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短編集82(過去作品)

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「いえいえ、まだまだ趣味の世界ですよ」
 小説家という表現を使われると、急いで否定したくなる。少しでも専門家に認められればそれでもいいのだが、まだ海のものとも山のものとも分からない状況で言われることに余計なプレッシャーを感じてしまうのだ。
 恵美子は相変わらずニコニコと笑っているが、さっきまでの笑顔とは少し違っていた。明らかに好奇の目を持ってこちらを見ているように思える。それは決して悪い意味ではなく、初対面で起こる必然的な好奇心を大げさに表現しているにすぎないだけだ。大げさではあるが嫌味を感じることもなく、さわやかな笑顔は安心感を与えてくれる。
 あまり見つめられると必要以上に照れを感じ、頬が熱くなってくるのを感じるが、それも一瞬だけだった。背中に掻いていた汗が徐々に引いてきたのは、芳醇な香りのコーヒーを一口含んだからかも知れない。
――夏でもないのに、背中に汗を掻いたなんて――
 初めての店に入るという緊張感が汗を掻かせたのだろう。
 他愛もない話をしているのかと思っていたが、急に話が飛んだりしている。実に不思議な感覚なのだが、二人ともまったく普通に話をしている。根本が不思議そうに見ていると、
「ああ、お客さん、これは小説の中のお話なんですよ。二人とも好きな作家がいましてね。その人の作品の話をしていたので、少し話が飛んだりしているんですよ」
 マスターがいうと、恵美子はニコニコと笑っている。マスターが話の中で彼女の名前を呼ぶことで初めて彼女の名前を知ったのだが、奇しくも、小説に出てくる女性の名前も恵美子というようだ。そのために少し頭が混乱してしまった。
「坂崎正人という作家なんですけどね。初めて読むと内容が支離滅裂に見えるんですけど、読み直すと嵌まって読んでしまうんですよ」
 その作家の本なら読んだことはある。どうりで違和感はあったが、聞いたような内容だと思ったものだ。だが、ここまで話が飛んでいてはすぐには分からない。きっと二人が読み込んでいる証拠だろう。
「本を読むのがお好きみたいですね」
「ええ、ジャンルは偏っているかも知れませんが、好きですね。最初に斜め読みをしてみて、もう一度読み直すときはじっくり読む。そんな作品が最高だと思ってます」
 根本はそんな作品が書きたかった。最初は分かりにくいかも知れないが、最後の数行で「あっ」と言わせるような作品を書ければそれが自分の作風になる。それができるようになれば作家としてデビューできるかも知れないと思っている。
 二人の話を聞いていると、タイムマシンの話、影についての話、宇宙の神秘の話など、少し大げさな話ではあるが、盛り上がっているのを見ていると違和感はない。小説世界の話だと思っているからだろうし、自分がいつも考えているような話だから余計に違和感がないのだ。
「私も小説を書いているんですよ」
「え、そうなんですか? 私実際に小説を書いている人と会うのは初めてなんですよ。前は自分も書いてみたいって思った時期もあったんですが、なかなかうまくいかないんですよね。断念しちゃいました」
 恵美子は舌を出しておどけてみせる。マスターは相変わらずニコニコしているが、きっと彼女が小説を書いていた時期も知っているように思えてならない。
「お二人の付き合いは長いんですか?」
 根本が聞くと、恵美子を制してマスターが答えてくれた。
「そうですね。もうだいぶなるかな? いつからだったかはハッキリ覚えていないんですよ」
 元々根本は新参者の立場だと、どうしても萎縮してしまうところがある。それを隠したい一心で、急いで馴染もうとするのだが、いつもぎこちなくないか心配になる。後から考えても仕方がないのだが、それも根本の性格のひとつである。だが、この店では新参者としての意識は薄いのだが、二人に入り込めない厚い壁のようなものがあるように感じられる。根拠はないのだが、一旦気になってしまうと、なかなか抜けるものではない。
 二人を見ているとストレスなどが感じられない。なんとなく違和感があるとすれば、存在感に薄さを感じることだ。俗世間に染まっていないような世界が広がっているようで、まるで夢の中にいるような心境である。
――こんな笑顔ができるんだ――
 何とも表現しがたい笑顔である。一言で片付けられそうなのだが、言葉が見つからない。ボキャブラリーの貧困さなのだろうか、それとも、雰囲気がそうさせるのか分からない。
「ストレスってどんな時に溜まるんですかね」
 マスターがボソッと言った。その視線は根本を捉えていて、思わずたじろいでしまった。心を見透かされているように感じ、まともに視線を合わせることができない。
「私の場合は、やらなければいけないことがあっても、切羽詰るまでやらないタイプなんですよ。だからいつも冷や汗もの。そんな時にストレスって溜まるのかも知れないな」
「それは誰にでも言えることかも知れませんね。実は私もギリギリになるまでやらないんですよ。後できついのは自分なのは分かっているくせに」
 ストレスが溜まるなどという言葉、子供の頃には信じられなかった。人から言われたくらい、気にしなければいいじゃないかと思いながらも、ストレスが溜まってくるのだ。それだけ大人になるということは、小心者になる証拠かも知れない。臆病になっていく。
 いろいろな理屈が分かってくると狭い範囲での世界が次第に広がってくる。自分に自信がついてくれば、逆に広い範囲から世界を狭められるのだが、逆である。後者であれば、まわりを見ることができてストレスの溜まる余地もないのだが、逆だとまわりを見ることができず、不安が募るばかりである。
 そんな中で特に感じるのは、
――溜めないように意識しているから逆に溜まってしまうのではないか――
 ということである。何事も始めるまでにかかる労力が一番大きく、始めてしまうとそれほど気になるものではない。ギリギリになるまでやらないということと同じ理屈である。気持ちに余裕があれば、
――いつでも出来る――
 と思うことで、焦ることもなければ、ストレスも最小限に抑えることができるはずである。
 何でも最悪のことを考えながら行動する人がいる。根本などその典型かも知れない。システムエンジニアなどの技術職の人はそうでなければいけないだろうが、小説を好む芸術家肌でいたい根本にとっては、却って逆効果かも知れない。躁鬱症でもある根本の性格は誰にも把握できないだろう。
 袋小路に入り込むと抜けられない。その気持ちが強く、絶えずいろいろ考えているのも不安を少しでも和らげたいからだ。最初から楽をして何も考えないでいると、いざ考えなくてはいけなくなった時、不安が先にきて、何も考えられなくなってしまう。それを恐れているのだ。
 坂崎正人という作家の作品を思い出していた。確かに最初に読むと支離滅裂で、何が言いたいのか分からない。だが分からないのに、分かりたいと思わせるテクニックがどこかにあるようで、ベストセラーとまではいかないが、本が好きな人の間では人気の作家である。いわゆる玄人好みというべきだろう。
「私、以前に坂崎正人のエッセイというのを読んだことがあるのよ」
 恵美子が話し始めた。
作品名:短編集82(過去作品) 作家名:森本晃次