潜在するもの
「オカルト小説」というと、都市伝説のようなイメージがあるので、一番近いような気がする。遠藤は自分が書く小説には「奇妙な味」を絡めるのが一番いいように思えたのだった。
同じ奇妙なお話でも、遠藤が書く話は、ホラーに近いような気がしていた。
大学に入って、なるべく明るい性格になりたいと考えていたのに、気分だけが能天気になったことで、まわりから取り残されたような気分になってしまったことで、能天気を封印するようになった。そのせいもあって、元々の性格である暗く籠った部分が表に出てきて、それがまわりを暗く包んでいる自分に気付いた。
SF小説を調べた時、
「天体というのは、自らが光を発するか、与えられた光を反射させることで自らも光っているように見せるものである。しかし、中にはみずからまったく光を発することもなく、光を反射することもない星がある」
という学説を提唱した人がいた。
その話を見た時、
――自分がまるでその星の存在のようではないか――
と遠藤は感じた。
そばにいても、誰もその存在に気付くことはない。ぶつかったとしても、ぶつかるまで誰にも気づかれない、そんな恐ろしい星だ。
また、遠藤はこの星とは違うイメージで、まわりにまったく存在を意識させないものがあることを感じていた。それは、
「石ころ」
んぼ存在である。
石ころというのは、目の前にあっても、誰からも意識されることはない。先ほどの天体の話は、そばにあっても、目に見えないことで存在が分からないというものであったが、石ころというのは、目の前にあって、実際には見えている。だが、その存在をいちいち意識されることはないというものだ。
遠藤は、自分が見えない星のような存在なのか、それとも石ころのような存在なのか、どっちなのかを考えた。
そんな自分を小説の題材にしようと思ったのだ。そのどちらかによって内容が違ってくるのだが、遠藤はどちらなのだろうか?
もし、主人公をどちらかにすれば、他の登場人物に、もう片方を据えることで、人に存在を意識されない、それぞれのパターンを持った人物を比較するような小説になるのではないかと思えた。
遠藤は、最初の小説を、主人公に石ころのような人物を据えて、登場人物として、光を発しない人物をあてがうようにした。
登場人物だけなら、かなりのホラーになりそうな予感はあったが、なかなかストーリーが思いつかなかった。
イメージするだけで、二人とも、誰かと会話をするのは想像できない。もっともまわりに意識されることのない人物だけに、会話は却って矛盾を孕むことになるだろう。
では、この二人の間で存在が分かるのだろうか? 遠藤は分かるものとしている。分からないとストーリーが展開しないし、その二人が敵対しているものなのか、それとも協調するものなのかで、ストーリー展開も変わってくる。途中で入り組んでくるというのも一つの発想だと思うし、考えれば考えるほど膨らんでくる発想に、内心ワクワクしてくる遠藤だった。
石ころのような少年は、自分が石ころであるということを意識している。光を発しない人は少年ではなく、大人である。彼は自分がまわりに存在を知られていないという意識は石ころのような少年に比べて浅い気がした。
だから、彼は大人になるまでの自分の人生を、実に不器用なものだと思っていた。そのすべては自分の性格にあるものだとして、決して人のせいにすることはなく、すべて自分に起因していると思っていた。
謙虚な姿勢は悪いことではないが、彼に限ってはそれは致命的だった。悪だと言ってもいいかも知れない。
同じように謙虚な人ばかりが今までまわりにいた。その人たちからだけ、彼の存在は認識されていたのだ。
そういう意味では彼の存在を誰も知らなかったわけではない。そうでなければ、自覚がないということもないだろう。悩みはあっただろうが、精神に異常をきたすほどのひどいことがなかったのは、自分の存在を分かってくれている人がいたからだった。
彼の存在を分かる人には、彼が考えていることも分かるようだった。
「類は友を呼ぶ」
という言葉が一番ピッタリな気がする。
友達というよりも親友と言ってもよかっただろう。つまり彼には友達はおらず、いるのは親友だけだったというべきで、それはある意味他の人が憧れるような環境と言ってもいいだろう。
だが、本人をまわりは意識していないので、そんな人がいるということも分かっていない。
「知らぬが仏」
とはこのことだろう。
そういう意味では、世の中というのは、うまくできていると言えるかも知れない。知らぬが仏という言葉も、そういう辻褄合わせだと思うと、それなりに理解できるというものだ。
その話に色を付ける形で小説を書き上げて行った。
その話を文学新人賞の公募に応募し、最終選考に残った時が、遠藤にとって一番興奮した時期であった。
正直、
――最終選考にまでは残らないだろう――
という意識があった。
自分の中で小説として悪い出来ではなかったと思っているので、二次選考くらいは突破できると思っていたので、最終選考に残った時は興奮のるつぼだったが、これがもし受賞などしたとすれば、まるで夢のような話であるが、遠藤とすれば、まだ早すぎるという意識があった。
まだ、学生だし、ここで賞を受賞などすると、せっかくの目標を見失ってしまうような気がした。
実際に新人賞を受賞することになるのだが、気持ちは複雑だった。
受賞ということで、本人よりもまわりの方が浮足立ったようになって、そこまで浮足立っていなかったはずの自分までもがまわりに影響されているのが分かってくる。そこまで盛り上がっていなかったはずの気持ちが浮かれてくるのが分かると、自分では抑えられなくなっていた。
さすがに受賞ともなると、自分は夢のようだと思いながらも嬉しさだけは隠せない。それをまわりが煽るのだから、余計に始末が悪いのだが、自分ではどうすることもできないこの状況は、生まれて初めてのことだった。
浮足立った状態だったが、一度受賞してしまうと、
「次回作を楽しみにしています」
という言葉を聞くたびに、自分が急に不安になり、我に返ってしまうのを感じるのだった。
――次回作を期待されるんだ――
当たり前のことだが、実際にはこの作品を書くまでにある程度のエネルギーを消耗しているつもりだった。
本当はそこまではなかったが、受賞ということは、そこまでの努力が報われたのだと思わないと、自分で納得できないところがあったからだ。
よく小説家などで、
「受賞作にすべてを込めたので、これ以上の作品を書くことはできない」
と言って、次回作が売れなかった作家を何人も知っている。
実際に、
「本当に大変なのは受賞してからだ」
という話を前から聞いていたが、本当にそうなのかと半信半疑だった自分がいる。
遠藤はその言葉をその時、身に染みて感じていた。
――少し休ませてくれればいいのに――
とも思ったが、やはりそれは甘えでしかないのだろう。