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潜在するもの

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 遠藤はその頃から、本当は本を読めるようになりたいという意識はあった。実際に本を買ってきたりして読もうと思ったのだが、実際に読んでみると、やはりかなり端折って読むくせは直っていなかった。
 だが、大学に入ると、急に本が読めるようになった。大学受験まではせわしい性格が表に出ていたが、大学入学を果たすと、今度は急に落ち着いてきた自分を感じた。
 まわりの人間に乗り遅れないように、友達を増やしたいという思いはあったが、その勢いに乗って、友達をたくさん作った。
 たくさん作りすぎて、実際の話についていけない自分がいるのを感じ、それが後ろめたい気分にもなってきたが、ついていけないのは自分が悪いわけではないと思うと、今度は話についていけるように勉強しようと思うようになった。本が読めるようになったのは、この時の心境があったからではないかと思う。それだけが原因というわけではないが、これが重要な要因だったということに変わりはないだろう。
 だが、逆に彼らの偏った話についていけなかった自分としては、
――この連中とあまり長くはいたくないな――
 という思いもあり、友達としての位置は保ってはいるが、それ以上関わりたくないという思いが強くなってきた。
 増やし続けた友達だったが、次第に吟味するようになり、中には友達としても排除するような相手も出てきて、本当の友達というと、結局は数人しか残らないことになった。
 その中の一人に文芸サークルに誘ってくれたやつもいて、彼などは中学高校と文芸部で自ら小説を書いていたという。
「小説を自分で書くなど、そんな簡単にできるものなのかい?」
 本と読むのでさえ抵抗を感じている遠藤にとっては、小説を書くことを趣味にできるなど、高根の花に見えていた。
 尊敬もしていたし、身近にそんな人がいると、
――俺にでもできるかも知れない――
 と思ったとしても、それは無理もないかも知れない。
 最初は、そんなことできるはずはないと思っていたが、文芸サークルに入って同人誌を見ていると、皆惚れ惚れするような文章作法を用いているのを見ると、
――ごく近くに、こんなに上手に書ける連中が密集しているなんて――
 と思ったが、考えてみれば、
――ここだけが特別でないと思えば、文章を書くということくらいは、普通の人であれば、苦もなくできることなのかも知れない――
 とも思った。
 こう思ってしまうと、頭の中が少し冷めてくるような気がして、この考えは参考程度にしか考えないようにしていた。誰もができると思ってしまうと、自分ができるようになったとしても、それは人並みになったというだけで、自分の特技でもなんでもないからだ。
 遠藤は、他の人にできないことをできるようにならないと、いくら小説を書けるようになったとしても、それは時間の無駄とまで思ったほどだ。
 そう思って、友人に思い切って聞いてみたが、
「文章を書けるようになるのって、簡単なことなのかな?」
「人に伝える文章を書くくらいは難しいことではないかも知れないけど、自分の気持ちを相手に理解させる文章を書くのは本当に難しいんじゃないかな?」
 と言われた。
 この返答は、遠藤にとって願ってもない返事だった。
 そのセリフが頭の中で結構の間、残っていた。この言葉が残ったおかげで、小説を書こうと思ったと言っても過言ではないだろう。
 文芸サークルでは、誰かが何かを教えてくれるというわけではない。皆それぞれ自分のやりたいことをやっているというフリー感が満載で、マンガや絵画のようなビジュアル系や、詩歌や俳句、小説や随筆のような文芸と呼ばれるものなど、さらにビジュアル系としては、アニメのような動画も扱っている人もいて、大学祭などでは、映画を作成することもあった。
 大学祭での作品制作には、部員がほとんど携わっている。スタッフはもちろん、キャストも部員で、シナリオを書いた人が主役だったり、監督が脇役で出演したりと、少数精鋭として製作した。
 遠藤もシナリオの一部と、俳優として出演を担当し、やってみると、意外と楽しいことが分かると、
「文芸サークルに入ってよかった」
 と思った。
 小説を書くよりも先にシナリオを書いたので、シナリオを書くことに対して、さほど抵抗もなく、難しいという感覚もなかった。
 学園祭での発表なので、さすがに期限があったので、最初はシナリオの「いろは」に関しては、先輩から教えてもらった。一人で勉強するにしても、どんな本を読めばいいかということも教えてくれて、本を読んで勉強したものだ。
 この際にはさすがに端折って読むようなことはしなかった。何が必要なのか分からないので、一歩ずつ読み進むしかない。初めて普通に読めるようになった自分に感動するくらいで、確かに大学入学時に、小説をゆっくりと読める気がしていたのも、錯覚だったと思うほど、シナリオのハウツー本は本を読むということに対して、目からウロコが落ちる感覚だったのだ。
 しかも、その時に読んだ本の中で、実際の小説との違いについて解説されていたので、ある意味分かりやすかった。
―ーきっとこの本は、小説を書いたことがある人に対して読んでもらうというのを基本にした本なのかも知れないな――
 と感じた。
 実際に小説を書いたことはおろか、小説を読むことすらまともにできないという感覚を持っていたので、最初からへりくだった気持ちが強かったことで、謙虚になれたのではないだろうか。そう思うと、小説を書けるようになってからこの時のことを思い出すと、最初は、
「まるで昨日のことのようだ」
 とは思うのに、
「でも、ちょっと考えると、相当昔だったようにも思う」
 と後から考えたりする。
 最初に感じた直感が、実は勘違いだったのではないかと思うようなことも少なくはない。どのような時にそういう感覚になるのか分からないので、その思いが、
「似たようなことをこの間感じたような気がするな」
 という発想になり、まるでデジャブを感じさせられる原因になったりする。
 デジャブを感じた時、どこからそんな思いになるのか分からないというのが多いが、理屈として考えると、このようなことが結構多いのかも知れないと、遠藤は感じていた。
 デジャブという現象は、科学的には証明されていないが、いろいろな説もある。その中に、
「記憶の辻褄を合わせる」
 というのもあるようだが、
「辻褄を合わせる」
 という言葉が、結構曖昧な言葉であることが分かる。
 だが、元々、時系列の感覚が、一瞬にして昨日のことのように思っていたことが、まるで昔のことのように思えてくると変わってしまうことを証明することも難しい。それを、
「辻褄を合わせる」
 という言葉を使うことで、できないこともできるような気がしてくるのも意識の錯覚の問題であろうか。
 大学祭での映画は、一応成功だった気がする。遠藤はその時シナリオの一部を担ったが、実際にはシナリオを続けていこうとは思っていなかった。元々一つのことを一人で担うのが好きな自分とすれば、映像作品の中の、
「コマの一部」
 と考えるのは嫌だったのだ。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次