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短編集81(過去作品)

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 高所恐怖症なのは自覚していたが、閉所恐怖症だとは思わなかった。しかもそれは実際の世界の狭い領域ではなく、感情の中の狭さだった。空のように気持ちの中は大きなものだと思っていただけに、何かにぶち当たるとそれがただの壁なのか、自分の限界なのか、まったく分からない。夢の世界ではそれが限界なのだ。夢の世界自体が張子の舞台で、その向こうには知らない世界が広がっているに違いない。
――狭い世界――
 それは他人を見ていて思う。出勤途中など、いつも同じところで同じ人に会うことがあるが、当たり前のことである。会社の就業時間が決まっている以上、お互い同じ時間に行動するから当然なのだが、毎日を同じサイクルで繰り返していることに侘しさを感じる。それは自分にではなく相手にである。相手も同じことを考えていると思えば思うほど、自分のことは目に入らない。まるで夢を見ているような感覚に陥ってしまうのだ。
 そんな頃だった。小さい頃に見てしまった母親の裸を思い出すようになっていた。一度夢で見たからだと思う。忘れていたことを夢に見てしまうと、それからしばらくは頭から離れなくなってしまうものだ。悲しい性になってしまうこともあるようで、好きになった女性の裸を思い浮かべてしまい、不謹慎な自分を腹立たしく思うようになっていた。
 女の裸へのトラウマが母親の幻からくるものだと感じたのは、本当に好きになる女性と知り合ったからだろう。
 都筑が本当に好きになる女性と知り合うのは、会社に入ってすぐだった。あまり目立つことのない雰囲気の女性でどこにでも一人はいそうな雰囲気なのだが、ざわついた事務所の中では異色なだけに、都筑の目には一輪の花に見えた。その場の雰囲気に慣れている人たちには分からない。都筑も気にしなければ石ころのような雰囲気の女性だと思ったことだろう。目立たないだけに、気になれば気になって仕方なくなる。そんなことって他でもあるのではなかろうか。
 母親に似ているかどうかは微妙である。しかし封印してしまっている母親のイメージを思い起こさせる雰囲気には違いない。時々横顔を見てドキッとすることがあるが、それは母親のイメージを思い浮かべるからである。
 初めての夜は忘れられない。
 最初から雰囲気があった。普段から静かな雰囲気なのだが、それも他の人にであって、都筑の前では子供のようだった。無邪気なところもそうなのだが、純真なところが印象的である。普段から何を考えているか分からないような雰囲気なのに他の人があまり意識しない石ころの存在になれるのは、彼女の特徴の一つである。それが長所なのか短所なのか分からない。
――きっとどちらもなのだろう――
 と都筑は思う。長所と短所が紙一重だと思っているからだ。だから短所を短所とだけしか思わないようにしている。その裏に必ず長所が潜んでいるからだ。
 ということは、長所と短所を共有しているだけで二重人格といえないだろうか? ただそれだけでは言えないだろうが、短所が目立つ人は二重人格に見られがちだろう。短所が目立つということはその裏に見え隠れしている長所も目立っているということである。それをどれだけの人間が裏返しだと感じているかが疑問である。
 夢の中で自分と同じ長所を持った人に出会うと、自分に見えてくる。相手も同じように自分を見ているのだろうが、相手は自分の短所を見ているように見えるのだ。相手の顔が自分の顔に見えてくる。普段から自分の顔を見ることなどないので、知っている人の顔で一番馴染みのないのは自分の顔なのだ。それがハッキリと自分の顔に見えてくるのだ。本当に夢の中で、もう一人の自分がいると思えてくる。
 大きな池のほとりに佇んでいる自分を夢に見ることがある。最初はそれが自分だとは分からない。男は池のほとりに座って水面を見つめているが、おもむろに立ち上がって水面を覗き込むようにしている。
 足元には小石が転がっているが、それを掴むと水面に向かって投げている。
「ドボン」
 最初に大きな音とともに石が沈んだかと思えば、今度は小さな石をいくつか持って、品定めをしているようだ。そして、少しでも平たい石を選び、後は足元に捨てる。捨ててしまって見ると、どれが元の石だったか分からないほど、たくさん足元には石が落ちているのに気がついた。
 男は野球のアンダースローのように腰を屈め、水面に対し鋭角に石を投げ込む。
「ピシッ、ピシッ、ピシッ」
 何度も水面を舐めるように弾いた石が気持ちよく飛んでいく。小さい頃に一度はやった記憶のある川面での遊びである。
 じっと見ていると、今度はまた違うことを思い出していた。一人暮らしの部屋から出かけようと、戸締りもしっかりして最後に玄関の扉を閉めようと、片手にキーを握りしめながら、右手で扉を勢いよく閉めようとする。勢いをつけるのは無意識で、一気に閉めないといけないという気持ちがからだ。中は密室、空気の逃げる場所のないところなので、勢いをつけないと、中からの空気で押し返されそうになってしまう。水面に投げた石が弾くのと同じ感覚ではないだろうか。
 時々一人で部屋で寝ている時に、扉が勢いよく閉まるのを夢の中で聞いたような気がしていた。夢の中なので、それほど気にしていなかったが、時々誰かに見られているような気がしていたのを考えるとあまり気持ちのいいものではない。静かな部屋で寝ていると、夢の中で壁に耳を押し当てている自分を思い出して目を覚ますことが多い。
――もし、こんな姿を他人に見られたら――
 そんな危惧を感じる時に、扉の閉まる音が聞こえたりした時など、気持ち悪くて、しばし身体を起こすことを躊躇してしまう。
 今までいろいろな夢を見てきたが、その根本は同じものかも知れない。どこかにトラウマを感じていて、元々いろいろなことを考えていないと気がすまない都筑の性格もそれに輪をかけているのだろう。一見共通性のない夢だが、性格が影響していて、長所も短所も裏返しの中でそこから見える光景が、夢によって繰り広げられているのだ。
 都筑は今までかなりの夢を見てきた。それはきっと見たいと思っていたことも含まれているに違いない。しかしそれは本当にその時に見たいと思ったことではない。見たいと思った夢をそのまま見ることができるなんて稀だという話は聞いていたが、まったくないというのも却って不思議な気がする。
 都筑は思い込みの激しい方だ。見たいと思う夢を見れないのは、きっと自分の潜在意識の中で、
――見たい夢なんてそう簡単に見れるものではない――
 という思いがあるからだろう。それもかなり真剣に考えているからではないだろうか。ひょっとして見ていて覚えていないだけかも知れない。夢から覚め行く中で、
――見たい夢が見れなかった――
 と感じながら目を覚めしているのだ。
 今まで覚えている夢に出てきた女性にはどこか共通点がある。どこか母親に似ているところがあるのだ。それを考えると自分のトラウマが母親にあることは明白で、おのずとそれが母の裸を見てしまったという気持ちへと一直線に繋がってしまう。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次