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短編集81(過去作品)

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 富松がおねえさんのことを気になり始めたのは、啓子さんと知り合ってからだった。いつも一緒に朝出かけていたが、富松は小学校、おねえさんは中学校と近くではあったが、潜る門は違っていた。門をくぐる時、何とも言えない寂しさを感じていたのは学校に行くのが嫌だったからだと思っていたが、啓子さんと知り合って、
――おねえさんとの別れを連想させる――
 と感じたからだと気付いたのだ。
 おねえさんはどうだったのだろう? アッサリと手を振ってニコニコと中学へ向かう後ろ姿を頼もしそうに見つめていたのを思い出す。それも寂しさがさせる思いだったように思うのだ。
 啓子さんは最初会った時は、子供っぽさを醸し出しているように思えて仕方なかったが、よく見ると大人の色香を感じさせる。やはりきつめの表情が大人の女性のキリッとしたところを連想させるからだ。
 今から思えば啓子さんも二重人格だったように思う。
――だった――
 と感じるのは、おねえさんにも感じていたからだ。富松に対する態度と、他の人に対する態度は明らかに違っていた。それが富松にとっては嬉しいことであったのは間違いなく、男性として感じる最初の思いだったのではないだろうか。
 だから初恋の相手は誰かと聞かれれば、
「あの時のおねえさん」
 と答えるだろう。
 おねえさんの名前は何と言っただろう。思い出せない。いつもおねえさんと言っていて名前で呼んだことはなかった。いや、呼んだような気がする。その時のおねえさんの表情が怪しく歪んだのを思い出した。
 紺色の学生服に身を包み、公園のベンチで一緒に座っていた。何を話すというわけではなくお互いに黙っている。普段は他愛もない話をする富松に対し、おねえさんはニコニコ黙って聞いているというのがパターンだった。しかし、その時のおねえさんは積極的に話をしていたように思う。穏やかな顔に真剣さが加わった顔を初めて見た瞬間だった。
 その時の顔が、啓子さんに似ていたのかも知れない。公園のベンチで座っている時、西日がマンションの影に隠れかけていた。田舎で見る山に消えていく太陽に比べれば、幾分か大きく感じる。
 明るさはハッキリとしない。淀んだ空気に中で粒子の舞う中での夕日に黄昏を感じるのは、小さい頃からの記憶が大きく作用しているからだ。
 おねえさんの顔がオレンジ色に染まっている。汗が吹き出しているのが分かるくらいにまともに当たっていた。瞳は茶色に光り、見つめる瞳にドキリとして、思わず目を逸らしそうな衝動に駆られていた。
 どれくらいの時間が経ったのか、お腹の減りを感じる。ハンバーグの焼ける匂いがどこからかしてくるのを感じ、思わずお腹が鳴った。
 おねえさんはそれに気付いていないのか、表情がピクリともしないまま、たまに富松を見つめたかと思うと、すぐに顔を正面に向ける。
――鼻が特徴なんだな――
 と思うほど高い鼻にそれまで気付かなかったことに少し悔やんでいたりした。
 富松が啓子さんを意識し始め、おねえさんを思い出したのは、頭の奥に封印していたはずの記憶がよみがえってきたからだ。おねえさんを思い出したのは偶然か必然か、それだけ啓子さんの印象があまりにもおねえさんに似ていたからだろう。
 啓子さんと親しくなって、初めて口付けをした時、相手の顔があまりにも小さく感じた。
――こんなに小さな顔だったかな?
 と思ったのだが、暗がりの境内で、
――何とバチ当たりなことをしているんだろう――
 と思いながらも、啓子さんは平気だった。普段は信心深い田舎の人も、一旦度胸を据えると、信心も何も関係ないのかも知れない。
 それとも啓子さんという女性の性格だろうか。富松は終始、
「啓子さん」
 と呼んだ。呼び捨てにしても構わない仲なのだろうが、なぜか呼び捨てにできる相手ではなかった。高校の途中から都会に出たのだが、大学に入った頃には開放感からか、数人の女性と付き合った。彼女たちをすべて呼び捨てにした富松は、今でも啓子さんのことは「さん付け」で呼ぶ。
 中学を卒業すると、啓子さんとは別れていた。別れてから、
――どんな付き合いだったんだろう?
 と何度思ったことだろう。口付けまでは違和感なく進んだのだが、それから以降、すぐにぎこちなくなってしまった。どちらかが意識し始めたのだろうが、きっとそれは富松の方だったに違いない。今から思い出してもウブだった中学時代。都会からやってきたという優越感があるだけで、あとはただの子供に過ぎなかった。田舎の子供より考え方は幼く純粋だったかも知れない。
 そういう意味での「さん付け」なのだろう。頭が上がらなかったという意識はないが、気がつけば終始リードされていたように思う。その意識がなかったのは、田舎に対する優越感が強かったからだ。
 しかし、啓子さんと別れてから、自分の中での優越感が劣等感に変わっていくのを感じた。田舎の人が閉鎖的だということに気付き始めたからだ。それまでは、啓子さんを通して田舎の人を見ていたのでそれほどでもなかったが、啓子さんを通さずにストレートに見ると、まわりの目の厳しさを思い知るのだった。
 それまでいろいろ尽くしてくれた近所のおばさんたちが何もしてくれなくなる。それは別に当然のことで、都会では当たり前のことである。しかし、ここは都会ではないのだ。横のつながりを一番大切にする田舎だということに気付いていない。閉鎖的だということは聞いていたが、これほど急変するとは思ってもみなかった。
 噂が噂を呼ぶ。次第にまわりから孤立してくると、誰も相手にしてくれなくなる。何しろ情報源がすべてのコミュニケーションを司っているために間違った情報が流れると、それがすべてになってしまう。しかも純粋な田舎の人たち、間違ったものをそのまま信じてしまって、疑いを晴らすのは至難の業だ。家族が都会にまた移り住んだ時は、逃げるようにして出て行ったのを感じていた。
――やっぱり都会がいいな――
 まわりに何があっても無頓着、マンションの隣の部屋で人が死んでいたとしても、誰にも発見されず、数ヵ月後に発見された時には白骨化していたという話を聞いたこともある。だが、それでも一旦田舎で村八分に遭った者から考えれば、まだマシなのかも知れない。
 都会に戻ってくると、まわりがハッキリと見えてくる。田舎にいる時は漠然としていたのだが、
――世の中がすべて二つのものに分けることができるのではないか――
 と思えてくるのだ。
 田舎にいる時になぜ気付かなかったか?
 それは田舎が閉鎖的で人の気持ちを表に出しているわりには実に相手の気持ちが分かりにくいからだ。その点、都会はうちに篭っているわりに、人の気持ちが分かりやすい。きっと相手のことをあまり考えていないからだろう。自分に関係のあるところでの人間関係は積極的なのだが、それ以外まで頭が回らないのか、特に近所づきあいなど二の次のようだ。
 しかし、その二つの世界が存在することに気付いたのは田舎での生活があったからだ。田舎で生活したことがなければ、きっと二つの世界に集約されることに気付かずに、自分も何も考えることなく無頓着な世界に染まりきっていたことだろう。
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次