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短編集82(過去作品)

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 そんなバカなと思いながらも否定できない自分は夢の中の自分を知っている唯一の証人だ。
 きっと一番汗を掻いているのは、この時ではないだろうか?
 起きてからどんな夢だったかを思い出せないが、小学生の頃の惨めな自分の夢を見ていることは分かっている。どの夢の時に汗を一番掻くのかを覚えていないだけで、忘れているわけではないのだ。
 それも後になって気づいたこと、夢を頻繁に見ている時にはなかなか自覚がない。気づいたことによって汗を掻く量が圧倒的に少なくなった。心の中での呪縛が解き放たれた気分だ。
 夢にしてもちょうどのところで目が覚めるから、余計な労力を使わずに済んでいるのだろう。もっと見ていたい夢がちょうどのところで終わってしまうのは辛いものがあるが、見たくない夢を果てしなく見せられることを思えば気が楽である。
 夢から覚めると耳鳴りを感じる。最初は高山などに登った時に感じる気圧の違いのようなものに思え、思わず唾を飲み込もうとするのだが、耳が通るようになると、今度は耳鳴りに変わっていることに気づくのだ。
 キーンという音が耳の奥に響いて、列車とレールの奏でる規則的な機械音が最初は分からない。次第に耳鳴りが収まってくると、やっとレールの音が聞こえ始め。そこが電車の中であることに気づくのだ。
 いつも見ている夢といっても、いつも同じ感覚だとは限らない。同じように耳鳴りはしてくるのだが、時には激しい頭痛に襲われることもある。それがどんな時なのか今は分からないが、きっとそのうちに分かる時が来ると信じて疑わなかった。
 激しい頭痛に襲われる時というのは、まず目の前がハッキリと見えなくなる。目を瞑ると瞼の裏にクモの巣が張っているかのような放射状に無数の線が見えている。目を開けるとそれが邪魔をして目の焦点が合わなくなる。
 太陽をまともに見た後、眩しくて前が見えなくなるが、そんな状況である。自分の目が目の前に映し出されたものに対して耐えられないのだろうか。
 目を開けたり閉じたりと努力を続けていると、しばらくして視力は回復してくる。しかし、その間に少しずつ頭がだるく感じられるようになるのだ。頭痛への入り口であることは分かっている。
 首筋がだるくなり、頭が重たくなってくる。最初は肩が凝っているのかと思うのだが、そうではない。確かに肩に張りは感じている。頭痛の原因が肩凝りからくることもあることを分かってはいるが、それだけではないのは一目瞭然だ。じっとしていると次第に気分が悪くなり、吐き気を催してくる。そんな時は電車の中でも横になることにしている。
 幸いにも朝の電車は空いていて、横になることを厭わない。誰が文句をいうわけでもないが、かといって誰も心配してくれる人もいない。
 それはそれでいいのだ。変に心配されると却って恐縮してしまい、治るものも治らない気がしてくる。
 だが、その頭痛もすぐに治まる。いつもの睡魔が襲ってくる時間になると、スッキリしてくるのだ。あれだけ苦しかった頭痛と吐き気もどこへやら、気がつけば眠っていたことが何度あったことだろう。
 そんな時の睡魔はありがたいものだ。起きてから苦しかった余韻がまだ残っている気がする。それでも襲ってくる睡魔は一体何なのだろう。
――夢が苦しさを吸い取ってくれるのだろうか?
 夢を見ている時、それまで頭痛がしていたことを自覚していたように思う。だが、それでも決して苦痛な夢ではないのだ。どちらかというと、痛みを緩和してくれる夢を見ていたように思える。
 頭痛で苦しんでいる時の夢を思い出すと、虫の声を聞いていたのをかすかに感じることができる。秋の虫の鳴き声で、スズムシ、こおろぎ、マツムシなどの声である。
 そんな時は川原のようなところに生えている草むらを歩いている。草むらも膝あたりまであるところで、道なき道を歩いている。歩いているというより彷徨っているといった方が正解で、まっすぐに歩いているつもりでも、いつの間にか横にずれているように思えて仕方がない。
 きっと頭痛がまだ影響しているのだろう。平衡感覚が鈍ってきていて、前も後ろも分からない。夢の中の環境もそんな感じで、何とか方向を探ろうと空を見上げるが、どんよりと曇った空に厚い雲が張り巡らされていて、右から左に動いていた。
 風を感じる。耳鳴りは風のせいなのかと思うほどの風で、巻貝を耳に当てた時のような感覚だ。
 遠くを見つめているのが頭痛には一番いいのかも知れない。夢では無意識に遠くを見ようとしているが、それがよかったのか、頭痛は治まってくる。肩の凝りも目の前に張ったクモの巣もすっかり消えてなくなっている。夢とは実に都合のいいもののようだ。
 夢の中でも電車の揺れを感じている。夢から覚める頃にはさっきまで感じていた冷たさはなくなっていて、ポカポカと暖かさを感じる。家で朝目が覚める時にも感じたことのないような心地よい目覚めである。
 眠っていたのはきっとごくわずかなのだろうが、その間に自分の身体に起こった変化はそんな短いものではなかった。
 だが、夢を見ているのは、目が覚める一瞬だというではないか。それだけに神秘的である。目が覚めるにしたがって忘れていくのは、時間よりも濃厚な内容が現実では受け入れられない何かを持っているからではないだろうか。そう考えると夢というのは、現実との狭間の大きさを今さらながらに感じさせられる。
――異次元空間に似ているのかも知れない――
 近いようで遠い、遠いようで近い。この感覚はまさしく異次元ではないだろうか。同じ場所にありながら一瞬でも違う時間に同じ場所にもう一つの世界が広がっている。それが異次元空間である。
 向こうからもこちらが見えていることだろう。自分たちのいる三次元から二次元の世界が見えるように向こうからも見えているはずだ。だが、見えているのは一部、それも表面だけだ。それと同じ理屈が向こうにも言えて、自分たちの存在が分かっているかどうかも疑問である。
 動物と人間、動物同士でも同じかも知れない。言葉が通じないとなかなかコミュニケーションが取れずに、見えているだけで、相手を考えることなどしない。少し恐ろしい気持ちになってくる。まったく知らない世界から見つめられ、感情もなく殺されてしまうかも知れないなどと考えただけでもゾッとしてしまう。考えすぎなのだろうか。
 人間として動物を見ていると、感情が分かる動物は愛玩したくなるのに、感情の分からない動物には何の感覚も湧かない。握りつぶしても悪びれる様子もなく、意識の外のことなのだ。まるで道端に落ちている石である。植物にしてもそうだ。何のリアクションのないものに対し、実に冷徹である。
――人間ほど冷酷な動物はいない――
 と言われるが、それを言っているのも人間である。所詮、自分たち以外は分からないのである。
 人間社会においても同じだ。自分に関係のない人に対して、それほど感情が湧いてこない。あまり関係のない人にまで感情を抱いていては、それこそ大変だ。人間こそ一番狭い世界で生きている動物かも知れない。
 頭痛で苦しい時には、楽しいことがなかなか考えられない。苦しい時に余計なことを考えても余計に苦しくなるだけで、何も考えない方がいい。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次