短編集82(過去作品)
手の平に汗を掻くのを感じるようになってから、目が覚めて汗を掻いていることが多くなった。冬の時期が多いのだが、体温が逃げないように羽毛布団にしているのだが、それだけが原因ではないだろう。
「寝ていて汗を掻くのは内臓が悪いからじゃないの?」
と言われて一度精密検査をしてもらったことがあったが、別に異常はなかった。二人でホッとしたのだが、相変わらずの寝汗には彼女も閉口していた。そのうちに意識をすることもなくなったかと思うと、寝汗を掻かなくなっていた。
「意識しすぎだったんじゃないの?」
確かにそうかも知れない。それもこれも、手の平に汗を掻くのを感じるようになってからだ。手の平に掻く汗は気にならなかったのに、皮肉なものである。
「本当は汗を掻くってことは悪いことじゃないんだけどね」
ストレスや疲れを汗として流してしまうのだから元来悪いものではないはずだ。それが寝ていて掻くとどうしてだめなのだろう?
きっと夢を見るからかも知れない。どんな夢を見ている時に汗を掻くのか分からない。なぜなら目が覚めるにしたがって見た夢の内容を忘れていくからである。怖い夢だったのか、楽しい夢だったのか、それとも気持ち悪い夢だったのか、それすら覚えていない時の方が多い。
夢は潜在意識が見せるものである。自分の心の中にあるものが見せるのだから、忘れていたとしてもそれは元々自分の中にあるもの、ふとした拍子に思い出さないとも限らない。なるべく気持ちの奥に封印しておきたいという無意識な気持ちが夢を見ている時に汗を掻かせるのではないだろうか。
冷や汗とはまた違うもののようだ。時々指先に痺れを感じるような汗の掻き方をすることもあるが、その後には必ず眠気が襲ってくる。極度の緊張感の後に襲ってくる安心感に似たものかも知れない。しかし、それでも起きた時に汗を掻いているのだから、人間の身体というのも分からないものだ。
電車の揺れが一番心地よい眠りを誘う。不規則勤務で、夜から出かけることもあるのだが、出かける前が一番眠くなる。もちろん帰って来る時も眠いのだが、それは夜とは違った眠気なのだ。
朝の電車の睡魔は夜ほどひどくはない。昼の勤務の時は疲れ果てているために夜が眠いのは分かるのだが、夜勤の時に出勤前眠たくなる理屈が分からない。昼間眠っていて夕方起きるのだから、本来ならば目が冴えていてもおかしくないはずだ。
会社に着くと元気が出る。夜勤の時で一番つらいのは出かける前に感じる睡魔だ。確かに夜の仕事はきついが、出勤前の睡魔さえなければかなり違うはずである。
――きっと人間どんな生活リズムをしていようとも、流れる時間にコントロールされる運命にあるんだ――
と考えれば辻褄が合うが、納得行くものではない。
電車の揺れの中で、いつも同じ時間に眠くなるのもそのせいではないだろうか。ラッシュの時間でもないので、いつも同じ場所を走っている時に眠くなる。したがって、必ず車窓から朝の景色を見ることのできないエリアが存在するのだ。
まったく同じ場所であっても、毎日少しずつ違うはずである。季節がめぐっているのだから、東の空が白々となり始める時間帯、必要以上に眩しさを感じるのは野崎だけだろうか。
「野崎さんは釣りが好きですか?」
同僚の釣りクラブの連中に誘われて、釣りに出かけたことがあったが、その時に見た水平線の向こうから昇ってくる朝日を思い出していた。朝日は夕日ほど赤くない。きっと疲れた目には優しくないだろう。夕日の赤は過激な色だが、暗さも若干含んでいる。そのためか、気だるさは感じるが、本当の疲れではない。むしろ朝日を見る時間の方が疲れているくらいだ。
ガラスを通しての朝日を浴びていると、眠っていた目が冴えてくる。その瞬間に初めて目が覚めたように思えるのだが、それまでが夢だったようには思えない。電車の揺れが睡魔を誘うだけで、その間に夢を見ていたという記憶はない。ウトウトしている瞬間、自分は本当にそこにいたのだろうか? 差し込む朝日をまるで夕日のように感じてしまって、だるさが全身に襲い掛かっているように思えるのだ。だが、それは一瞬のことで、朝日だと感じることで、気だるさも消えてしまう。
朝にも凪のような時間を感じるようになったのはいつだっただろうか? 夕方と朝は明らかに違うと思いながらも、納得のいかない気持ちになるのは、凪の時間を感じるからである。
いつも眠くなる場所までくると、夢を見ているようだ。夢の内容は、ほとんど前に付き合っていた女性が出てくるもので、思い出の中にあることなのか、いつも笑っているように思えてならない。夢が潜在意識によって作られるものであるという証拠ではないかと思えるほど、心地よいものだ。
その夢の中で彼女はいつも野崎と手を繋いでいる。したがって出てくるセリフも同じで、
「あなたの手の平って暖かいわ」
である。それだけ手の平が暖かいことを特別な思いで感じているのだろうし、言葉自体が彼女の思い出なのかも知れない。きっと他の人に手の平が暖かいといわれても、今なら何も感じないに違いない。
夢を見ている自分を想像できる時があるとすれば、電車の揺れに任せて寝ている時だけだろう。眠りが深いとは思えない。心地よい揺れが催眠術のようになってゆっくりと夢の世界へと一人の男を誘っている。誘われた男もそれが夢だと意識しながら潜在意識が作り出す夢の世界を満喫しようと考えるのだ。そんな夢の世界が自分にとって嫌な世界であるわけがない。心地よい世界が広がっていて、覚めないほしいといつまでも願っている。
いつも同じ時間に同じ場所で見ることの根拠は分からない。しかし、それだけ同じ心境が同じ時間、同じ場所で繰り返されている証拠なのだろう。幸い電車に乗っている時間は長い。それでも最初は心地よい眠りとは言い難かった。なぜなら、
――ここで眠ってしまったら、目的の駅で起きれないかも知れない――
と感じたからだ。乗り過ごしてしまっては何にもならないからである。行き過ぎて戻ってくるほど精神的な労力を使うことはない。
野崎は必要以上に被害妄想に陥ることがあった。人からアドバイスを受けている時でも、――責められている――
と思い込むところがあった。他のことでも被害妄想を感じることもあるが、この時ほどひどいものではない。
小学生の頃、母親の教育は厳しかった。忘れ物をしたといえば学校まで取りにいかされたり、落し物をしたといえば、
「見つかるまで探してらっしゃい」
と言われる始末。どれだけ惨めな思いをしただろうか。露骨に惨めな表情を浮かべながら出かけていったに違いない。誰もが近寄りがたい表情だったであろう。
過去の思い出で思い出したくないことの一番であるが、どうかすると夢に見たりする。心の奥に封印した思い出はいいことよりも悪いことの方が夢としての出現回数は多いだろう。惨めな思いで忘れ物を取りに行く自分を客観的に見ているのは今の自分である。誰もまわりで見ているわけではないが、いつも誰かに見られているという意識でおびえながら歩いているのが、一目瞭然だ。
――小学生の頃にいつも誰かに見られていると思ったのは、夢を見ている将来の自分だったのかも知れない――
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次