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生と死のジレンマ

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――こんなに緊張したことなんてあったかな?
 考えてみれば、矢久保が何かショッキングなことがある時というのは、そのほとんどは他人から及ぼされることだった。
 そもそも最初に女性を知ったのだって、母親に無理やりに犯されたようなものだった。
 今では黒歴史として、本当は思い出したくもないことなのだろうが、この日だけは鮮明に思い出された。しかもまるで昨日のことのようにリアルな感覚でである。
 学校で彼が悪者になってしまった事件であっても、最初に考えたのは他のやつで、矢久保は巻き込まれたのだ。
 しかし、発案は別のやつでも、構想や計画はすべて矢久保の考えによるものだった。彼はそういう「悪知恵」もしっかり働く頭を持っていた。
 彼は、ずっとそれを自分によるものだと思っていた。母親に無理やりにされたのも、学校で首謀者にされてしまったのも、自分の性格にあると思ったが、それを変えようとは思わなかった。変えようと思っても変えられるものではないし、変えることが彼にとってどんなメリットがあるのか、自分でもよく分からなかったのだ。
 そのせいもあってか、彼には自分が自ら始めたことに対して、今度は他人事のように思えてしまうようになっていた。まったく逆な性格が感情に及ぼす内容は変わってしまっている。それを彼はウスウス気付いてはいたが、どうすることもできなかったが、敢えてそれを問題にしようとは思わなかった。それだけ彼は最初から何事も他人事のように考える性格だったのかも知れない。
 病室の扉は学校の教室のようにスライド式の木製扉になっている。そして上部がすりガラスになっていて、中は覗くことができないが、明かりが灯っていれば分かるので、次に扉の開く音がして足音が五,六歩近くになると、扉が開くのが分かっていた。
 矢久保は扉がゆっくりと締まる音が聞こえてから、すりガラスに注意を向けていると、果たして懐中電灯の明かりが微妙に揺れているのを見て、自分でも典子の足音に合わせて呼吸をした。すると、足音と自分の心音が同じリズムであることに気付き、ニンマリとした。
 今まで彼女に対しての計画を半信半疑で考えていて、どうしても他人事としてしか思えなかった自分に覚えていた苛立ちが、急に解消された気がした。その解消が安心感に繋がり、これから自分がしようとしていることですら、正当化されているかのように思えてきたのだ。
 足音が止まり、いよいよこの部屋に彼女が入ってくる。そんなシチュエーションを抱いた時の矢久保は、完全に有頂天になっていた。まだこれからが本番なのに、すべてが終わり、その結果は今想像していることであるかのように思え、現実と幻想を完全に混同していた。
 ただ、それでも息遣いは湿った空気に彩られ、抑制することはできないでいた。
 それに連動したかのように矢久保は、典子の暖かさも感じたような気がした。さらに、胸の鼓動も彼女からは感じなかった。その代わり共鳴しているように思えたことで、
「この部屋の空気は、俺を中心に回っているんだ」
 とさえ思えたくらいだった。
 その思いはまんざら勘違いでもなかったようだ。
 部屋に入ってきた典子はゆっくりと眠っていると思っている矢久保の顔を覗き込んだ。矢久保は最初に気付かれては元も子もないと思ったのか、必死に寝たふりをしていた。それを見て典子は安心したのか、わざと布団をはだけさせている足元の掛布団に手を掛けたその時だった。
「あれ?」
 典子はゆっくりと小声でそう答えた。
 矢久保が典子の手を取って掴みかかったからである。
 だが、典子のリアクションは本当に静かなものだった。
――これだったら、他の部屋にも聞こえたりは絶対にしないよな――
 と思えるほどで、これが彼女の持って生まれた性格なのかとも思った。
 最初から矢久保の計画を知っていて、それで驚きもしなかったのか、それとも病院という場所ということもあり、今までに似たようなことが何度もあり、その対応にも慣れているからだということであろうか、それとも、典子も矢久保への思いがあり、
「やっと来てくれた」
 という思いの表れだったのか、矢久保は頭を巡らせた。
 典子は、第一声のその後は、ほとんど吐息だけで、言葉を発することはなかった。
「やめてください」
 などとは言わない。
 若干抗うことはあったが、同意の元の行為に思えて仕方がない。最初の頃の矢久保はぎこちない手つきで、いかにもゴツゴツシタ男の手が乱暴に女体を扱っていたが、次第に状況に慣れてくると、彼の指先は繊細になっていった。まるで女性の指先を思わせるようなソフトなタッチは、典子を天国へといざなっているかのようだった。
 矢久保は調子に乗ってきて、少し荒々しさを示したが、その時、自分で思っているような行動に出られず、苛立っている自分に気が付いた。
――どういうことなんだ?
 典子はしばらく矢久保の繊細なソフトタッチに委ねられていたが、次第に身をよじるようになった。
 それが何を意味するのかすぐには分からなかったが、どうやら、典子にとってそのソフトなタッチは、
「物足りなさ」
 を示しているようだった。
 矢久保とすれば、自分が中途半端なことをしているとは思えない。一度攻撃に入ったらその手を緩めてはいけないということは分かっている。しかも、攻撃は単調であってはならず、波を作る必要がある。
 時間が掛かってしまえば、同じ力で攻撃しても、相手は緩くなったと感じるだろう。それは慣れを感じてくるからではないだろうか。
 さらに、波の中には第一波、第二波と、断続的に反復させなければならない。
 これは、軍隊で得た教育と経験によるものであった。
 世の中は、いよいよ欧米列強との戦争機運が高まっていて、
「欧米討つべし」
 と新聞などは書き立てている。
 民間の世論も一緒になって戦争を要望しているが、軍隊や政府の方が慎重であった。
 この病院を退院しても、今までの生活に戻ることは困難だろう。
 退院して少しくらいは家にいられるかも知れないが、またすぐ召集令状がやってくるのがオチであった。
「今の世の中、病気か怪我か、あるいは学生くらいしか徴兵を免れることなどできなくなるんだろうな」
 と、矢久保は予感していた。
 彼は異常性格を持っている分、先見の明という意味では他の連中よりも正確だったのかも知れない。
 そもそも、この時代自体が狂っているので、まともな神経で先を予想すれば、まず外れるのは必至であり、異常と言われる性格の方が線形の明に関してはあったかも知れない。
 確かに世の中は、予想すれば必ず当たるという人もいるだろうが、いくら政情をしっかりと把握している人間であっても、その先見が当たっているというわけではない。それだけ世の中というのは、何が起こるか分からないというわけである。
 狂ったこの世の中で、矢久保のような性格はどうなのだろうか? 先見の明があったとしても、それを公然と口にできない時代であり、下手をすれば憲兵に捕まえられて、拷問を負わされてしまう。尋常な世界であるわけもない。
 矢久保はそんなことを考えていると、この日の典子に対しての行為くらいは、何でもないことのように思えた。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次