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生と死のジレンマ

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 矢久保は何か悪さをする時や考える時、
――どうせこんな世の中なんだから――
 という思いが見え隠れする。
 それを自らの保身だと思っているとすれば、矢久保という男はそこで終わりだったのだろうが、そうではなかった。何か自分の中で探しているものがあるのだと言い聞かせていたに違いない。
 典子は矢久保に蹂躙されながら、どこか悦んでいるようだった。態度には出さないようにしていたが、身体の一部に力を入れると、典子も同じように力を入れてくる。
 考えてみれば、最初から呼吸のタイミングが同じだったということなのだから、気持ちは同じところにあったと思えたとしても、それは無理もないことであろう。
 二人の湿気た時間は、あっという間だったような気がした。
 それは矢久保よりもむしろ典子の方があっという間だったようだ。
――物足りない――
 という思いはすでになくなっていて、お互いに果てた身体を布団の上に投げ出して、生まれたままの姿になっているのを隠そうともせず、すでに羞恥の気持ちなど、二人の間にはなかったのだ。
 だが、矢久保は今度は、
――何かが違う――
 と感じたのだが、その感情の正体をすぐには分からなかった。
 だが、その正体が前に感じた、
――何かが違う――
 と感じたことであり、それがさらに、典子の中で、
「典子に羞恥の欠片も感じられなかった」
 ということであった。
 自分が起こした事件であったが、典子はそれを他言しなかった。矢久保も敢えて口留めすることもなく、
――典子がいうのであれば。それは仕方がない。覚悟を決めて実行したことだ――
 という思いと、まわりから聞いていた、
「典子は誰が相手でも言いなりになっている」
 という一見悪しきウワサを聞いていたからだった。
 だが、典子のことを教えてくれた人の話では、
「典ちゃんの恥じらいが、わしたちには最高なんだよ」
 と言っていたのを思い出し、その時自分が何かが違うと感じたその原因が、やっと
「羞恥の欠片もなかった」
 ということだったのだ。
「他の人と俺とでは違う」
 という感覚を持っていたためか、羞恥がなかったことで悔しいという思いはなかったが、そのおかげで何かの違いの何かをすぐに分かることができなかったのだろう。
 矢久保は一度典子を蹂躙したが、もう病院で何か事を起こそうとは思わなかった。これは典子を襲ってから気持ちが冷めたり萎えたというわけではなく、最初から一度キリだということを自分で感じていたからだった。
 この思いは最初から一貫して変わることはなく、退院するまで続いた。
 しかし、いざ退院してみると、今度は典子が恋しくてたまらなくなった。
 退院する時、典子は矢久保に対して寂しそうな表情をした。それは不安に感じるといってもいいかも知れない。
「何が不安なんだろう?」
 と思い、退院してから、しばらくは典子のことを忘れようと思っていた。
 退院してから典子のことを忘れようと思っていて、その感覚に慣れてきた頃、またしても矢久保に召集令状がやってきた。
 戦局はいよいよ厳しくなった昭和十九年、今度は南方である。
 だが、彼はまたしても病気に見舞われ。そのまま本土へ送還される。今度は前のような目でまわりは見てくれない。
「あいつは、お国のために死ぬこともできない兵隊なんだ」
 などという理不尽で身勝手なウワサを掛けられる。
――こっちだって好きで戦争に行っているわけでもないのに、戦争に行かない連中から好き勝手言われるなんて――
 と思っていた。
 だが、時代も時代、それに逆らってもどうなるものでもない。ストレスを抱えながら、またしても入院生活となった。
 また同じ病院へ収容され、そこで典子との再会となったが、典子はすっかり変わってしまっていて、矢久保に対して命令調な言い方になっていたのだ。
 ちょうどその頃、アリアナ諸島やサイパンが陥落し、本土空襲がそのリアルさを増してきたことで、銃後の生活もすっかりと変わっていたのだ。
 以前に感じた、
――兵隊にもいかないのに、好き勝手言いやがって――
 という状況ではなかったようだ。
 それを教えてくれたのが典子だったというのも。、皮肉なものであろう。
 防空訓練や、消火訓練、竹槍訓練と、重要なものや、
「本当に必要があるものなのか?」
 と思えるようなものの訓練もあり、入院患者もそれなりに
「自分の身は自分で守る」
 という意識を持たなければいけなくなっていた。
 矢久保が入院していた土地は、昭和二十年後半くらいになって、いよいよ空襲が本格化してきた。
 この話を最初としたのは、初めての空襲警報が鳴った時のことだったが、その時矢久保は典子と病室にいた。
 前のように襲ったりはもうしなかったが、二人は合意の上で、時々それぞれの性癖を貪るまるで二匹の野獣だった。
「痛い」
 という声が部屋に響く、その声は矢久保だった。
 もし、その部屋が和室で。障子にその影絵が写っていたとすれば、どんな光景が写し出されたことであろう。四つん這いになった男性に馬乗りになった女性、手には革製の鞭が持たれていて、背中をいたぶっている。
 男はまるで女のような声を上げ、悦びの声を上げている。
 女は男の背中しか見ていない。そこにくっきりと浮き上がったミミズ腫れを見て、ニヤニヤ笑っている姿はまるで耳元迄口元が裂けた魔女のような顔をしているようだった。
 日本にも昔からあったであろうSMの世界、しかし、圧倒的に残っている仕様は海外に多く、SMというと海外を思い浮かべるのも仕方のないことだろう。
「これでもか」
 と言わんばかりに女は責め立てる。
 しかし、その視線は一点しか抑えていない。それはきっと自分の中にあるSという正体に必死で抗っている自分がいるからではないだろうか。
 ただ、女はたまに、横を見ることがある。それは自分が襖に浮かび上がっているであろう影絵を見ているような気がしているからではないだろうか。
 鞭で打ち付けているが、実際にはそれほど痛いものではないらしい。
 しょせんそれぞれが「プレイ」なのだから、それなりの限界があるはずだ。
 限界がなければ、下手をすれば相手を殺害してしいまうかも知れないという危険性もはらんでいる。
「そういえば、そんな探偵小説を読んだこともあったな」
 と、矢久保は感じていた。
 矢久保は自分がMであるということを以前から知っていた。詳しくはいつからなのか断言できないが、心当たりがないわけではない。
――あるとすれば、以前入院した時、自分が典子を襲った時だ――
 と思った。
 あの時羞恥をほとんど感じなかったが。今から思えば、
――羞恥を感じないということが却って羞恥に対しての気持ちを掻き立てているためである――
 と感じた。
 では典子の方はどうだっただろう?
 彼女がいつの頃から自分がSだと感じていたのかというと、ハッキリとしない。典子に聞いても、
「分からない」
 というだけで、自分がいつからMを感じたのかということを説明しても、典子には感じるものはなかったようだ。
「じゃあ、まったく分かっていなかったのかな?」
 と聞くと、本人はどうやらそうでもないようだった。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次