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短編集82(過去作品)

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 音が篭って聞こえる。そしていつものように色が鮮やかに見えてくる時間帯を感じながら踏み切りに向かって歩いていたのだ。その日はいつもに比べて少し風があった。風があったからこそ、夕方という時間をいつもよりもさらに意識しているのだ。
――私は眠たいのだろうか?
 さっきまで凍てつくような冷たさを感じていたはずである。風が吹いてくるのを感じて身体を刺すような痛さを伴った風だったはずだ。それがいつの間にか痛さどころか、冷たさまでも分からなくなっている。感じなくなってしまった理由は分からないが、指先に痺れを感じていることから、眠気がしているように思えてならない。
 歩いている時でも指の感覚がなくなる時が時々ある。そんな時は眠気を感じることで、自分の感情を理解しようとしている。えてしてそんな時の自分は冴えていて、感じていることに間違いがないことを意識しているのだ。
 ゆっくり歩いているせいもあってか、なかなか踏み切りにたどり着かない。まるで足に何かが絡みついたような感覚だが、それは空を飛んでいる夢を見ている時の感覚に似ている。
――人間は空を飛ぶことはできない――
 潜在意識の中で普通誰でも考えていることだろう。野崎にしてもそうなのだが、潜在意識が邪魔をするのか、空を飛ぶなどという不可能だと思っていることは、いくら夢であっても実現することは不可能だ。せめて宙に浮くことができるくらいのものだと思うが、夢の中では、空気という水の中をもがいているのだ。夢を見ることで実現したいと思うことはことごとく潜在意識という壁に阻まれるのだ。
 中々たどり着くことのできない踏み切りを見ていると、本当にそこに存在するのかを信じられなくなってしまいそうだ。せめてモノクロに見えてくるくらいのもので、それだけに神秘的に感じる。警笛の音だけが規則的に刻まれているように感じるが、それも次第に早くなったり遅くなったりと、実際の感覚からかなりずれているように思えてならない。
 まさに水中でもがいている感覚だ。音が篭って聞こえるのもそのせいだろうし、実際に自分の意識の中で、本当に通り過ぎる風を感じているのかが不思議なのだ。
 風の通りを感じなくなる。本当の凪が訪れたのだ。まわりがモノクロに見え、車で走っていると本当に事故を起こしても不思議がない。
 しかし、凪というのは意識していないと感じることができない。話には聞いていたが本当に存在するものかは半信半疑だった。こうやって味わっていても、本当に存在しているものかも疑わしい。夢を見ているように思えてならない。
 夢が潜在意識によって作られたものだと思っているからだろう。そう感じているから、凪というものの存在を無意識に否定しようとして、見えてくるものも見えてこない。それは凪だけに限ったことではなく、一日のうちにいくつもあることなのだろう。
 朝の時間にしてもそうだ。
 通勤時間が早いために街灯だけの貧弱な明かりの中、駅へと向かうのだが、朝日が昇ってくる時間帯が一番眠くなる時間でもある。
 夕方の凪と、朝日が昇ってくる時間、同じような感覚に襲われる。朝の時間についての話を聞いたことはないが、凪の時間帯のように身体に感じるものがあるのを否定できない。
 学生時代に感じた不思議な凪という時間、その道を今、朝反対方向から会社へと向かっている。凪を思い出しながら向かっているのだが、真っ暗なため、どうしてもピンと来ない。それは当たり前のことで、わざわざ気持ち悪いことを思い出そうなどと考えるからである。だが、吹いてくる風の生暖かさ、明らかに学生時代に感じた凪に入る前に感じた風であった。
――このまま立ち止まっていたら凪と同じ気持ち悪さを感じるのだろうか?
 と思ったが、足が立ち止まることを許さない。自分の意思とは裏腹に、踏み切りを急いで渡る足が、逆に自分の身体の一部だという確信を得られるように感じる。
 決して後ろを振り返ることなく前を見て歩いている。街灯が点在しているために、自分の足元から伸びている影が、まるでタコの足のように放射状に伸びている。その影が歩いているためにグルグルと回っているのだ。
 さすがに寒さも手伝って、一気に駅まで来ると、まだほとんど出勤する人がいないのか、コンコースはまばらである。あと三十分もすれば、学生やサラリーマンであふれてくるのは分かっていて、駅の中にある喫茶店もオープンするはずだ。普段あまり見ることのない駅の風景、いつまでこれを見続けなければならないのだろう。
 仕事が一段落すれば、ここまで早く出勤する必要もないはずだ。
――早起きは三文の得――
 と言われるが、本当なんだろうか? 夏の時期には感じない寂しさを感じるのは冷たさから来るもので、耳鳴りのようなものを感じるのも風が当たっただけでも顔が痛く感じられるからだろう。
――心が冷たい人間は手の平が暖かい――
 と聞いたことがあるが本当なのだろうか?
 凍てつく中を歩いている時は感覚が麻痺するほど冷たくなっているのだが、駅に着いてしばらくすると、すぐに手が暖かくなっている。頬や首筋は冷たく、まだ感覚が麻痺したままなのに、どうしたわけか、手の平は暖かくなっている。
 学生時代に付き合っている女性と手を繋いでいても、
「あなたの手っていつも暖かいわね」
 と言われて、
「そうかい? 心が暖かいからさ」
 と嘯いていた。今から考えれば本当に心が暖かいから手の平も暖かいと本気で考えていた自分が恥ずかしい。
 だが、それは誰もが思っていることではないだろうか? 手の平が暖かい時に限って、気持ちは何も考えていなかったり、感覚が麻痺していることの方が多い、その証拠に次第に手の平に汗を掻いてきて、まるで熱っぽい時のようではないかと思うことが何度もあった。
 駅に着くと背中に掻いている汗は感じるが、手の平に汗を掻いているのは感じない。手の平に汗を掻いているのを感じるのは電車に乗ってしばらくしてからだ。その時には決まって睡魔に襲われる。身体全体の感覚が麻痺しかかっているように感じながら、襲ってくる睡魔と闘っている。
 学生の頃から、安心すると睡魔に襲われていた。緊張することがあまりない学生時代など、しょっちゅう睡魔に襲われていたように思う。それでもさらなる安心感を求めていたのは欲張りだったからなのか、付き合う女性には、ずっと安心感を求めてきた。
 身体が欲しがる時は別にして、後はただ安心感を求めるだけで、お互いに暖かな気持ちになれればよかった。身体が求める時であっても、それは相性がよかったのか、お互いに気持ちが盛り上がるのは同じ時であった。
「やっぱりいい出会いだったのね」
 彼女にそう言われると、
「ああ、そうさ、お互いに出会うべくして出会った相手なのさ」
 歯が浮くセリフではあるが、本心からの言葉であったことには違いない。
 手を繋いで歩くことが恥ずかしいと思ったことはない。付き合っていた彼女も同じで、手を繋いで歩くことをむしろ楽しんでいた二人だった。
「汗でベットリよ」
 自分でも分かっている。緊張しているわけではないと思う証拠に、脈を打っているという感覚はない。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次