潜在するもの
受験というのは、あくまでも自分との闘いではあるが、定員が決まっているので、定員が百人であれば、自分よりもいい成績の人が、九十九人までは許されるということになる。入学の成績は公表されないようなので、一番で入学しようが、百人目であろうが関係ない。卒業前には就職活動の目安として、
「学年の何人中の何番」
という形で教えられたりするらしいが、そこまでは別に順位など関係ない。
教えられた順位として目安になるのは、就活の際に、どのランクの企業を選べばいいかという基準となる程度でしかないだろう。
成績のことばかりを考えるのは大学受験までで、それ以降は、いかに将来のための勉強ができるかということであり、高校までの「詰め込み教育」とは違っている。
試験になれば分かることであるが、高校時代までのテストはというと、マークシートであったり、単純に、設問に回答を書くというだけなのだが、大学のテストというと、ほとんどは、テーマを一つ与えられ、
「何百字以内で要約しなさい」
というものがほとんどだ。
中には教材の持ち込み可という試験もあり、法律関係のテストでは、六法全書の持ち込みも可だったりする。考えさせられるテスト内容となっている。
遠藤は、どちらかというと融通の利かないタイプだったので、高校時代までとはまったく違った大学の試験に戸惑っていた。
成績は思ったよりもよくなくて、何とか留年せずに単位を取得できていたという程度だった。
大学入学当初は、大学の勉強というものに脅威を持っていたが、二年生になる頃には、すでに興味は失せていた。
そのせいもあってか、ほとんどをバイトと文芸サークルに費やす毎日になっていて、そんな毎日を楽しいと思うようにもなっていた。
それは、今までに感じたことのない、
「やりがい」
というものを感じるようになったからで、アルバイトに対しては、
「時間に応じて報酬がもらえる」
ということと、サークルに関しては。
「作成することへの喜びと、結果が結び付いてくること」
が、自分にやりがいをもたらしてくれているのだと思っている。
その思いに間違いはない。きっと他の人が彼の立場でも同じことを考えていたに違いない。
文芸というものを、高校時代までまったく興味のないものとして考えていたのが、もったいない気がした。
もったいないというのは時間的なもので、
「もう、あの頃には戻れない」
という思いがある一方、
「あの頃の自分がどんな顔をしていたのか見てみたい」
という思いがあったのも事実だ。
彼が小説を書くようになってから、高校生や中学生を描くことが多かったが。それは自分が味わえなかった、味わうことができたかも知れない芸術との戯れに、思いを馳せているからなのかも知れない。
探偵小説を読みながら、自分の高校時代を思い返すというのは、不思議な感覚だったが、意外と嵌ってるように思えて、逆にあの頃の自分が、今読んでいる探偵小説を読むと、今のように嵌ることができたかどうか、それこそ疑問だった。疑問ではあるが、本当はどうだったのか、知りたいという衝動にも駆られている。本当はどうだったのだろうか?
ホラー小説
小学校時代を思い出すのは、本当は嫌だった。
小学生の頃はよく苛められていた経験しか残っておらず、その原因を作ったのが自分であるということを、知ったのは、小学六年生になってからだっただろうか。元々、いつも一人で何かを考えていることが多く、小学生の頃はその答えを求めることができず、すぐに途中でやめてしまっていた。
その思いが強かったせいか、まわりがまったく見えておらず、空気を読むなどと言うことはおろか、人のことを考える余裕すらなかったのだ、せっかく友達が気を利かさてくれたことも、それをまるで当然であるかのごとく振る舞ってしまっていれば、苛めの対象になるのも仕方のないことだった。
自覚がないのだから、なおさら悪い。ただ、苛めが自分に原因がないと思ってはいたが、その理由が分からないので、苛めている連中のせいにすることはできなかった。
――どうして俺ばっかり苛められるんだ――
という思いだけを抱いて、誰にも言えず、悶々とした日々が、音もなく過ぎ去っていくだけだった。
そんな毎日を過ごしていると、一人のクラスメイトが話しかけてくれるようになった。それが小学校六年生になってからだった。
彼は遠藤のことを苛めたりはしなかったが、庇ってくれることもなかった。ただ、話しかけてくれるだけで、普通の友達として接してくれていた。それだけで彼も苛めの対象になりそうなものだが、それはなかった。ただ、彼は他の連中から、
「あいつと一緒にいると、お前も苛められるぞ」
と言われていたらしいが、いつも笑顔で何も言わなかったらしい。
実際に、苛めには逢っていなかったが、クラスメイトと親しくしている人は誰もいなかった。それは遠藤と仲良くするようになったから友達がいなくなったわけではなく、元々友達がいなかっただけだった。
だが、同じ友達がいないとは言っても、遠藤のように、まわりを不快な思いにさせたりするようなことはなかった。そんな彼を見ていると、遠藤は自分の無責任な言動が、人を傷つけていたことにその時初めて気が付いた。要するに、一言多いのだった。
言わなくてもいいことを言ってしまって、それが相手の逆鱗に触れる。そんなことは子供の間ではありえることだが、遠藤の場合は結構そういうことが多かったのだ。
ある意味、悪気はないので、運が悪いともいえるが、それも性格から来るものであろうから、苛めを受けなくなるにはその性格を直す必要がある。
ただ、そこまで分かっていても、自分の性格がどのようなものか、いまいち分かっていない。しかも、分かったとしても、どこをどう直していいのか分かるはずもなかった。そもそもそれくらいのことが分かるくらいだったら、最初から苛められるような言動は慎んでいたはずだからだ。
友達ができたことが、苛めがなくなる第一歩だったわけだが、遠藤の性格が直るわけではなかった。
「俺って、こんな性格だから苛められていたんだよな」
と、友達に言ったことがあったが、
「俺は結構、お前の性格好きだぞ」
と言ってくれた。
彼が遠藤のどの部分の性格を刺してそう言ったのか分からないが、好きだと言われて嫌な気分になるはずもなかった。
遠藤にとって中学から高校にかけての六年間も、実は思い出したくない記憶でもあった。そもそも、その六年間は、本来であれば、青春時代と言える年齢なのだろうが、青春時代と言えるような経験は皆無だった。彼女ができるわけでもないし、友達とワイワイ、どこかに出かけるわけでもなかった。
苛めがなくなり、苛めていた連中からも、
「あの頃は悪かったな」
と言ってもらったことで、許された気がしていたが、なかなか今度は自分から彼らと仲良くしに行くということもできなかった。
まわりもそれを分かっているのか、遠藤を仲間に引き入れようとはしなかった。
「お前はお前でいいんだ」
と言ってくれる人はいたが、その言葉の本当の意味を分かってはいなかった。
結局、