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短編集82(過去作品)

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「へえ、あの人エッセイなんて書くんだ。そんな雰囲気じゃないけどね」
「それがね、実に彼らしく、断言する言い方が押し付けっぽくて思わず読んじゃったんだけど、そこには自分の話にストレスを感じる人がいれば作家を辞めてやるとまで書いていたのよ」
「作品の感じ方だって人それぞれ、ストレスを感じる人だっているかも知れないのに、その自信の根拠はどこからくるんだろうね」
 マスターの言うとおりである。作家が個性の固まりなら読者だっていろいろな人がいる。それを断言するなど恐ろしい。そこが坂崎正人の個性なのだろう。
 その日、どんな話をしたかといわれると、それだけを思い出すことができる。表に出る頃にはすでに十時近くになっていて、まだ宵の口だと思っていたのに、時間の経つのを早く感じたのも久しぶりのことだった。
 ストレスが溜まってくると時間が経つのを遅く感じるようになる。しかしそれも刻む単位で変わってくるようで、一日があっという間だった時に限って、一週間が長く感じたりしたものだ。
 だが、ストレスがなくなると逆になるようで、むしろこちらの方がありがたい。それだけ日々を充実して過ごしている証拠なのだろう。
 タイムマシンについて考えたことがある。本人の意識しない間に時間だけが過ぎてしまい。まったく違う時間に飛んでくるのがいわゆるタイムマシンの発想である。移動している自分の意識と、まわりから見ている人とではどこが違うのだろう。いきなり目の前から消えて、違う世界ではいきなり現れる。違うところに飛び出したのであればまだ理屈も分かるが、まったく同じ場所に飛び出すのだ。しかも本人は時間を感じていない。実に不思議な感覚ではないか。一人だけが時間を飛び越える発想、ありえそうで信じられない発想、まさしくあらゆるパラドックスが潜んでいそうである。
「ストレスって、まるでタイムマシンのようだ」
 どこかのドラマでのセリフを思い出した。
「目の前にあるようで、気がつけば違う世界の自分を見ている気がするんだ。以前から自分の中に潜んでいたように思えるが、実はいきなりどこかの世界から飛んできたものじゃないのか?」
 という話だったように思う。普通の青春ドラマの一コマだったのだが、普通に見ていればあまり考えることもなく聞き流していることだろう。それだけ内容が難しいのだ。そして難しいだけではなく、話自体が重たい。青春ドラマの一コマに似合いそうもないセリフなので、覚えている人も珍しいだろう。
 根本自信、この話を忘れていた。思い出したのは、坂崎正人がエッセイでストレスについて書いていたという話を聞いたからだ。坂崎正人はタイムマシンなどの話が好きで、自分なりに解釈しながら書いているのだろう。どうかすると作者がどう感じるかなどを無視したような書き方をしている時がある。自分勝手な作風なのだが、それでも人の気持ちを捉えて話さないのは、作者を自分の世界に引き込むような魔力を持っているからに違いない。
 タイムマシンがもし存在していたとすれば、何をするだろう?
 そんな発想を抱かせてくれるような作風なのだ。子供が読んでも子供として何かを考えるだろうと思えるような作品で、そう考えれば、根本が小学生の頃に読んでいた小説が同じような着眼点を持っていたように思えてならない。
 作者の名前は覚えていないがミステリーだった。夏の暑い時に、ソファーに寝転ぶようにして優雅な読書を楽しんでいたが、少しホラー掛かった小説でもあった。
 ちょうどホラーブームで、夏休みに見ていた昼間の番組などで、恐怖シーンをかなり見ていたので、読んでいても気持ち悪さを実感できるような内容だった。
――夜トイレに怖くていけない――
 などということもしばしば、シーンと静まり返った田舎の家で、どこからともなく聞こえてくる音は、ほとんどが風のいたずらだった。一滴水が滴り落ちただけでも夜の静寂にこだまして、いつまでも耳の奥に残ってしまう。これほど気持ち悪いことはないと思いながら戻ってくるトイレ部屋までの通路が果てしなく感じられる。
 まだ祖母が存命の時だった。
 祖母は根本のことを本当に可愛がっていて、何かあればいつも気を揉ませていた。根本本人にはそれほどの意識もなく、ただそばにいて違和感のない人だという程度だったが、そのありがたみは大きくなるまで分からなかった。田舎の家を思い出すたびに必ず浮かんでくる祖母の顔、笑った顔しか浮かんでこないが、記憶では思い悩んでいた方がイメージは強い。記憶の奥に封印してしまっているのだろう。
――祖母にストレスなどという言葉は当てはまるのだろうか?
 思い出してみれば、思い悩んでいたという記憶はあるが、ストレスという言葉から、祖母を思い起こすことはできない。
「おばあちゃんは、いつもこの家から出ることはないけど、寂しくないのかい?」
 子供心に純粋に聞いたことがあった。悪びれた様子もなく聞いたので、
「ええ、別に私はここが好きだから、他を見てまわりたいなんて思わないわ。ずっと昔からここにいるからね」
「ふうん」
 漠然と答えたが、そのリアクション以外に思いつかない。本人がいいというのだから、それ以上聞くのは愚の骨頂だ。だが、やはり納得がいかなかった。
――僕はこんなところにずっといたりしないぞ――
 まだ、ストレスなどという言葉を感じたことのなかった頃だったが、もし感じるとすれば、ここから抜けられないと思うことだろう。
 ストレスが溜まるとすれば、それは袋小路に入り込み、自分の考えよりもさらなる労力を持ってしても、達成できない時などに感じるものだと思っていた。それはあくまで動的な考え方で、まわりの環境から抜けられないというような静的な考え方もストレスを溜める要因になるのだということに気づいたのはもう少し大きくなってからだ。きっと中学時代ではなかっただろうか。
 根本が異性に興味を持ち始めたのは、他の友達よりも遅かった。成長自体も晩生な方で身長が伸び始めたのも高校になってから、しかも急激にである。
 身体の発育はそれほど遅くはなかっただろう。だが、精神的なものがついてこなかったので、自分の身体の変化についてこれず、よく分からない感覚が続いたのが中学時代だった。一日一日は長く感じられたわりに、あっという間だったように思う時期、それを中学時代に一番感じていたことだった。
 小学生の頃が一番長かった。しかしそれは漠然とした長さで、あまり物事を深く考える時期ではなかったからだ。そして高校時代。一日一日も三年間も長かったように思う。一番青春だと言える時期でもあり、肉体的にも精神的にも一番成長した時期だ。
 本当に精神的についていけたのだろうか? それ一番分からない。いろいろなことを考える時期ではあったが、答えが出るはずもないことを永遠に考えていたように思えてならない。
――ストレスは成長過程の副産物だ――
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次