潜在するもの
「ホラーというのは、僕が思うに、心理学をテーマにしないとできないもののように思うんだよ。すべてがフィクションに思えるけど、どこか信じてしまうという心理が働いているようで、怖いと思うほどにこそ面白いと思ったり、興味をそそられたりするというのも真理であり、今まで誰もが一度は感じたことがあると思う霊感を表現したものではないかと思うんだ」
「人間誰もが一度は霊感を感じる時があると言われるんですか?」
「僕はそう思っているんだ。自分には霊感がないと思っている人は、きっとお化けや妖怪の存在を否定したいという思いからそういう感情に陥るんだろうけど、それだけではないような気がするんだ」
「どういうことですか・」
「人間には、誰もが自己顕示欲というものがあり、しかも、人間という動物は他のどんな動物よりも高度なんだって思い込んでいるよね? 確かにそれは言えるかも知れないが、それは裏を返せば本能などの潜在している能力を発揮することができないので、知恵というものを使って、本能で感じることを補おうとする。それが高等動物なんだと言われればそれまでなのだが、生物は皆それぞれに役割を持っていて、生存環境の歯車の中にいるから生存できているんだという考えもあるんじゃないかな?」
「じゃあ、霊感というのは、誰もが普通に持っているものであり、潜在してはいるけど、発揮できないだけだっていうことなんですか? でも一生に一度は発揮できるところが必ずあるという考え方になるんでしょうね」
と遠藤がいうと、
「その通りさ。僕もそのつもりで心理学を勉強しているし、さっきの話とは逆の発想で考えると、心理というものも、人間だけにあるものではなく、動物のほとんどが持っていると思うと、面白いんだ」
と教授が答えた。
「じゃあ、それを人間が分かっていないだけだと?」
「分かっていないのかどうかは分からないよ。ひょっとすれば潜在的に分かっているけど、分からないようなメカニズムになっているのかも知れない」
「今の先生の話を聞いていると、『潜在的』という言葉を使えば、何でもありなようにも聞こえてきますね」
と遠藤がいうと、教授は苦笑いをしながら、
「確かにその通りさ。僕も巧みに潜在的という言葉を使って話をミスリードしているかも知れないと自分では思っているけど、少し違う気がするんだ」
「というと?」
「ミスリードというのは、自分で理屈が分かっていて、敢えてその方向とは違う方に導くような誤解をさせることなんだけど、僕はそこまで分かっていない。だから潜在的という言葉を敢えて使うのは、僕としてもどう表現していいか分からないことからの苦肉の策のようなものだって思うんだ」
「ホラー小説には、そういう潜在的な感覚があるとおっしゃるんですか?」
「僕はあると思うね。ホラーの中にはアイテムとして鏡だったり夢だったりというものが結構出てくる。それは、今まで心理学でもいろいろ言われてきた発想と似ているものもある。例えば夢だったら、それこそ、『潜在意識のなせる業』と言われているだろう? また鏡においても、『左右では対称に見えているのに、上下で対称にならないか?』などというテーマもまだ解決されずに研究材料となっている。ホラー作家はそういう心理学を意識することなくホラーを描いているけど、心理学者とホラー作家との頭の構造がどうなっているか、実際に調べてみたいくらいだよね」
と教授は答えた。
この話を聞いて、遠藤も、
――なるほど――
と思ったが、ホラー作家としての自分が、教授の言ったような発想を抱いていたのかと言われると、似たようなところを彷徨っていたような気はするが、あくまでもニアミスであって、平行線は交わることなどないと思っていた。
小説を書いている自分が、今までよりも、さらに自分の時間をハッキリ使っているという意識にあることに気付いた。
――もう二時間も使っているのに、感覚的には二十分ほどしか経っていないような気がする――
という感覚である。
それだけ集中しているということなのだろうが、それが惰性によるものなのか、それとも、しがらみから自分を解き放った気楽さから来るものなのか、すぐには分からなかった。
教授と初めて小説についていろいろと話をしたそのすぐ後くらいだっただろうか、教授は一人の男性を伴ってやってきた。
――何となく見覚えがあるような気がする――
と思ったが、その男は最初はずっと下を向いていて、誰とも目を合わせようとはしなかった。
季節は春から夏に向かおうとしているこの時期に、ジャンパーを羽織り、髪の毛はボサボサで、髭も蓄えている。しかもサングラスをしているといういかにも怪しげな雰囲気に、他の常連客も言葉を失っているかのようだった。
――教授がこんな男を連れてくるなんて――
最初にどこかで見たことがあると一瞬感じた自分が恥ずかしくなった。それ以上に教授がなぜこの男をここに連れてきたのかが自分だけではなく、ほとんどその場にいた常連客はそう思ったことだろう。
いかにも挙動不審なその男は教授と一緒にいなければ、警察に通報されていてもおかしくないレベルで、店が通報しなければ、誰かがしていたかも知れないと思うほどだった。
「ジャンパーくらい脱いだらどうなんだ」
と教授はその男を促して、ジャンパーを脱がせた。
何を考えているか分からない様子だったが、少なくとも教授の言うことに逆らうことはしないだろう。
――心理学の先生なだけに、何かの研究材料として彼をここに連れてきたのだろうか?
教授が医者であれば、治療のための何かと思うのだろうが、そんなことはなかった。
その男はサングラスをしたまま、まわりをキョロキョロ見渡し、肩を竦めている様子をみると、明らかに被害妄想的な雰囲気が感じられた。
「どうだい? 何か思い出すことはあるかね?」
と教授は彼に言った。
――なるほど、彼は記憶を失っていて、記憶を取り戻すカギが、この店にあるということなのか――
と、遠藤は思った。
男は見渡してみたが、すぐに頭を下げ、軽く首を振り、頭を上げることはなくなってしまった。
教授はそんな彼を椅子に座らせたまま、カウンターに集まっている常連のところにやってきた。
「皆さん、驚かせてすみません。実は彼は記憶喪失に掛かっているようで、そんな彼の所持品の中に、この店を表から描いた一枚の絵を持っていたですよ」
「まあ、このお店の?」
と言ったのは、奥さんで、
「うちのお店が記憶を取り戻すきっかけになってくれれば嬉しいわ」
と言ったが、それは常連も同じことを思っていることだろう。
ただ、その中で教授だけが何やら難しい顔をしている。記憶喪失の彼にどのようにかかわりを持ったのか分からないが、関わってしまった手前、責任を感じているのかも知れない。
「その絵がこれなんですけどね」
と言って、教授は絵が描かれたキャンバスをキャンバスを入れる袋から取り出した。
似たような袋は見たことがあった。大学時代の絵を描いていた友達がいつも持っていたものだったからだ。
そう思い、もう一度そのキャンバス入れを見ると、遠藤は驚愕した。思わず、
「あっ」