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短編集81(過去作品)

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 その時の加奈子は本当に中西を見ていたのだろうか? 後からその時の話をすることはなかったし、それ以降急速に二人は仲良くなっていったこともあって、あまり詮索したくなかったのだ。
 落ち込んだら激しい性格だというのを知ったのも、それからだった。楽天家のように見えた加奈子も、時々見ていて何を話しかけていいか分からないくらいに落ち込んでしまうことがあった。それは中西にもあることで、躁鬱症のようなものである。
 来る時は一緒に来ることが多かった。それだけに相手の気持ちも分かるのだろうが、その時はそれどころではない。自分が何者であるかということすら分からない状況なのに、人のことなど考えられるはずもないのだ。
 人の顔を見るのさえ嫌で、表情がすべてわざとらしく感じる。わざとらしく感じられる自分も嫌で、まわりと関わりたくないと思ってしまう。
 まわりも分かっているのか、関わってこない。関わってこられれば露骨に嫌な顔をすることだろう。人との交わりを極端に嫌う時期、人恋しさもあるのだが、普段の人恋しさとは違う。本能から来るものなのだろう。
 本能という言葉、欝状態の時にいつも考えていることだ。
――早くこんな気持ちから逃れたい――
 最初はそれだけでいっぱいだ。だが、そのうちに環境に慣れてくるのか、時間が経てば治るのを分かっているため、時間の経過ばかりを気にしてしまう。
 時間の経過を気にしている時というのは得てして時間が経たない。
――もう、一時間は経っているだろう――
 と思い時計を見るが、まだ五分も経っていなかったりする。
 時計ばかりを気にしてしまう。これだけ時間が経たないのであれば時計など見ても同じなのに、時計を見ないでは気がすまない。
 欝状態というのは袋小路に入ってしまう時期なのだ。時間が経たないのは、きっといろいろなことを考えているからだろう。しかもその範囲は非常に狭い。だから考えていてもいつも同じところに帰ってくる。それこそ下手な考えなのである。
 中西は物忘れがひどい。中学の頃まではそれほどでもなかったのだが、高校に入った頃から徐々に覚えられなくなっていった。
 最初は覚えられないなどという意識はなかった。それがそのうちに宿題が出ていても、出ていたことすら忘れてしまっていて、まるでわざと宿題をしていないのではないかと疑われるくらいだ。
「お前は一体どうして言われたことをしないんだ?」
 と言われたが、まさか覚えていないからだとも言えずに黙り込んでしまう。元々、小さい頃から、
「言い訳してはいけませんよ。言い訳はもっとも恥ずかしい行為ですからね」
 そう母親から言われて育った。母親はどうやらあまり苦労を知らずに育ったようだ。言葉遣いが上品だし、品を感じる。そんな女性がどうして片田舎の漁師の父を結婚したのか分からないが、少なくともそこに政略的な匂いを感じるのは中西だけではあるまい。
 そういえば親戚のおばさんが自分の旦那さんに話していたっけ、母は名前を麻美というのだが、
「麻美さんの品のよさは、きっと血筋なのね。やっぱり武士の出なのかしら?」
「ああ、そうだろうね。我々民衆とは違うんだよ」
 民衆という言葉も、さすが田舎の発想を感じさせるが、武士の出という発想も、一体いつの時代なのかと言いたい。
 田舎の人というのは両面の顔を持っている。人当たりのいい面と閉鎖的な面である。それは違う人の中に現れるのではなく、同じ人の中に存在している。最初は人当たりがよくても、
「この人は馴染まない」
 と思えば、そこから先は手の平を返したように、話をしなくなる。それが田舎の特徴だ。
 そんな中で育った中西は、純情すぎるくらいの性格である。
 疑うことを知らない性格といえば聞こえはいいが、自分が可愛いのだ。いつも逃げ道を模索していたようで、分かっていることでも都合の悪いことは知らん振りをしていた。まわりがそのことを知っていたかどうかは定かではないが、知っていたと感じることもあってか、時々まわりの目が恐くなる時がある。
 それが被害妄想に繋がる。
 子供の間はそれでもまだ許されるが、大人になるにつれて許されなくなるのを感じる。きっとまわりにいる人を意識し始めたからであろう。特に異性に興味を持つようになると、どうしても自分を顧みてしまう。相手を知りたいと思うのは、自分を知りたいということの裏返しだと気付いたのは、大学に入ってからだった。
 高校生活は都会の高校へ進学し、二時間近くかけて通学していた。最初はそうでもなかったが、そのうちに毎日が億劫になってきて、電車に乗ること自体が嫌になっていった。
都会へ出ることへの違和感はなかったのだが、田舎しか知らないために、人の目が恐かった。きっと田舎者だという目で見るに違いない。それならそれで構わないと思うのだが、本当に好きな人ができて田舎者という目で見られるのは辛かったのだ。
 加奈子とは高校入学を機に別れた。田舎の高校へ進学した加奈子の目には都会の高校へ進むといった中西がどのように写ったのだろう。
 加奈子と最後に話したのは、夕日の見える丘だった。彼女が最後に丘の上からの景色を見たいと言ったからだ。
「そんなに気に入ったのかい?」
「ええ、あれほど綺麗なところは今まで見たことないわ」
 加奈子と一緒に丘の上までくると、目の前を真っ赤に染める夕日が海を照らしていた。にもかかわらず最初に見たのと同じように海の色は真っ青だった。まるで意地でも負けないという気概を感じるほどだ。
「まるで砂丘を思わせるわね」
 同じことを思ったのを思い出した。
 最初に見たものを親と思い込むというのはツバメのことだったろうか? たとえは違うが、人間も最初に見た印象が忘れられないということは往々にしてあるものだ。最初にインパクトの強いイメージがついてしまった中西の頭から、真っ赤な砂丘が離れることがなかった。砂丘を思い出していると風の勢いをまともに感じ、頬の感覚がなくなるほどである。砂丘のどこが赤いイメージなのか分からないが、中西にとって、砂の紋も波の紋も同じものに思えて仕方がない。
 それにしても真っ赤に染まったまわりに影響されることなく、真っ青を貫いているなどアッパレなものだ。海からの反射も、夕日の赤さも、すべて海の青さには何ら影響を与えていない。
 中西は時々自分の性格を顧みることがある。強情なところもあれば、すぐに妥協してしまうところがある。人から見ればすぐに妥協してしまう自分が写っているだろう。あまり我慢することを知らないからだ。
 田舎で暮らしていれば我慢することをあまりしなかった。すべてを、
――仕方がないことなんだ――
 で済ませていた気がする。何か理不尽なことがあったとしてもそれは自然相手、台風だったり時化だったりと、天候などに左右される生活をしていたので、相手になるわけもなく諦めるしかなかった。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次