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潜在するもの

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 そういう意味で小説はコマの一部ではない。描写もセリフもすべて自分で書くことになるのだが、シナリオの場合は、映像になるまでの一部でしかないので、まわりに気を遣う必要がある。
 例えば、情景を描くのも、小説のように細かいことは書かない。場所は一行で書き、セリフにも必要以上のことは書かないようにしている。
 実際にシナリオを見て演じる俳優さんの個性を生かすために、あまりシナリオで個性を出さないようにするのも必要なようで、そういう意味で、シナリオに個性はあまり関係ないということになる。
「シナリオって、プロットのような感じなのかも知れないな」
 と言っている人がいた。
「プロット」というのは、小説を書く時に、最初に作成する「設計図」のようなものである。
 例えば、大筋を最初に考えて、登場人物とキャラクターのイメージ、さらに起承転結で小説の詳細を考える。それを書き出したものを「プロット」というのだが、プロットを作成していないと、途中で辻褄が合わなくなったり、堂々巡りに入ってしまい、結論や大団円に辿り着けなかったりするだろう。
――プロットの起承転結くらいまで落としたところが、シナリオに近いのかも知れないな――
 と遠藤は感じていた。
 遠藤は中学時代に中途半端に読んだSF小説を読み直してみたが、やはり覚えていなかった。
 今度はじっくりと読んだので、何が面白いのか分かった気がした。そのおかげで、
――今なら、他の小説も読めるだろうな――
 と感じたのだ。
 それで読んだのが、テレビドラマで見たミステリーだったが、現代版に書き換えて描かれるようなこともなく、時代背景も内容も、原作に忠実に描かれていた。
 おかげで、昔の時代背景に入り込んで見ることができた。
 元々歴史が好きで文学部に入学した遠藤だったが、昭和前半というのは、あまり興味を持つ時代ではなかった。テレビドラマのおかげでこの時代に興味を持ち、この時代の話を本で読んだりもした。
 そういう意味で、読書というと、小説以外のものを見ることも多くなり、大学の講義での教材に、抵抗がなくなったというのは、ある意味よかったかも知れない。
 だが、やはり小説を書いてみたいという衝動に駆られたのは、ドラマの影響かも知れない。
 ドラマを見た後に原作を読むと、内容が分かっているだけに読みやすかった。
「原作を読んでから映像を見ると、どうしても、見栄えしないという感覚になるのはなぜなんだろうな」
 という人がいたが、この意見には遠藤も賛成だった。
「それだけセリフ以外の描写で、想像させるところがうまいからそう思うんでしょうね」
 と言いながら、
――これがシナリオと小説の違いという感覚を表現した形になるんだろうな――
 と感じた。
 小説を書くようになってから、最初の頃は苦痛しか感じなかった。
――なんで、俺はこんなことを嫌なのにしているんだろう?
 無駄なことをしているという思いではなく、好きではあるが、やっていて苦痛を感じることを本当に好きだと言えるのかということが不思議だったのだ。
 しかし、考えてみれば、嫌いなことでもしなければならないこともある。勉強が嫌いな子供でも、義務教育の間は勉強をさせられて、嫌でもまわりと比較される。これは苦痛以外の何物でもなく、本人からすれば、これほど理不尽なものはないだろう。
 ひょっとすると、勉強以外にしたいこともあるかも知れない。しかし、まわりはそれを許してくれない。
「小学生、中学生は勉強が本分だ」
 と言われているからだ。
 それはきっと、学校を卒業すれば、必ず何かの職に就き、仕事をしなければならず、仕事をしないとお金がもらえないので、生活していけないという論法から来ているものではないだろうか。
 子供の頃に楽せず苦労しておけば、後々自分が苦しまずに済むという考えから来ているのかも知れない。
 だが、実際に小学生、中学生の頃に必死になって勉強し、その成果をトップクラスに立ったという結果で出すと言っても、それで将来楽ができるということになるだろうか。
 むしろ、さらなる高みを目指して、もっともっと勉強しなければいけなくなる。小学生であれば、そこまではないが、中学生以降になると、その代償も少なくはないだろう。
 その頃というと、思春期に当たり、大人へと変貌を遂げる時期でもある。その時にどのような土台ができているかが大切で、果たして勉強だけをしていて、その土台ができているかどうか疑問を持つ人も多いかも知れない。
「頭でっかち」
 と言われることもあり、勉強以外でも身体の変調に対して影響される身につけなければいけないものだってあるはずだ。どちらが大切なのか分からないが、少なくとも勉強だけをしていて、立派な大人になれるかというと、疑問でしかないだろう。
 少なくとも思春期というと、何にでも興味を持つ時代だ。その頃を多感な時期としていろいろ見ることがあるのに、勉強のためにそれを見ることをせず、いわゆる犠牲にすることで果たしてどんな大人になれるというのだろうか。
 世の中にはたくさんの趣味があり、その趣味を職業にして、その道のプロとして活躍し、著名人の仲間入りしている人もいる。彼らの存在に、きっと人生のうちで一度は気付く時があるはずなのだが、どうせ気付くのであれば、なるべく早い時期に気付いておくものだと言えよう。
 趣味の中には芸術的なこともあり、音楽、絵画、文学、陶芸、いろいろとある。さらには日本文化の中に、茶道、華道などと言った独自の流派を持ったものもあり、彼らの世の中における影響力は、政治家に負けず劣らずの場合もある。特に世襲で昔からある由緒ある家系には、日本文化独特の体勢があり、彼らのような人間は、普通の人間と一線を画していると言えるだろう。
 世の中にはさまざまな人がいる。そういう意味で、ただ勉強だけをしていて、果たして本当に楽ができるかというのは甚だ疑問である。逆に勉強すればするほど、奥の深さを知り、どんどん嵌りこんでしまうともいえるだろう。
 もっとも、それを好きでやっている人はいいのだが、好きでもないのに、足を踏み入れた人は抜けられなくなり、中途半端な自分に失望するしかなくなってしまうことだってあるだろう。
 それを考えると遠藤は、
――勉強ばかりをしてこなくてよかった――
 と感じるようになった。
 遠藤にとって大学生活は、それまでの受験戦争と一線を画したものであることは分かっていた。
――大学に入ると、今まで知らなかった連中と友達になれるんだ――
 という意識があったからで、実際に大学と言うところは、想定外の人間ばかりのような気がした。
「魑魅魍魎のような世界だ」
 大げさではあるが、そんな言葉も飛び出してくるほどだった。
 何にビックリしたのかというと、まったく知らない人であっても、挨拶をしてくれる。高校時代までは、知っている相手であっても、挨拶をしようとすると、相手に睨まれているような気がして、自分からできないでいた。そのうちに、友達であっても、お互いに遠慮からなのか、それとも警戒心を深めたことからなのか、挨拶もできなくなってしまった。それを遠藤は、
――皆、疑心暗鬼になっているんだ――
 と感じた。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次