている夢というのは、主人公である自分とは別に客観的に夢を見ているもう一人の自分がいる。それを感じることで、夢を見ていたことを目が覚めてから感じるのだ。しかし、自分があくまで主人公、そんな夢も存在するのだ。そんな時は、目が覚めてからも夢を見ていたように思えるが、内容は覚えていない。ただ、主人公を演じていたと思うだけで、表から冷静に見ている自分がいない分、感情を抑えることができないだろう。
 そういえば自分の見ている夢で一番冷静なのは自分だと思える。いくら客観的に見ていようとも、主人公である自分をコントロールできる。夢というのが、潜在意識が見せるものだという証拠にも思えてくるのだ。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次