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短編集81(過去作品)

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 田舎にいる時に感じたのは、閉鎖的な世界を大切にしている人たちの中で、自分たちの法度がキッチリ決まっているということだ。今の世の中で法度など信じられるものではないが、都会との違いはそこにある。それもそれぞれの人が自分たちで理解しているから成り立つのであって、理解していない人は村八分なのだ。都会から来たというだけで、最初は好奇の目で見られたが、それに騙されてはいけない。人との交流の暖かさは、本当に自らが発掘するものでないといけないことに気付いたが、もう遅かったのだろうか?
 田舎にいられなくなったのも、それが原因だった。母はノイローゼのようになり、父もそれを見て心を痛める。田舎に引っ越したがために通勤がきつくなった父に、このプレッシャーは毒だった。
 母が神経を痛めて入院するとすぐに、父も過労で入院する。保険などで、何とか生活はできたが、結局また都会の生活へと逆戻りすることになった。
 この時ほど人間というのが恐くなったことはなかった。
――喉元過ぎれば暑さも忘れる――
 という言葉どおり、今はすっかり精神的に立ち直ったが、心のどこかにわだかまりとして残っている。トラウマというやつだろう。
 この時が人生の中で一番辛かったかも知れない。すべてのバイオリズムが下降線を辿り、悪い方へと向かうのが手に取るように分かったのだ。
 被害妄想に陥っていたのもこの時だった。まわりの目がすべて偏見に満ちた眼差しに見えて、萎縮してしまう。
――人の目がどうしたっていうんだ。自分さえしっかりしていれば気になるものではない――
 と感じていたのは小学生の頃。その頃は自分が人からどんな目で見られているか知っていたのかも知れない。知っていて気にすることもなく過ごせたのだ。まわりを気にしないということに疑問を感じ始めると、もうだめだった。まわりがどんな目で見ているか、それを考えただけで、人の顔をまともに見れなくなるほどだ。
――同じ人間なのに、なぜそんなに気を遣わなければならないのか?
 自問自答を繰り返すが、気にしないわけにはいかなかった。きっと、まわりが見えるようになったからに違いない。まわりが見えてくると、まわりの中の自分が見えてきて、やらなければいけないこと、やってはいけないことの判断をその都度しなければならなくなる。それが辛いのだ。
 人から責められる。言い返しができているうちはいいが、できなくなると完全に萎縮してしまって自分が何をしなければいけないのか、どれだけの量があるのか、さらには、今自分が何をしているのかすら分からなくなる。袋小路への入り口である。
 そのうちに鬱状態がやってくる。やってくるということを感じていると確実にやってくるのが欝状態。
 すべてが後ろ向きだ。
 物覚えが極端に悪くなってくるのも欝状態の特徴で、覚えられないと分からないことが蓄積されてくる。根本から聞かないと分からないにも関わらず、
――今さらこんなこと聞けないよな――
 という思いに陥ってしまうのも、萎縮してしまっているからだ。笑われるのが嫌なわけではないが、やはり人間関係にまでひびが入ってしまうのが恐い。口にできないでいると、分からないことが増えていき、そのまま山積みになってしまう。山が袋小路を作ってしまうのだ。
 だが欝状態から脱出できれば、後は脳天気な自分が戻ってくる。少々のことではびくつかない。
――大したことじゃない――
 と思えてくるのだ。考えなければならないことでも、
――まあ、いいか――
 典型的な楽天家に豹変するのだ。気がつけば袋小路を抜けている。いつものパターンのはずなのに、
――いずれ抜ける欝状態だ――
 という意識はあるものの、実感として湧いてこない。それだけに他の人から見ると不思議で仕方がない性格なのだろう。
 躁状態になって女性と知り合うと、必ず付き合い始めることができる。富松の方からのアクションというよりも相手からのアクションと言った方がいい。性格的に気に入ってくれていると思っているのだが、別れも突然訪れる。
――あれだけ好きだって言ってくれたのに――
 富松と付き合う女性にハッキリものをいう女性が多いのは、富松自身がハッキリとものをいう性格だからだろう。
――最初に自分のことを分かってもらいたい――
 と思うからである。世の中が二種類なように、男も二種類なのだろう。もう一種類は、
――まず相手のことを分かりたい――
 と思うのであって、どちらが先がいいかなど、まるで禅問答のように思う。
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
 というパラドックスに似ている。
 別れが突然なのは啓子さんも同じだった。優越感が劣等感に変わる時、それが啓子さんとの別れだったように思う。啓子さんの顔がいつもと違って見えたように思う。躁状態から欝状態への変化を感じていたのはそんな時だったのだろう。
 女性との別れの原因は常に富松側にあった。自分では分からなかった微妙な変化を敏感に察知して、女性は離れていく。
 おねえさんを好きだったのは間違いないが、それが女性として見ていたかどうか定かではない。初恋だったのだと今では思うことができるが、女性として意識していたものではない。
 だが、一番思い出すのがおねえさんだというのはどういうことだろう? 啓子さんと付き合い始めたのも、その後ろにおねえさんの面影を見たからだ。最初にインパクトを与えられたイメージがそのまま自分の中で急速に大きくなって行ったのかも知れない。
 啓子さんとの付き合いは実に純粋だった。相手も自分も異性と付き合うのは初めて、お互いに相手のことを思いやっていたので、別れが訪れるなど考えたこともなかった。
 躁鬱が、女性との恋愛に大きな影を落としていたのは間違いない。富松と別れた女性が他の男と付き合い始めたということを聞いたことはなかった。
 だが、大学時代に付き合っていた聡子という女性がいるのだが、彼女に関して不思議な噂を聞いた。
「彼女はレズなんだって」
「レズ?」
「ああ、女性同士の愛ってやつかな? しかも彼女が男役らしい」
 艶めかしい言葉でも平気で言える友達が羨ましかった。それにしても付き合っている時にはまるでネコのようなしなやかさで男を魅了するタイプだと思っていた聡子が、男役を演じるなんて信じられない。だが、それも男性の目から見るから感じることなのかも知れない。女性から見ればしなやかな身のこなしが美男子のような雰囲気を醸し出しているとも言えるのではないだろうか。
 女性の中にはガサツな男よりもしなやかな女性に愛されたいと思う人もいるだろう。そんな女性に聡子は自らの身体で答えられるのだ。
 まわりはアブノーマルだというだろうが、富松は決してそうは思わない。聡子という女性を知っているから言えることで、他の人の知らない聡子を知っている証拠でもあった。
 とかくこの世は男と女しかいないのだ。男にも女にもいろいろな性格の人がいるが、結局はいつも誰かを愛していないと気がすまない人が多い。もちろん愛されたいという気持ちをその裏に持ちながらである。
 世の中すべてを二つに分けることができる。そう考えていくと、必ずどこかで辻褄が合ってくる。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次