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潜在するもの

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――それも含めての定価なんじゃないの?
 と言いたかったが、とりあえず、納得したが、当然のことながら、協力出版などする気にもならず、その時はスルーした。
 元々、そんな大金あるはずもなく、もし本を出すことができたとしても、絶対に売れるという保証などあるわけもない。それを思うと、不信感だけが先行する形にはなったが、
「せっかく、批評してくれているんだから、それを利用しない手はない。さらに万が一にも企画出版などになれば、儲けものだ」
 というくらいに考えていた。
 実際、何度応募しても、回答は同じ、まるでデジャブを見ているようだったが、相手も同じことしか言わない。
 コンテストに応募し、
「数千の中から一部の人しかいない協力出版に当選しました」
 と言われたが、それまでの不信感から、言葉の薄さしか見えてこなかった。
――きっと、初めて応募した人には、この言葉がすごく魅力的に見えるんだろうな――
 と感じた。
 確かに。バブルが弾けて、小説を書きたいと思う人は爆発的に増えた。しかし、そのうちのほとんどは文章作法という最低限のことすら守れていない人が多いのではないかと思えた。
――そんな人にまで、協力出版を要請しているんだろうな――
 と思っていた。
 コンテストの作品に対して、担当から連絡が入った。
「いかがでしょう? そろそろ協力出版をされてみては」
 といつもの口調で言ってくる。
――またか――
 と、半分ウンザリしながら聞いていたが、相手もその時は引き下がらなかった。
「今、出版して大手書店に並べば、人の目に触れることができます。しかし、何もしなければ、それで終わりなんですよ。それはもったいない」
 と言ってくる。
「いいえ、お金がないので、私は企画出版ができるようになるまで、書き続けるつもりです」
 というと、相手の語調は、明らかに変わった。
 少しハスキーな低温になり、恫喝すら感じられる言い方で、
「今までは、私が編集会議であなたの作品をずっと押し続けてきたから、協力出版という道が開けていたんです。ですが、それも限界で、次の編集会議からあなたの作品を推すことはできなくなるんですよ。これが最後のチャンスなんです」
 と言ってきた。
――それ来た――
 と思い、こちらも、
「いえ、それでも背に腹は代えられませんから、企画出版を目指します」
 というと、
「他の人は、親や知人から借りてでも、本を出していますよ」
 と言われたので、さすがにその人もキレたようだ。
「私に借金しろと?」
 というと、
「そこまでは言いませんが、これが最後のチャンスだと言っているんです」
「だから私はいい作品を書くことを目指して、企画出版を目標にすると言ってるじゃないですか」
 というと、完全に相手は本性を表した。
「それは正直に言って無理です」
 と言い切った。
「どういうことですか?」
 と聞くと、
「企画出版というのは、出版社が全額を負担しなければいけないので、確実に売れるという作品でないと、企画出版はありません。例えば筆者が芸能人のような著名人であったり、筆者が犯罪者だったりという話題性がないと、百パーセントありません」
 完全に言い切ったのだ。
 さすがに、筆者の方もこれを聞いてキレたようだ。
「それが、お前らの本音なんだな」
「ええ、そうです」
「じゃあ、もうお前のところに原稿は送らない。それでいいだろう」
 と言って電話を切ったらしい。
 この会話を聞いて、この業界が完全に見えた気がした。
 今までの小説家志望の人が狭き門だと思っていた門を広げることでうまい商売を思いついたということなのだろうが、やっていることは完全な自転車操業、さらに社内でもブラックな部分が多く、いわゆるブラック企業でもある。
 さらに、協力出版と言いながら、あたかも綺麗に作成された見積もりを見せることで、精密に計算された費用だと相手に思わせる。いわゆる詐欺商法と言ってもいいだろう。
 一時期、狭き門をこじ開けたことで、作家志望の人がたくさん協力出版に応じ、有名出版社よりも多い出版数を誇った時期もあったが、出版社の広告が目につくようになってから数年という実に短い期間で、この業界はすたれていった。その過程は次のようなものであった。
 出版社の言い分としては、
「一定期間、有名書店に陳列されます」
 という触れ込みだったが、協力出版に及んだ人が実際に有名書店に自分の本が並んでいるのを調査したようだ。
 それはそうだろう。大半の人が借金をしたり、前借などで工面したなけなしの大金で、出した本である。有名書店に並んでいるということで、少しでも作家気分を味わいたいと思うのも当然のことであろう。
 しかし、どの書店を見ても、自分の本はおろか、この出版社から発行された本を見つけることはできなかった。さすがに単独のコーナーまでは難しいかも知れないと思ったが、少なくともどこかにはあるだろうと、ずっと探し回ったが、やはりない。
 似たような気持ちの作家はたくさんいた。彼らは本屋で出会ったのか、どこかで情報交換をして、分担で見回ったが、どこにも置いていない。他の地域の知り合いにも大手本屋を見てもらったが、
「どこにもない」
 ということしか聞かれなかった。
 こんな状態が一人や二人であれば、そこまで問題にならなかったが、数人が集まると、問題は大きくなった。弁護士事務所の門を叩き、相談してみたりする。きっと弁護士の先生からは、
「これは詐欺の疑いがある」
 とでも入れ知恵されたのだろう。
 まあ、実際にそうなのだが、そうなると、誰かが発起人となり、連名で出版社を契約不履行で訴える。
 それが地域単位であってもニュースになると、他の疑問に思っている人も他の地域で同じような訴訟を起こす。
 そうなると社会問題となった。
 考えてみれば、大手書店に一定期間置くなどありえないことだと、冷静な判断力があればできたはずであった。
 有名書店からでも、一日に何冊の本が出るというのか。
 全国にはどれだけのプロ作家と呼ばれる人たちがいて、その人たちですら、自分の本を出すのが難しい時代である。本当に有名な作家が本を書いて出版するとして、一日に何冊も発売されるのだ。そうなると、協力出版などで一日に何十、いや多い時には何百冊という本が発行されたとしても、無名の作家の本を置くなどありえないだろう。
 しかも、出版社も大手ではなく、一部の作家志望の人しか知らないような無名の出版社である。そこまで考えれば、有名書店に自分の本が並ぶなどありえるはずはないだろう。
 裁判でどう判決が出るか以前に、裁判沙汰になったというだけで、大きな企業のイメージダウンである。
 自転車操業のすべての始まりは、
「広告を元にした本を出したいという人の獲得」
 である。
 これは作家にもリスクがあるので、こんな信用のできないところから本を出そうなどと思う人はどんどん少なくなってくる。そうなると、自転車操業は回らなくなり、すぐに破綻してしまうのは明らかだった。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次