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潜在するもの

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 ホラーと言っても、妖怪や悪霊が出てくるようなサイコホラーではない。都市伝説などのオカルトなので、怪奇とは少し違っているのだが、類似部分もある。
 それは心霊現象的なものを科学的に解明しようとする説明であったり、学説を話の中に織り込むなど、心理学的な発想を持ち込んだホラーとして、奇妙な小説にエッセンスを与えていると思っている。
 自分が書いてきた小説には、どこかに心理学的な要素が見え隠れしている、新人賞を取った作品は、それが新鮮な彩を与えていたのだろうが、二度三度と同じような手法を使ってしまうと、飽きられてしまうのか、編集者からの評判はよくなかった。
 実際に本として出版してもらったものもあったが、パッとはしなかった。時代としては、トラベルミステリーに代表されるように、その作家の代表的な作風ということで一流作家の一ジャンルとして売れる要素になっているものもあるが、どうも心理学的な発想を小説に織り込むというのはなかなか難しいようで、二番煎じとまではいかないが、活字離れが進む中、ライトノベルやケイタイ小説などのような読みやすいものが主流となっていると、新作で本格派小説というのは、受け入れられないものなのだろう。
 復刻版として再販されたものは、元々その時代の一世を風靡したものであり、復刻版であっても売れるという保証はないが、出版するに値すると思われるギリギリのものなのかも知れない。
 だが、小説だけではないのだろうが、ブームというのはループするものだと聞いたことがあった。
 いわゆる周期と呼ばれるもので、十年、二十年単位で訪れるものだという。小説の世界でもミステリー、ホラー、SFなど、周期を持ってブームになった。それぞれのジャンルに関わっている奇妙な話は、それぞれの時代に訪れるブームにうまく乗せれば売れ続けるものなのかも知れないが、トラベルミステリーや本格推理小説のように、同じミステリーブームであっても、ブームの年代で次回も同じミステリーのジャンルがウケるとは限らない。それを思うと奇妙な小説は、ジャンルとして、「もろ刃の剣」なのかも知れない。
 遠藤は、新人賞を取ってから、次回作がうまく行かず、一応新人賞受賞作家として、プロとしてデビューするところまでは行っていた。そこから先は鳴かず飛ばずの生活なのは前述の通りで、その頃から、最初はモーニングを食べるために立ち寄った喫茶店を馴染みに、その店で執筆を続けるようになった。
 なるべく毎日のように立ち寄るようにしているが、一週間のうちの一日は執筆しないようにしていた。
 それは曜日で決まっているわけではなく、自分で勝手に書かない日というのを決めている。そのため、体調によっては書けない日が二日か三日になったりすることもあったが、二日以上空いてしまうと、前に何を書いていたのか分からなくなってしまうのだった。
 高校生の頃までは暗記物の教科は得意だったはずなのだが、大学生の頃のどこかで、急に記憶力が悪くなったような気がした。最近ではその時期というのが、新人賞を取ったその前後だったような気がしている。新人賞を取った時のことを思い出そうとすると思い出せるのだが、そのすぐ後のことを思い出そうとすると、なかなか思い出せないなどの時系列で記憶力が左右されているような気がしていた。
 小説を書き始めた時は、記憶力はまだあったと思う。
 この記憶力というのは、小説におけるストーリーの記憶と、それ以外の記憶とでまったく違った感覚であるという自覚があった。
 ただ、実際に記憶力が明らかに落ちたと思うようになると、どちらの記憶力も比例して悪くなっていると思えてならなかった。
 小説が書けるようになった時、記憶力というよりも意識の方がどこかに飛んでしまったと思った時があった。小説には想像力が必要だと分かっていたが、想像力よりも自分の場合は妄想力であるということに気付くと、小説をどうして書けなかったのか気が付いたような気がした。
「小説を書くための要素を想像力だと思っていたことで、想像できる範囲が少なかったような気がした。ここでいう妄想というのは、
「欲望が絡んだ想像力というのとは別に、想像と同じ発音である創造も一緒に兼ね備えることが妄想だ」
 と考えるようになった。
 実際にホラーやオカルトを考えていると、妄想が発想を支えていると思うようになってきた。
 同じホラーでもサイコホラーを好きになれないのは、ここでいうところの「妄想」という言葉と当て嵌まらないもののように感じられた。妖怪などの魑魅魍魎を妄想するわけではなく、地獄や天国などの世界を自分の中で創造する方が奇妙な話にエッセンスを振りまくことができると思うのだった。
 妖怪などの魑魅魍魎は、実際に伝わっている伝説などが元になっているので、妄想というには、中途半端な気がする。自分が書く小説で何が嫌だというと、最後まで書いたはいいが、何か中途半端感が残ってしまった時が、やるせなさが残ってしまうようで嫌なのだった。
 以前はミステリーやSFを絡ませた奇妙なお話を書いていたが、最近ではほとんどがホラー関係の小説になってきた。
 SF小説自体は、ほぼほぼ最近はあまり書く作家もいない状況であるし、ミステリーにしても、トラベルミステリーや、二時間サスペンスになりそうな小説の原作しか書かれていない。
 怪奇小説に関しては、一時期出版社からブームに乗って、
「ホラー文庫」
 などが独立して発刊されたりしたが、遠藤もその頃、何冊かホラーを読み、ラストの数行でのどんでん返しのようなストーリーは、ホラーが一番しっくり来るように思えた。
 それから、ホラーを中心に書くようになったのだ。

               画家の先生との再会

 遠藤は最近では、馴染みの喫茶店で書くことが多くなった。一度新人賞を受賞してプロ作家になったと言われてはいるが、小説を書くということを楽しいと思ったことはない。逆にプロになったことでプレッシャーを抱くようになり、執筆活動が苦痛でしかなくなった。
 テレビドラマなどで、小説家の先生と呼ばれている人が、自宅やホテルで「缶詰め状態」になり、編集者監視の元、苦労しながら執筆に勤しんでいる姿を見ることがあった。
 自分が小説を書けるようになるまで、
「プロの先生なのに、どうしてあんなに苦労しているんだろう?」
 と思っていた。
 中学高校時代は自分も受験生だったのでプレッシャーというものを分かっていたはずなのに、それでもプロと呼ばれる先生が、自分と同じプレッシャーに陥るはずなどないと思っていた。同じプレッシャーでも種類が違うと思っていたのだ。
 確かに種類は違う。高みを目指す途中にいる人のプレッシャーは、自分たちとは根底から違っている。その違いを根底から見ていないのだから、分かるわけなどないだろう。
 一度高みを見ることができて、その途上にいる人は、下を見ても上を見てもキリがない。一度昇ってしまったのだから、下りることなどできない。そんなプレッシャーを感じるのだ。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次