潜在するもの
遠藤は小学生の頃に日記を書いていたが、今はどこに行ってしまったか分からないその日記、どんなことを書いていたのか、まったく見当もつかないが、それも時間の流れが素直だったからだと言えるのだろうか。
時系列という意味で、心理学の先生とはよく話をしたことがあったが、今回緒方もいるので、時間の問題について話をしたいと思っていると、まるで察したかのように、緒方が時間の話を始めた。
――これは、前に自分が先生に時間の話をふった時に最初に聞いた言葉ではなかったか――
まるでその時の話を聞いていたのかと思うほど適格な質問に、遠藤はビックリしていた。それこそ、
――デジャブではないか――
と感じるほどで、それがついこの間のことであるにも関わらず、かなり昔のことだったように感じるのは不思議だった。
しかし、
――時系列の感覚が狂っているからこそ、その時の話がハッキリと思い出せるのかも知れない――
と思った。
話を聞いたのはかなり昔のことのように思えるが、セリフだけがまるで昨日聞いたように感じられた。時系列にも段階的な錯覚があるようだった。
その日は教授が時間について面白い話を始めた。
「僕はね。お店によっては、時間の流れが他の場所とは違っているような気がしているんだよ」
といきなり言い始めたので、遠藤と緒方が顔を見合わせて、
――どういうことのなのだろう?
とアイコンタクトを取っているのが分かったのか、
「信じられないという顔をしているね?」
「ええ、それは……」
と緒方が言った。
「だけどね、考えてみれば不思議な話でも何でもないんだよ。僕は慣性の法則というのを思えば、これくらいのことは別に不思議でも何でもないと思うんだ」
「どういうことですか?」
今度は遠藤が訊ねた。
「慣性の法則というと、例えばだるま落としのように、途中をハンマーで叩いても、上はそのまま下に落ちるので、叩いた部分に引っ張られることはないだろう? そして次に、走行中の電車の中で飛び上がれば、電車の中で飛び上がったその部分に戻ってくるだろう? 決して、後ろに落ちることはない。それを慣性の法則というんだけどね」
「それは分かっています」
と緒方が少しムキになって逆らうように言うと、遠藤は逆に冷静に考えていて、少ししてから、
「なるほど」
と呟いた。
緒方にも分かっているのかも知れないが、彼は先生に逆らいたいという気持ちがあるのか、それとも先生に逆らうことで先生が話しやすくなるという忖度を使ったのか、一見気が短いように見えるが、どちらにしても、これが緒方の性格のようである。
「この慣性の法則とはいくつもの法則が一緒になっている総称のようなものなんだけど、説明としては、『物体に外部から力が働いていない時、または働いていてもその合力がゼロである時、静止している物体は静止し続け、運動している物体はそのまま等速度運動を続ける』という理屈なんですね」
と教授は解説してくれた。
「じゃあ、教授は店によって外部から力が働いているとおっしゃるんですか?」
「僕はそう思っているんだ。力というのは目に見えないものだけど、その力が人の潜在意識であったり、まだ使われていない潜在能力、いわゆる超能力であるかも知れないと思っているんだよ。だって同じ場所でも同じ人間が、時と場合によって、時間の感覚がまったく違っている時ってあるだろう? 例えば人を待っている時とかは全然時間が過ぎてくれないし、逆に好きな人と一緒の時間はずっと続いてほしいと思っている時に限って、あっという間に過ぎてしまうだろう? それと同じなんじゃないかって思うんだ」
と教授は言った。
「それは僕も今までに何度か感じたことではありますが……」
と緒方がいうと、教授は、
「感じたことがある……、そこで終わっているんだろう? 結局、結論は出そうになければ、最初からそんなことを考えなければよかったという言い訳を自分でして、最初から考えたことをなかったことにしようとするのも、ある意味では時間と感情の操作ということになるんじゃないのかな?」
と教授に言われ、二人は黙ってしまった。
まさに教授のいう通りである。教授の言っていることには一理どころか、肝心な部分を突いているように思えてならない。
教授は続ける。
「皆も、結構いろいろな発想をすることがあると思うんだけど、その発想を自分の中で解明しようとすると、なかなか難しい。専門的な知識も必要だし、何よりも自分を納得させるだけの理論を持つことが大前提だ。しかし、結論どころか大前提にも行きつかない。結論は出ているのに、そこに進む過程で行き詰まるんだ。そうなると精神的に、それ以上を考えることは無理であると勝手に思い込む。そのため、考えてしまったことがすべての無駄であると考えると、感じたことを打ち消そうとする。それが時々いわれる『知識が邪魔をする』という言葉なんじゃないかって思うんだ」
「先生は、店ごとに時間が違うということを証明できるものをお持ちなんですか?」
と緒方が聞いた。
「いいや。持ってはいない。でも、探してはいるんだ。忘れてしまいたくはないからね。だけど、せっかく慣性の法則というヒントがあるんだから、ひょっとすると自分の発想をちょっと変えただけで見つかる答えがあるんじゃないかとも思うんだ。見えない薄い壁があって、その向こうに答えが隠れているかも知れないという思いがね」
「でも見つからないんですよね」
「僕はその薄い壁というのが、実は鏡じゃないかって思うことがあるんだ。そこに鏡があれば、写し出されているのは自分だろう? それを見た時、鏡がそこにあるのは不自然なくせに、鏡の存在は暗黙に認めてしまっているんだ。そして鏡に写っている自分を見てしまう。そこで鏡に写る自分につぃて、あれこれ考えてしまうんだけど、これはきっと鏡だと自分に思わせるために何かの力が働いていると思うと、さっきの慣性の法則ではないけど、辻褄を合わせようとするために、鏡に見せているのではないかとまで考えるようになったんだ」
と教授がいうと、
「僕も何かの発想をする時、よく鏡の不思議な感覚を思い浮かべることがあるんだけど、それじゃあれは、薄い壁だということを悟らせないように潜在意識によって作られた感覚ということになるんでしょうか?」
と遠藤がいうと、
「少しニュアンスが違っているような気がするが、理解する意味ではおおむねそんな感じでいいんじゃないかって思うよ」
と教授が答えた。
結局、その時は、店によって時間の流れが違うということの本質に入ることはなかったが、そのうちにまたこの話題で盛り上がるような気がした。それも近い将来で、きっとその時になると、
――まるで昨日のことのように思い出される――
と感じるかも知れない。
ただ、最近の感覚からいうと、そう感じる時というのは、実際にはかなり時間が経っている場合に多いので、もしまた話をすることがあるとすれば、かなり先の未来のように思えてならなかった。