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潜在するもの

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 だが、新人賞を取ってからもう何年も経っている。この新人賞は年に一度だから、少なくとも自分の後に数人の作家が受賞し、デビューを果たしている。さらに年間開催される文学賞や新人賞と呼ばれるものは毎月のようにあり、年間十数人の作家がデビューしていると言ってもいいだろう。そんな状態なのでデビュー後もコンスタントに作品を合評し、作家として生き残っている人はほんの一握りであった。
 受賞後の二年くらいは、プレッシャーを感じながらも、受賞したという自信がまだ残っていたので、もがきながら苦しさを自信がフォローしてくれていた。その後の二、三年は、自信はどこにもなくなっていて、苦痛の身が残ったような感じだった。
「小説家なんかやめたい」
 と思ったとすればこの頃が一番強かったかも知れない。
 それから二、三年が経ったわけだが、もうここまでくれば惰性であった。執筆はとりあえず続けている。
――自分から執筆を取ると何も残らない――
 という思いと、毎日のようにやっていることを急にやめると、一気に人生に疲れてしまうという思いがあり、それが怖かったのだ。
 ただ、惰性になってしまうと、自分が新人賞を取ったことがあるということ自体、まるでウソだったのではないかと思うほどになり、今ではアルバイトが本業で、執筆活動はただの趣味と言えるくらいになっていた。
 逆にその方が気楽な気がしていたが、そのおかげで、まわりから友達は去っていった。
「お前、そんな毎日でどうするんだ?」
 と言われ続けるのに疲れた。
「もう、俺なんかどうでもいいんだ」
 本当は心肺してくれているということも分かっているし、自分でもなんとかしなければいけないという気持ちもある。
 しかし、言われれば言われるほど、返事に窮する自分が、一番苦しんでいることが分かっているだけに、何と返事をしていいのか分からず、捨て鉢な言い方になってしまう。
 捨て鉢な言い方をすれば、相手に嫌な思いをさせることは分かっている。しかし、何と思われようが、どうしようもないことをクドクド言われることほど苦痛はない。まるで新人賞を取ってから二年間ほどの執筆時のやるせなさに似ていた。
―ー二度とあんな思いをしたくはない――
 と思うと、
――どうして新人賞なんか受賞したんだ――
 と、自分の作品を選んでくれた審査員の先生たちを恨みたくなるくらいだった。
 元々新人賞というのは、
「まだ表に出ていない宝石の原石というべき小説家のタマゴの発掘を目指して発足されたもの」
 ということだったはず。
 作品の良し悪しだけではなく、その作家の潜在能力を客観的に判断して、作品に込められた将来性を見抜くことが大切だったはずだ。それなのに、受賞したはいいが、受賞作で実力を発揮しつくしたとは言わないが、逆に最初の作品が一番素晴らしい作品になってしまったという事実から、審査員の目は節穴だったと言える。
「どの口がいう」
 と言われるかも知れないが、演奏はそう思うと、忌々しい気持ちになってしまうのだった。
――僕の受賞を知っているかつての文芸サークルの連中は、僕が小説かとして頑張っていると思っているんだろうな」
 と思ったが、それも忌々しい気がした。
 同窓会の案内は時々来ていたが、最初こそ丁重にお断りしていたのだが、途中から断りの返事を出すのも億劫になり、返事すら出さなくなった。受賞経験のある作家としてはあるまじき行為であろう。
――今のこの僕の様子を、一番知られたくない人たち――
 それが、文芸サークルの仲間だった。
 今の沿道には、執筆というと趣味のような感覚である。
 趣味として小説を書いていたのは、大学時代のことだが、その頃の記憶はほとんどない。その頃のことで覚えているのは、
――プロになったらどんな気持ちで書くんだろうな?
 という思いを抱いていたということだけで、それ以外は、実際にどんな気持ちで書いていたのかなど覚えていなかった。
――新人賞を受賞した瞬間に忘れてしまったのか、それとも、プロ作家としてもてはやされていた時代、つまりはそれまでの生活とは一変してしまったことで忘れてしまったのかのどっちかではないか――
 と思っていた。
 惰性であっても、日課としてしなければいけないと思ったからなのか、小説を書くことへの抵抗がほとんどなくなっていることに気付かなかった。感覚がマヒしてしまっていたと言っても過言ではないだろう。
 それは、場所にもよるのかも知れない。
 それまでの遠藤は、ほとんど家で執筆をしていた。新人賞を取って二年目以降くらいは、依頼も激減したことで、編集者の目がなくなってきた。そのおかげで自由に表にも出ることができるようになり、いろいろ喫茶店の場所を変えながら書いていた。
 ただ、馴染みの喫茶店だけは使わなかった。その店では自分がかつて新人賞を受賞したということを言っていない。言いたいのはやまやまだったが、なえか言いそびれていた。
 今から思えば、
―ーよかったんだ――
 と感じるが、今の自分が新人賞を受賞したことのある作家などということを悟られたくないという思いがあるからだ。
 そういえば、新人賞を受賞してからは、まわりから、
「先生」
 と言われて、散々もてはやされたものだ。
 照れ臭さからなのか、言われることに変な抵抗があった。
「やめてくださいよ」
 と苦笑いをしていたが、まわりはただの照れ臭さだけだと思っていたことだろう。
 遠藤は、その時の心境を、
――照れ臭さよりも、もっと重要な気持ちがあったはずなのに、覚えている感覚としては照れ臭さしか思い出すことができない――
 と思っている。
「照れ臭さなどというのは、自分の本心を自分で覆い隠そうとするための自己暗示に近いものだ」
 と感じていた。
 その照れ臭さが消えて、今では触れられることがまるで傷口に塩を塗るかのようなまるで拷問を受けているように思える。だから、惰性となった自分の過去を、誰にも知られたくないという思いは、これからもずっと持ち続けるに違いない。
 そのため、今の自分が本職をアルバイトと思っているような、
――決して幸せと言える人生ではない――
 ということが分かっているのだが、どうすることもできない。
 自分では、人生の階段を踏み外したという感覚はない。むしろ、一度は、
「新人賞受賞」
 という脚光を浴びたことで、瞬間的には成功者として輝いた時期があったと思っている。
――一体何が成功者というのだ――
 遠藤はそう思った。
「お前はまだ、小説家でいたいのか?」
 と、もし誰かに聞かれれば、どう答えればいいのだろう?
「いや、趣味でやっているだけだから」
 と言えば、きっと相手は、
「だったらもっとしっかりして、定職に就くことを考えないと」
 というに違いない。
 百人が百人、そう答えるとは思えないので、本当はそれ以外の答えも聞いてみたいのだが、その人に出会うまで、ずっと同じ答えを聞かされなければならないのは苦痛でしかないだろう。
 そう思うと、誰に何も聞けなくなった。相談者がどこにもいない。そんな状況を今から数年くらい前には感じていた。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次