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潜在するもの

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 遠藤の小説もどちらかというと本格派の小説であり、ライトノベルのような軽い小説を毛嫌いしていた。だが、せっかく本格小説が脚光を浴びるようになったのに、遠藤にはなかなか執筆依頼が来なかった。
「やっぱり、有名小説家ではないと、ダメなのかな?」
 と編集者に聞いてみたが、
「そんなことはありませんよ。遠藤先生の話も僕は面白いと思うんですが、今はちょっと有名作家の小説がもてはやされているので、もう少し様子を見てみましょう」
 と言っていた。
 遠藤も、最初は、
――そうかも知れない――
 と、非常に薄い発想だと思ったが、一応彼の言うことを信じてみようと思った。
 しかし、考えれば考えるほど、自分に脚光が浴びる日が来るとは思えなかった。ただ、自分の作品の基本は、
「今流行っている作品」
 に近いと思っていた。
 復刻版のほとんどは、明治の文豪や、昭和初期の作家のものが多く、今の時代からは想像もできない世界が本というフィクションの中で繰り広げられているのが魅力となっているのだろう。
 昔の作品の方が、時代背景が明らかに暗いこともあって、ドロドロしたような作品が多かった。怪奇モノであったり、ミステリーに関しても、今の時代なら活字にはできない言葉をふんだんに使っているようで、知らない時代のはずなのに、読んでいると自分が小説の世界に入り込んでしまっているような気がして、気が付けばあっという間に読破できていたりする。この感覚は今まで流行っていたライトノベルを読破した感覚とはまったく違う。ライトノベルの場合は簡単に読めるという感覚からか、読み終えてからの感動はそれほどのものではなかった。
 小説を読んで、読み終えたことに感動できるのは、本格派小説であり、ライトノベルに関しては、同調できるという気持ちだけしか感じないので、読み終えてからの感動にまでつながるようなことはなかった気がした。
 これが、本格派小説を読む人の感想だったのだが、出版社の方としても、今のような活字離れした人たちを相手に、敢えて本格派小説で活字化するという挑戦的なことがどれほどの冒険になるかということは分かっていたが。さすがにここまでピタリと嵌るとは思わなかった。いわゆる想定外の喜びだったに違いない。
 遠藤の小説は中途半端だった。本格派小説を書きたいと思い、今復刻されたような小説を何度も読み返した。それらの小説に思いを馳せながら、自分もその時代に生きていたかのような発想を抱きながら書いていたのだ。
――発想ではなく、妄想しなければいけなかったんだ――
 と遠藤は思うようになった。
 妄想になると、自分が小説世界の中に入り込むくらいの気持ちになれるだろう。
 そう思い、再度復刻された小説を読み返してみた。読んだ小説は、戦前の探偵小説で、前に読んだのは、確か新人賞を受賞する前だった。
 他の復刻版は、数年前に読み直したのだが、なぜかその小説を読み返すことはなかった。本屋に行って、ちょうどその本が品切れしていたのではなかったか。別に取り寄せてまで読もうという意識はなく、次第にその小説を読み返していなかったということを忘れてしまっていた。
 なぜ、その小説を読み返そうと思ったのかというと、一番最初に読んだ時、
――この小説は何が言いたいんだ?
 と、一度読んだだけでは、小説の主旨がよく分からなかったというのを覚えていたからだ。
――近い将来、もう一度読み直してみよう――
 という思いを抱いていたのを、今回ふと思い出したのだ。
 この本を見つけた時、少し興奮したのを覚えている。以前最初に読んだ時も、似たような感動を覚えたのを思い出したのだが、その感動がどこから来たのかよく分からない。感動という言葉の本当の意味を考えさせられることになるとは、その時には思ってもいなかった。
 その小説が書かれた時代というのは、満州事変直後くらいのことだっただろうか。日本は軍国主義が走り出すくらいの時代なので、探偵小説は国の検閲がかかるようになっていた。
 下手な小説を書くと発禁になってしまったりするのだが、この小説家は当時一番活躍していた探偵小説家だったので、検閲が緩かったようである。
 しかも、彼の小説は、きわどいところで検閲を逃れるすべを知っているようで、そのあたりも、人気作家になるべくしてなったと言えるのかも知れない。
 彼の話は、今でも誰もが知っているような名探偵が出てくるのだが、この探偵の謎解きは実に理論的で、犯人も恐れ入るしかないのだが、この理路整然とした謎解きに勝るとも劣らずのストーリー展開が、今の時代のサスペンス性とも融合しており、当時も人気があったというのも伺える。
 実際に彼の小説は本格派探偵小説をずっと目指していたのだが、まだ無名の頃は、結構エログロの世界を描いていた。
 エログロの小説も時代を反映していたのか、結構ウケたりした。
 時代は大正時代で、世界的に大きな大戦があり、日本は対岸の火事として、特需に沸いた時代であった。民衆はデモクラシーと呼ばれる民主化を望んでいたが、大正時代の末期には帝都を襲う大地震があったりと、世界情勢とともに、日本の政治経済は大きな打撃を受け、暗い時代へと突入していった。
 そんな激動を感じさせる時代に、彼のエログロ小説はウケた。ただ本人はそれほどエログロ小説を好きにはなれなかった。自分があまり気に入っていない小説が世間で受け入れられ、人気を博したことで、その小説家は自分の中でジレンマに陥ったのか、急に休筆を発表し、放浪の旅に出たようだ。
 それから一年ほどして帰ってっ来てから発表した作品が、それまで書いていなかった本格探偵小説だったのだ。
 トリックや意外な犯人、いろいろ考えられるテクニックを駆使して書き上げた傑作小説は、その後の彼の代表作になった。
「ミステリーにおけるトリックというのは、もうほぼほぼ出尽くしていて、後はそのバリエーションでしかない」
 と言ったのは彼だった。
 しかもさらに彼がいうには、
「そのことを自覚せずに探偵小説を目指すのは、これから先、難しくなるかも知れない」
 と言った。
 下手をすれば盗作になりかねないので、他の人の作品も目を通しておく必要はあるかも知れない。彼は、いろいろな作家、さらには海外の作家の小説もしっかり読み、そのうちに自分独自の、
「探偵小説理論」
 を提唱し、理論本を発行までしていた。
 そういう意味で、ミステリー作家でありながら、ミステリー評論家としての地位も獲得した彼は、晩年はミステリーというジャンルの協会を立ち上げ、初代会長に就任したりしていた。
「日本のミステリー界の父」
 と言ってもいいくらいの作家で、昭和の頃までは彼の作品は本屋に所狭しと並んでいたが、平成になった頃から読まれなくなった。
 その頃というのは、テレビドラマになりそうなジャンルが多く、トラベルミステリーや、探偵以外の職業の人が探偵の真似事をするような話がウケるようになり、映像化が可能な原作本として、本屋ではそんな小説が並ぶようになった。
「時代の変化と言えばそれまでだか」
 と思われたのだ。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次