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短編集81(過去作品)

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原動力となった男



                原動力となった男

 中西洋二がその男に出会ったのは、夕日が水平線の向こうに見える山に沈もうとしているまさにその時間だった。後ろにはすぐに山が迫っていて、その途中を蛇行するかのように線路が走っている。
 ローカル線で車両も二両編成、夕方になると夕日を浴びながら走っていく。都会ならラッシュの時間なのだが、田舎ではそんなこともない。実にのどかな光景だ。
 夕日が沈む方向と朝日が昇る方向は正反対だが、どちらも山が中心である。入り江になったところに村があるからだ。
 中西は中学生だった。学校までは、後ろに聳える山を二つばかり越えていかなければならず、山道を毎日歩くことで結構な運動になっている。同じ村から通う友達もおらず、いつも孤独な通学となっていた。だが、本人は孤独だとは思っていない。家にいて親が漁に出ていたりして孤独なこともあるが、学校へ行っている限りそんなことはない。友達と話すのも好きだし、話をしなくとも、まわりに人がいるというだけで安心できるのだ。
 学校からの帰り道、いつも夕日を見ることになる。山の上から見下ろす内海は最高で、細波がまるで砂丘の紋のように細かい等間隔を表している。
 色も真っ青に見えていたものが、次第にオレンジ掛かってきて、色の移り変わりが美しい。波とのコントラストが微妙で、グラデーションのハーモニーを奏でていた。
 もちろん、中学時代にそんな洒落た言葉が思い浮かぶわけもなく、大人になって思い出して表現できるようになった。その頃の思い出があったためか、大学時代に一人でフラリと旅に出るのも、夕日を追い求めてかも知れない。
 夕日の綺麗なところだと言われれば、どこにでも行ったものだ。あまり観光地化されていないところばかりを中心に探してくる。
 予定を立てての旅をしたことはなく、いつも行き当たりばったりだ。行き着く先にあるものはおいしい魚と喉の乾きを誘う潮の香りだった。
 中学時代に見た光景は、よく夢の中でも出てくる。夕日を見ていると時間を感じることもなく、気がつけばあたりに闇が迫ってきている。夜の帳が下りてくるというが、水平線よりも上はすでに真っ青、波の音だけが繰り返し聞こえてくる。
 夢の中ではどこからか明かりがついているように感じる。真っ暗なはずの波が光って見えるからだ。どこかで漁船がライトを照らしているのだろうか? それにしては蒸気の音が聞こえない。それどころか、音はすべて空間に吸収されていて、耳鳴りだけが奥の方で響いている。
 夕日の光景があまりにも鮮やかで、他の景色を見ている時よりかなり遠くまで見えてきそうな勢いだった。だが、夕日はどこか気だるさを感じさせる。埃が上がっているかのようなごく小さな粒子が塵のように目の前から舞い上がっている。ハッキリ見えすぎる伏線であるかのように見えてくるのだ。
 目の前よりも遠くの方がハッキリと見えてくる。目の前がハッキリ見えるのは当たり前だという先入観に基づいているからだろうが、それにしても鮮やかだ。
 学校の帰り道で疲れているにも関わらず夕日を見ないと落ちつかない。一気に疲れが襲ってくるにもかかわらず見ていたいのは、日課になっているからだけではあるまい。
 犬の鳴く声が聞こえる。いつも峠に差し掛かると犬の鳴き声を感じるのだが、狼に聞こえなくもない。森に囲まれた山頂から杉の木立が見えるが、杉の木立にこだまして聞こえるのか、幻だとは思えない。まるで遠吠えのような声は、満月に向かって吠えるオオカミ男を思わせる。
 峠を下ると、今度はまわりに木など生えておらず、オレンジの夕日をいっぱいに浴びることができる。その時に初めて自分の目の前に広がった粒子を見ることができるのだ。
 中西は小学生の時の修学旅行を思い出していた。砂丘に行ったのだ。その時に見た果てしない砂の山は忘れることができない。田舎に住んでいれば少々の壮大な光景に驚かないだろうと思っていたが、自然の驚異の果てしなさは、まだまだ想像の域の及ぶところではない。
 砂丘といえば、不思議な映画を見たことがあった。時間をテーマにした不思議な映画で、やたらと柱時計が埋まっているシーンが印象的だった。埋まっているのは当然砂の中、そこには細かい紋ができていて、風に靡きながら、まったく変えることのないその姿の壮大さに恐れ入っていた。
 ゆっくりと砂丘の山を目指す一人の男、風が正面から吹いていて、髪の毛がかなり乱れている。前をまともに見ることができないほどの風なのに、決して顔を背けたりせず、男はしっかりと前を見ながら進んでいる。時々よろけながらであるが、芯はしっかりしている。
 男の姿が次第にフェードアウトしてきて、まわりがハッキリ見えるようになってきた。足跡が一直線に繋がっていて本当にアリが歩いた跡のようである。西日の風景とは少しかけ離れているように思うが、まわりに遮るものが何もなく容赦なく照りつける太陽が、真っ赤なものだということを暗示させる映画だったことが印象的だった。西日も最初は黄色いものだと思っていたが、よく見ると赤い色に感じられるのは、夕焼けを見てからだろう。
 夕焼けは決まった時期に多いようだった。次の日に雨が降ったりしたのが印象的だったが、それも後から思い出して感じることだった。
 田舎にいると閉鎖的になってしまう。特に入り江のようになった小さな漁村では、自分の行く末が生まれた時から決められているように思えてならない。
 だが、それも今は昔、自分が中学くらいの頃に二十歳になる人たちは、皆都会へと出て行く。漁村のまま一生を終わるなど真っ平ごめんである。自分の人生にもいくつかの選択肢が増えたようで、精神的にも少し余裕ができてきた。
 小学生の頃までは選択肢について考えたことはなかったが、中学に入り、街の中学に通い始めると考え方も変わってくる。友達も増えてくると、多感な十代後半になってくるにつれ、異性への興味も表れる。
 思春期に突入してくると、顔にはニキビが表れ、身体の変化を序実に感じるようになる。女性を見ると敏感に反応することが恥ずかしく、男としての自分に気付く前にオドオドしてしまい、自分ではないような錯覚に陥ったこともあった。
 好きになった女性と一緒に帰ることもある。帰り道が同じということも中西には嬉しかった。名前を加奈子と言った。
「一度、山の上からの夕日を見せてあげたいですね。本当に綺麗なんですよ」
 と声を掛けたこともあり、
「ありがとう、楽しみにしているわ」
 と約束してくれた。
 だが、加奈子との関係については中西も人に聞かれれば何と答えていいものか分からなかった。付き合っているという意識はあるのだが、どちらからか告白したわけではない。
「ただのお友達です」
 と言われても、
「はい、そうです」
 と答えてしまいそうである。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次