潜在するもの
新人賞を獲得すれば、まわりの目もすべてがプロとしてしか見ていない。プロになるということがどういうことなのか、まだまだ学生の彼には分からなかった。これからやっていけるかどうかという不安だけではなく、プロとしての自覚をどのように持てばいいのかということの方が大切なのに、どうしても、不安が先に立ってしまう。
結局次回作はできるにはできたが、受賞作の足元にも及ばず、半分も売れなかったのではないだろうか。
そのうちに、他の新人賞作家と同じように、作家として看板は立てているが、鳴かず飛ばずの作家としてその後を歩むことになってしまった。
もちろん、大学を卒業しても、そんな中途半端な状態で生活していけるはずもなく、アルバイトをこなしながら、細々と執筆をしていた。貧乏生活も慣れてくればさほど苦になるわけでもなく、毎日をアルバイトと執筆に費やしていた。
執筆は家でするよりも、どこかお店でやった方が効率がよかった。パソコンを持っていき、テーブル席で一人、小説を執筆する。馴染みの店もいくつかできて、日替わりという感じで、曜日ごとにいく店を変えていると言ったところであろうか。
小説を書いているうちに、
――俺は天邪鬼なんじゃないか?
と思うようになった。
馴染みの店ではあるが、店員さんと最初の頃はあまり話をしようという気はしなかった。小説に集中したいという思いがあったからで、店員さんの方でも遠藤が何かパソコンで作業をしているのを見て、仕事だと思っていたようだったので、声を掛けるようなことはしなかった。
そのうちに、店の客を観察することも多くなった。執筆中はある程度集中して書いているが、息抜きにまわりを見ると、そこでカップルなどがいると、勝手に会話を想像してみたりするのが楽しかった。
それが小説のネタにそのまま結び付くこともあるが、ただ人を観察するというのも面白いことに気が付いた。
例えば、大学生風のカップルなどを見ていると、最初は仲良く話をしているのだが、途中で女の子にメールが届き、女の子がそのメールを確認すると、急に男性が怒り出すというシーンを見たことがあった。
メールの相手が悪かったのか、それともメールの相手は関係なく、自分と話をしている最中に彼女がメールを気にしたということ自体が気に食わなかったのか。どちらとも取れる微妙な雰囲気だったが。遠藤はどちらも想像してみることにした。
メールの相手が男性で、彼女の表情に笑顔が見えたのをオトコが感じたのだとすれば、彼は彼女のそんな性格を分かっているということになる。自分の性格を彼が分かっているということを彼女は看破できていなかったのだろう。何とかしらを切ろうとしている。その様子があからさまに見えるのは、彼にとって彼女の行動が、確信犯に感じたからだろう。こうなると、売り言葉に買い言葉、お互いに罵り合うようになると、もう収拾がつかない。いつ修羅場になっても無理のない状況である。
では、相手が誰だか分からないが、彼女の笑顔に彼は怒りを向けたのだとすれば、彼女の方はたまったものではない。実際には女の友達だったとして仮定すれば、彼女には十分な言い訳をする理由がある。しかし、彼女は自分が悪くもないのに、言い訳をするなどプライドが許さない。決して自分から何かを言おうとはせず、黙り込んでしまう。
相手の男はそんな彼女に対して罵声を浴びせることはできなかった。彼としても、自分なりのプライドがあり、相手が言い訳をしたり、逆らってくればいくらでも罵声を浴びせる準備があったが、相手が何も言わないのであれば、こちらから何かをいうことはできないと思っている。
いわゆる、我慢比べの世界であった。
同じシチュエーションでも、ちょっとした微妙な時間差で、ここまでまったく違うリアクションが待っているということになるだろう。
男女の会話など、普通であれば他愛もないことであるが、そこにトラブルを持ち込むと本性が出たり、思わぬ行動に入り込んで、しかも悪いと思っているかも知れないが、後には引けない状態になってしまったりと、バラバラな状況を作り出すことになるだろう。
遠藤はプロ作家としてデビューはしたが、その後はずっと鳴かず飛ばずの生活で、プロと言うには自分でも恥ずかしいと思っている。
小説家としての仕事はもっぱら自分の作品を発表することではなく、文学賞の選考における一次選考での、
「下読み」
だったり、カルチャースクールで文章作法などを教える講師であったりというアルバイトくらいのものである。
講師といえば聞こえはいいが、ただのアルバイト、聞いている人を見ていると、
――本当にプロになりたいと思っている人がこの中にいるのか?
と思うほど、授業態度もあまりよろしくない連中ばかりだった。
――まだ、俺の学生時代の方がよほど真剣だったよな――
と感じたが、
――どうせこの中からプロになれる人などいるはずもない――
と思うと、幾分か気が楽だった。
ただ、そんなことを考える自分が情けない。そこまで考えてしまう自分が恥ずかしかった。
アルバイトはアルバイト、自分の時間は自分の時間だと思わないとやり切れない気分にさせられた。
――どうしてプロになんかなったんだろう?
そう思うと、受賞した時に感じた複雑な思いが頭をよぎった。
あの時は、
――仕事にしてしまうと、制約が強くなって、自分の好きなように書くことができなくなるかも知れない――
と思っていたのだろう。
実際に、出版社からの注文は難しいものが多かった。
「とにかく売れるモノ」
というのが何においても最優先。
作家の意志など関係なかった。
「それができないようなら、プロなんてやめるべきです」
編集者は勝手なことをいう。
――自分では書けないくせに、えらそうに――
と心の中で思うが、彼も仕事だと思うと、またやり切れない気持ちになった。
かといって、いまさらアマチュアには戻れない。またプロを目指すということはできないのだ。
プロスポーツ選手は引退してしまうと、もうプロには戻れない。それと同じである。一度筆を置いてしまうと、
「元作家」
としてしか見てくれない。
かつての作品の再販はできるかも知れないが、プロの間に再販できないのだから、辞めてしまった人間の本が再販などできるはずもない。
プロという言葉にしがみついているという意識はないが、プロをやめてしまうことへの不安はこれ以上ないというほど強いものだ。
「何事も始めることは簡単だが、終わりを決めるのが、その何倍も難しい。それは戦争しかり、離婚しかりだ」
と言っていた人がいたが、まさにその通りである。
遠藤はそのことを身に染みて感じていた。
新人賞を取ってから五年が経った頃だっただろうか。すっかり小説のジャンルも変わっていた。本格化小説がまた少しもてはやされるようになっていた。かつての名作と呼ばれていた小説の復刻版が有名書店から発行され、それが静かなブームになっていた。それまではネット小S手うや、ケイタイ小説と呼ばれるものが主流で、ライトノベルズが多かったのだが、時代は巡るというべきか、活字の本がまたもてはやされる時代が来るとは思わなかった。