短編集81(過去作品)
別れは最悪だった。普通に別れればよかったものを納得いかない都筑は追いかけた。ストーカーの一歩手前にいることに気付いていながらどうすることもできない。そこには優しさのかけらもなく、彼女にとっては憎しみさえ抱いていたかも知れない。
さすがに追いかけていても疲れだけしか残らなくなると、追いかける気力もなくなってくる。自分の中で別れを納得したのだが、そのための代償はあまりにも大きかった。最初は、自分に非はないと思い込もうとしたのだが、それで納得できたことの辻褄が合わなくなる。
まわりの人にも優しかったはずの自分を忘れてしまっていた。すべてがわざとらしく見えて、気を遣いあっている姿などを見るとじれったくてたまらなくなる。
おばさんたちの会話で、
「これつまらないものですが」
といって渡されたものを、
「あら、そんなことされては困りますわ。こんなに高価なもの、お気を遣われなくても結構ですのに」
と言いながら、さりげなく中身を探ろうとする姿、あまりにも露骨に見えることに気付いていないのは、本人だけである。
――自分の優しさも露骨だったのだろうか――
考え込んでしまう。
そんな気持ちの中見る夢に出てくるのは、なぜか母親だった。自分がマザコンだと考えたことはない。むしろある程度の年齢を超えると母親を意識しないようにしている思春期の少年と同じだった。だが、夢では出てくるのだ。無意識の中で潜在しているものがあるのだろうか、自分でも分からない。
そんな時の母は恥じらいの表情を見せている。もちろん普段見せたことのない顔なのだが、よく見ると、表情は初めて抱いた時の女性の顔のように見える。
――母親に対してなんて不謹慎なんだ――
と思うが、目の奥に焼きついてしまったその雰囲気は、自分が捜し求めている女性を見ているような気がして仕方がない。
忘れてしまっていた夢を突然思い出すことがある。ゆっくりと思い出すのではなく、いくなり記憶の扉が音を立てて開く。聞こえるはずのない音が聞こえてくるようでおかしな雰囲気だ。
記憶の奥に封印された夢が出てくるのだが、封印されるだけあって思い出したくない夢も多いだろう。しかし中には夢を見ている時に忘れてしまいたくないと思っている夢を思い出すことがある。それは思い出したくない夢を思い出すより偶発的で、
――どうして思い出してしまったんだ――
と却って後悔したりする。
夢にはどうしても潜在意識が付きまとう。見たい夢、見たくない夢、そのどれにも潜在意識があり、見たい夢であっても、見たくない夢であっても、起きた時に背中にはじっと栄とした汗が残っている。
忘れてしまった夢をいきなり見たと感じる時、
――この夢って何度目に見る夢なのだろう?
と考えたりもする。一度思い出した夢だから以前にも思い出したことがないとどうして言えよう。元々いつ見た夢かすら分からないのに、
――忘れていた夢なのだ――
と思い切れることが不思議である。
いきなり見たといっても夢を見始めてすぐに思い出すわけではない。夢を見ているという自覚を徐々に感じ始め、夢ならばと考えていくとそれが以前にも見たことがあるという記憶に行き着くのである。
「現実が夢になり、夢が現実になってもいいじゃないか」
大学の頃の友達といつもそう話していた。その頃に見る夢は所詮、経験のない青二才が見る夢である。たかが知れていた。
だが大学を卒業してから見る夢のほとんどが大学時代の夢というのも皮肉なものだ。大学時代が一番人生を真面目に考えていたのかも知れない。一生懸命だったのは紛れもない事実で、今から考えれば学生の戯言に思えるが、戯言も的を得ているかも知れないと考えるようになったのも、忘れてしまった夢を突然思い出すからかも知れない。
忘れてしまった夢を思い出すことが何度か続くと、それが本当に夢だったのかを疑いたくなってくる。ひょっとして、実際にあったことで、忘れてしまいたいことだってあるかも知れない。それがトラウマとなってしまって、自分で訳が分からなくなってしまうということだってありえないことではない。
未来の夢を見ることもあった。あれは高校の頃だっただろうか、結婚して幸せな生活を送っていたのに、いきなり襲ってきた離婚という事実。まだ結婚もしていないのにその恐ろしさが分かるなど、不思議だった。
しかし、それからしばらくして両親が離婚した。父親に引き取られた都筑はすぐに受験勉強と称して一人暮らしを始めたのだ。
どうやら父も一人になりたかったらしく、生活費は出してやると言ったのがその証拠だろう。元々一人が似合っていた父の後姿を見た時、何度も垣間見たことがあったように思えたが、それも夢の中で見たのだと思えば納得がいった。
両親の離婚を機に一人暮らしを始めたが、最初は不安だった。一人というのがどれほどのものかを経験していなかったからで、元々が寂しがり屋だと思っていたからだ。だが、実際に一人暮らしをしてみるとそれほどでもない。一人が似合うとまでは言わないが、一人には一人でいいところがある。いろいろなことを考えるのが好きな都筑は、一人で瞑想に耽っていることもあるくらいで、そんな時は時間を感じない。
高校の頃の都筑にとって何が一番恐かったかというと、
――時間というものが果てしなく前が見えない時だ――
と思っている時であり、たった五分が一時間にも二時間にも感じられる時が言い知れぬ不安に襲われる時であった。そんな時、いろいろなことを瞑想していると時間を感じることもなく不安もないのだ。感覚が麻痺しているとでもいうのだろう。それこそ夢を見ているようだ。
夢というのが、自分にとっていいか悪いかは自分が決めればいいことだ。しかし、ではその比較対象はどこにあるというのだろう。比較対象がなければいい悪いの判断ができないのは、きっと頭が数学的な考え方をしているからだろう。
どうしても理屈っぽくなってしまい、判断力が鈍ってしまうと、そこからは不安感しか湧いてこない。それが誰にでも言えることだと気付いたのは大学を卒業してからだった。先に対して希望を持つ反面、どうしても募ってしまう不安を払いのけるには、実際に社会に出てみなければ分からないからだ。そんな時に両親が喧嘩をしていたのを思い出す。
露骨な言葉を言わないようにしようと思っている分にはいいのだが、一旦どちらかが言ってしまうと、後は堰を切ったように汚い言葉で罵り合う。言葉の暴力の応酬に、聞いているだけで悪寒が走る。呼吸困難に陥りそうなくらいで、いつ矛先が自分に向いてくるか不安で仕方がなかった。
どうしてそこまで喧嘩が激しくなるか分からなかった。しかし多感な青春時代、しかも自分のことを分かっていない頃で、自信のない時だ。被害妄想になるのも仕方がないことで、自分に非があるような気がして次第に自分の居場所が狭くなってくるのを感じてしまっていた。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次