短編集82(過去作品)
悪夢?
悪夢?
ここに一人の男がいる。
名前を野崎信吾という、普通のサラリーマンだ。
彼はいつものように電車通勤をしていて、ある場所までくると必ず眠くなってしまう。出かける時間が他の人よりも早く、六時過ぎの電車になるので、座って通勤できるのだ。そのために、ウトウトと眠くなるのも無理のないこと、電車の揺れに身を任せてしまうのも、今に始まったことではない。
この通勤を始めた頃から、ずっと嫌でたまらなかった。通勤時間が一時間以上、東京なら別に珍しくもないのだろうが、中途半端な都会に住んでいるため、会社の中では一番遠い部類になる。
最初は車で通勤していたのだが、どうしてもラッシュを避けることが出来ず、イライラが募ってしまう。そのために電車での通勤となった。電車に変えたことで、少しはストレスが解消されるかと思ったがそうでもなかった。電車内では自分にとってのモラルを著しく乱している連中が多く見られたからだ。
大きな声で騒いでいる連中、携帯電話の使用はいけないというアナウンスがあるにもかかわらず、大きな声で話をしている人、マナーモードにせずに、着メロを鳴らし続ける人……。
――一体、車掌は何をしているんだろう――
腹が立つばかりである。
そんな車内ではあるが、眠くなるのはきっと疲れが溜まっているのと、揺れがあまりにも身体にフィットしていて、自然な感じが睡魔を誘うのだ。
電車に乗り込む時間はまだ真っ暗である。駅までの道は寂しく、風が吹いてくると、秋が深まってくると凍てつくような冷たさを感じる時がある。閑静な住宅街を歩いていくのだが、静けさの中で犬の遠吠えなどが聞こえてくるとビックリさせられたりする。
犬の遠吠えを聞いていると、
――まだ夜じゃないのか――
という錯覚に陥ってしまう。家で寝ていてもそれほど熟睡しているわけではないのだろう、さっき同じ道を反対方向から来たように思えるからだ。
同じ道なのだが、どうも違う道に感じられることがある。朝と夜の違いからだろう。同じ暗い道でも、どこかが違う。朝の方が太陽の昇ってくるところが少し白々しているので明るく感じられそうなのだが、実際は暗く感じられる。
寒さのせいもあるかも知れない。夜に比べて底冷えのする朝はどうしても寒い。そのために暗く感じてしまうのだろう。暗さは風の強さも運んでくるのだろうか。冷たさはすべて風の強さからきているように思える。
夜は電車が多いが、朝は始発に近い電車に乗るので、ほとんど通った気配がない。それも寂しさを感じさせるに違いない。電車の音が響くのはそれだけ閑静な住宅街を抜けているという証拠である。
子供の頃から、電車の音というより、踏み切りの警笛の音の方に敏感だった。鳴り始めると身体が反応してしまって、思わず走り出したくなる衝動に駆られてしまう。
――早く渡ってしまわなければ――
と思ってしまうからで、なかなか開かない踏み切りにイライラしていた。それほど慌てる必要などないはずなのに、なぜか慌ててしまうのだ。
あれは小学生の頃だっただろうか、踏み切りを渡った友達を追いかけていたのだが、ちょうどのところで踏み切りが鳴り始めた。
「踏切が鳴ったら中に入ってはいけません」
という当たり前の説教をしていた母親の言葉を思い出す。それがどうしてなのかを理解する前に、
――母親の言うことだから聞かなければならない――
という方が先だった。理屈よりもまず命令、そんな子供だった。母親の権威がそれだけ強く、子供にとって絶対だった。逆らえば惨めな自分が瞼に写る。そんな想像はしたくないのだ。
警笛が聞こえるのは、ちょうど駅に向かっていて、踏み切りの少し前に差し掛かった時だ。普通に歩いていれば踏み切りに引っかかることはない。しかしその日は逆だった。踏み切りを渡り終えて、警笛が鳴った。
――それだけいつもより寒いのかな?
寒いとどうしても早歩きになってしまう。冬の時期になると踏み切りを渡り終えてから警笛がなることもあった。そんな日に限って放射冷却がひどく、早歩きになっていることを自覚できていた。
しかし、その日は寒さを感じてはいたが、早歩きになった記憶がない。実に不思議な感覚である。
そういえば、この踏み切りに朝晩の通勤で引っかかったという記憶がない。普段なら引っかかりそうになれば駆け足で駆け抜けるのだが、目の前で鳴っていても、踏切まで来る頃になると、ちょうど電車が通過していて遮断機が目の前を塞いでいることはない。
遮断機が下りるまでの警笛と降りてからの警笛の音の違いは明らかだ。降りてしまうと音が静かになり、篭ったように聞こえる。警報機の色もまるで信号機のように、昼と夜とでは音が違う。
昼は緑に見えていたのに夜になると真っ青に、そして赤色も夜の方が鮮やかに見えてくる。目の錯覚なのだろうが、光の芸術を見ているようで、不思議な感覚に陥ってしまう。
踏み切りを渡るのが一番好きな時間はいつかと聞かれれば、きっと夕方だと答えるだろう。朝や夜はハッキリ見えている世界が夕方になると砂塵が舞ったようなぼやけた世界見えてくる。
「夕方っていいよな。身体に心地よい疲れがあるんだ」
子供の頃に友達が話していた。確かに学校から帰ってきて、カバンを置いてすぐに遊びに出かける。帰ってくる頃にはおいしそうな香ばしい香りが空きっ腹を刺激する。心地よい身体のだるさは、そんな刺激から生まれるのだ。
夕焼けを見ると、気がつけば背中に汗を掻いている。じっとりと掻いた汗が心地よさを運んでくるのだが、鼻の通りがよくなるのか、食欲が湧いてくるのである。食欲をそそる時期でもある秋は、どうしても夕焼けの色をイメージしてしまうのだ。
オレンジ色をずっと見続けていると、その後には暗闇が待っている。秋になるとすぐに夕日が沈んでしまうような気がするのは、そのためだ。
凪の時間帯というのが夕方には存在する。それまで吹いていた風がまったく吹かなくなり、夜のしじまが訪れるまさにその瞬間である。
魔物が出る時間帯としても恐れられているのだが、一番事故が起こりやすい時間として証明されているように思える。
目の錯覚なのだろうが、その時間帯は見えるものすべてがモノクロに見える時間帯らしい。光が一番光としての効力を発揮しない時間、それが凪の時間であり、魔物が出ると恐れられている時間なのである。
凪の時間なのに、風が吹いているのを感じたことがある。凪の時間と分かったのは、すべてのものがモノクロに見える瞬間を野崎が知っているからで、意識していれば誰でもわかる時間だと思っている。
友達に話した時に、
「本当にそんな時間があるのか? 俺には信じられないけどな」
と言って笑っていたが、実際に最近まで野崎も意識していなかった。本当に意識するようになったのは、夕方に踏み切りを渡ることが多くなってからである。踏み切りの警報機の色を意識していると、モノクロに限りなく近く見えてくる。錯覚だと思っても、それが何度も続けば、意識も出てくるというものだ。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次