短編集81(過去作品)
いろいろなカップルを見ているが、男は皆自分である。数箇所で繰り広げられる別れの場面、しかし、皆の顔を確認できたのは一瞬、後はシルエットに包まれている。シルエットということは、向こう側が明るく、手前が暗い光景である。
しばらくすると、音が復活してきた。ザワザワとしている音を感じることができる。スローモーションのように繰り広げられていた別れの場面、まるで空気が凍っていたようだ。それが一気に覚めてくると、色が復活してくる。スローモーションが繰り広げる世界、それは色のない世界だった。なぜなら奥から当たる光が強すぎて、すべてがモノクロに包まれるからだ。
夕焼けの当たる世界に似ている。トンネルの中で見るハロゲンランプの黄色い世界に映し出された世界のようでもある。
車の事故が一番多い時間帯があるという。
それは夕方のある一定の時間だというのだが、いわゆる魔物が出る時間帯だとして昔から恐れられている時間帯でもある。車のなかった時代からその時間帯は不気味なものだったのだ。風が止まって凪となる時間、そして何よりも色がまったくなくなる時間帯。そんな時間帯が昔から魔物が出る時間として恐れられていた。
匂いも少しあるようだ。記憶の中にあるその時間帯は、工場からの煙突の匂い、そしてゴムの焼けるような嫌な匂い、どちらかというといいイメージはない。だが、子供の頃に遊んでいた公園の近くの家からいつも匂っていたハンバーグの匂いも忘れられない。
「この時間帯を想像した時に思い出す匂いは?」
と聞かれれば、間違いなくハンバーグの匂いだと応えるだろう。食欲をそそる匂いなのに、工場の匂いまでが一緒になって思い出されてしまう。不思議な時間帯でもある。
そんな時に思い出す音は工場から響いてくる打撃音と、飛行機の飛ぶ音くらいであろうか。時たま聞こえてくる車のクラクションの音も忘れられない。都会のど真ん中に住んでいると、音から逃れることは不可能なのだ。きっと静かな世界で暮らしていると一日で気が狂いそうになるかも知れない。普段感じている時間の何倍もまったく動くことのない世界が広がっていて、想像を絶するものであるに違いない。耳鳴りだけが真実で、あとは自分の意識が及ばない世界である。
小学生の頃に、よく広っぱで横になって空を見上げていたものだ。青いというにはあまりにもグレーが掛かった空だが、まだらになった雲の向こうに真っ青な空が広がっているという意識はあった。飛行機に乗ってみたいと思う理由の一つに、
――真っ青な空を見てみたい――
という思いがあるのも事実である。
喫茶店の中の男たちはさまざまな格好をしている。コーヒーを片手に、新聞を読んでいるサラリーマン、目の前の女性に一生懸命に話しかけている大学生。女性と一緒にいるにもかかわらず、話をすることもなく、目の前を飛び立つ飛行機に集中している。女性も同じことで、ただお互いに会話のタイミングを図ろうとしているのが分かっている。
そのすべてが自分に見えているのだ。表情はもちろんのこと、すべて自分として見れるのは、夢だからである。第三者として夢を見ているとすべてを見渡すことができ、目が覚めると覚えていないのは、それだけ夢の中の印象はあくまで潜在意識の範疇を超えることがないからだろう。
その中の一人がその日の主人公の自分である。
――前にも同じような夢を見たような気がする――
いわゆるデジャブー現象というものだが、夢がすべての登場人物に自分を見せているものなら、何度も同じようなシチュエーションを見せても不思議ではない。そのために一度見た夢を再度見ることだってもあるはずだ。
空港の夢を見るのは何度目だろう。最初は漠然と旅行に出かけたいという願望が見せるものだと思っていたが、何やら空港に思い入れがあるからではないかと思えてきた。いつもそれが空港の夢であっても、同じ喫茶店での光景だとは限らない。だが深く印象に残っているのがこの光景である。思い出すのは小学生の頃であろうか。
ちょうど近くにある空港のターミナル改装があり、それまでは飛行機に乗るためだけに利用するだけといったイメージが強かったが、大きな窓から見える壮大な滑走路、そしてその上を滑るように走っていく巨大な鉄の塊、前面ガラス張りなのだが、いかにも別世界を見せられているようで、大パノラマと聞こえてくる轟音に、目が離せなくなってくるのも当然だった。
よく母親が連れてきてくれた。空港に知り合いがいたらしく、喫茶店に連れてきてくれて、母は都筑が滑走路の大パノラマショーに集中している間、少しだけ席を外していた。帰ってきてからの母の顔は少し赤み掛かっていて、少し雰囲気が違った。満足感に溢れている顔は、夢の中で都筑の話を一生懸命に聞いている女性の顔に浮かんでいる表情に似ている。
夢の中で、母親に似ている女性の顔を見ていると、目の前に座っている自分の顔が少しずつ変わってくるように見える。はっきりと誰かの顔になるわけではなく、だが、その雰囲気は明らかに自分とは違うものだ。母の顔も、普段見せることのない楽しそうな顔に見え、会話に集中している。満面の笑みを浮かべていて、母のそんな顔を見たことがないくせに初めて見るとはどうしても思えない。
小学生の頃の自分が時間の感覚が曖昧だったことを思い出していた。
――本当に母親はすぐに帰ってきたのだろうか?
三十分くらいのつもりだったが、
「数時間じゃなかったのか?」
と言われれば、
「そうだったかも知れない」
と答えるしかない。夢を見ていたのではないかと言われれば、そうだったようにも思える。しかし、夢で見る母が普段見せたことのない楽しそうな表情は、どうしても見たことがあるように思えてくるのだ。
顔が紅潮していて、肌がつるつるである。完熟したリンゴの皮を見ているような光沢が夢とはいえ、暖かいものを感じさせてくれる。楽しそうな母の顔を見て思わず微笑返しているのは本能ではないだろうか。
シーンと静まり返った空気を切るかのように窓際に座って飛行機を見ていた自分に話しかけてきた声に反応し、皆が一斉に振り返る。その瞬間だけ、すべての自分の存在をその時の主人公である自分が知るのである。
「ねえ坊や、熱心に見ているけど、どこかに行ってしまいたいって気分になっているのかな?」
母よりも少し若い感じのおねえさんに話しかけられた。女性の年齢が分かるはずもない小学生という年頃なのに、パッと見て二十歳前後に思えたのは、知り合いの雰囲気に似ているからだろう。その人は家の近くに住んでいて、保険の外交員をしていた。
保険の外交員といえば、ほとんどが「おばちゃん」という雰囲気があるが、その人は違った。出会いは朝、よくテレビの朝の番組の途中に入っているCMソングがどこかから流れてくるのが聞こえ、お腹が空いていて、奥の方から漂ってくるタマゴを焼く匂いが食欲をそそった。
「どこかに行きたいって思うことはあるよ。でも、ここで見ているだけでいいんだ」
何がいいのか自分でも分からないが、おねえさんの目を見ていると、思わずそう応えていた。まるで自分が大人になったような気がして、最初に「坊や」と言われたことへの反発もあった。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次