短編集81(過去作品)
――そんなにデリケートにできているんだろうか?
という意識を持ち始めてから、自分の中でホットな部分とクールな部分の両面をそれぞれに意識するようになったのだ。
身体が反応する分、頭の反応が異様に鈍い時がある。感情を露にできない時もあり、それが自分に対する自信のなさに繋がったりする。欝状態への入り口とはそんな時ではないだろうか?
もちろん我に返った時に陥ることの多い欝状態、それだけに季節感を敏感に感じていたりする。秋晴れの中での夕焼け、入道雲の厚さや立体感などが、無性に虚しく感じられる。黄昏た気持ちとでも表現すればいいのだろうか、季節感を感じている時が一番自分で我に返れる時だったりする。
汗も掻く方である。一番それを感じるのは寝ている時、夏に限らず冬でも汗でぐっしょりとなったシャツが気持ち悪く、目が覚めてしまうことがある。
――絞ることのできる量――
とでもいうのだろうか。持っているとずっしりと重たさを感じる。
汗を掻いている時は得てして夢を見ている。恐い夢が多かったりするが、
――なぜ自分がそこにいるのか――
と起きてから感じる夢が多かった。きっと他人が見ていても、自分がそこにいる時間をただの通過点だとしか感じていないことだろう。いてもいなくとも同じ、まるで石ころのような存在を自分自身に感じてしまう。夢の中での自分が他人事だと思う証拠である。
――ドキドキしたい瞬間だって夢の中では思いのままだ――
と思うこともあるが、だからこそ夢を見ている自分が現実的な考えを忘れられないのかも知れない。主人公である自分と時々入れ替わっても意識がない。それは、そこが夢の中だと自分で分かっているからに他ならない。
富松は少しでも心に余裕がないとすべてのことに集中できなくなってしまう性格である。余裕というのは、気持ちの中にアイドリングの状態を持てるかということで、絶えず何かを考えていても、それが後ろ向きではないかと不安に思えてならない。
富松はいつも何かを考えているような性格である。数式が頭を回っていることが多かった小学生時代からのことで、自分だけなのだろうかと不安になったこともあったが、きっと他の人にも大なり小なりあるのかも知れない。きっと自覚のあるなしで、富松には自覚があるのだろう。
いいことなのだと思ってきた。今でもいいことだと思いたいのだが、そのことが今の自分の性格を形成してきた。何かを考えていることで、妥協を許すような性格に陥ってはいないだろうか。
――一生懸命にいろいろと考えているんだから、それでいいんだ――
と考えてしまって、考え方に進歩がない。
一歩踏み込んで考えなければならないことも、普段からいろいろ考えているつもりだという思いが邪魔をして、先を考えるということをしない。だから人からは、
「やつは悩んでばかりいて、いつになっても結論が出てこない」
ということになってしまう。
それは分かっているのだ。分かっていても一歩進んだ考え方のできない自分の性格が恨めしい。
仕事においてもそうだ。
自分が躁鬱症だということを分かっているため、どうしても躁状態の時に余計なことを考えてはいけないと思う反面、仕事のことで悩んでいる自分が情けなく感じる。
――何に一体悩んでいるんだ。俺は仕事人間が嫌いだったはずではないか――
と我に返ってみたりする。
普段から考えていることは仕事のこと、本当はそれ以外の趣味を考えたいのに、気がつけばいつも頭は仕事のことで一杯だ。
それは得てして会社を離れた時が多い。会社にいる時は、確かに追い立てられて余裕がなく、
――早く会社から離れたい――
と感じ、その日が曲がりなりにも終わると、安堵のためか、一気に疲れが吹き出してくる。
仕事が終わり帰途に着くと、表は完全に夜の街へと姿を変えていた。会社の近くには歓楽街があり、飲み屋のネオンサイン、さらに奥には風俗街の悩ましさをまざまざと見せつけられる。
――普通の精神状態だったらどうだろう?
欝状態の富松に、まわりのネオンサインなどまるで他人事だ。自分にまったく関係のない世界が広がっているだけで、艶めかしいと感じても、そこにいる人々は自分と違う次元の人たちなのだ。
同じ時間に存在しても、まったく人種が違う。世の中を二つに分けるとしたら、
――彼らのような人種と私のような人種――
に分けることも可能ではないだろうか。
「世の中って、結局二つに分けることって可能なんじゃないか?」
大学時代の会話だと記憶しているが、相手は大学の近くにアパートを借りていた友達である。なぜか最初に話しかけてきたのは彼の方で、その理由を後から訊ねると、
「後姿を見て、声を掛けたくなったんだ」
と質問に対する答えなのかと、何とも言えない気持ちにさせられた。
彼は理論立てて話を進めるのが好きだった。将来のことを考えるには現在を見る。現在を考えるには過去を見る。いわゆる時系列で物事を考えるタイプだったのだ。
それは富松にもよく分かる。それだけに話が合った。学生時代のように漠然とした不安が渦巻く中、そんな話ができる友達を持ち合い気持ちは強かった。
――漠然とした不安――
責任もなく、少々のことは何をしても許される大学時代、人間形成の時代と位置づけていたが、
――もしその間に形成されなければどうなるのだろう?
これも漠然とした不安である。時間にも精神的にも余裕があるために、考えなくてもいいことをついつい考えてしまって、それが余計な気苦労になってしまう。そのうちに自分が何で悩んでいるか分からなくなり、それを欝状態として片付けてしまうこともあった。
実際に大学時代に何度袋小路に迷い込んでしまったことだろう。いわゆる欝状態に似ているのだが、出口が見えてこないのだ。結局自分自身に妥協することで、その場を逃れている。それが許されるのも大学時代、そのまま解決させることができずに、忘却の彼方へと追いやっていたように思えた。
だがそれは間違いだった。忘れてしまったのではなく、何かの拍子に鍵が開いて出てきてしまう封印だったのだ。普段は封印の存在すら意識していないので、何の問題もないのだが、いざ何かあると思い出してしまう自分が最初は信じられなかった。
――二つの世界――
弱者と強者だという人もいる。勝ち組と負け組、同じようなことだが、少しニュアンスが違っている。勝ち組は要領のいい人、負け組は悪い人。そういう意味では富松は負け組なのだろう。
だが、だからといって悲観しているわけではない。負け組という言葉が嫌いではないし、勝ち組というのがピンと来ないところもあるからだ。勝ち組と言われる人たちを見ていると、皆脳天気でいい加減に見えてくる。自分が偏見の目で見ていることが分かっているからか、実際とはかなり開きがあるのかも知れない。
――口八丁手八丁――
そんな言葉がよく似合う。男女ともにそれほど隔たりのある喋り方をしないのも彼らの特徴だ。常に軽く、話題に奥深さを感じない。それだけに自分たちの出鼻をくじかれているようで、あまり気持ちのいいものではない。
彼らの輪の中に入れば、
――これほど楽しいものはない――
作品名:短編集81(過去作品) 作家名:森本晃次