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生と死のジレンマ

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 H県K市というと、後ろは連山、前は海という済むには限られた場所であったが、昔から貿易港として栄えていて、外国人の移民も多い、そんな中、海軍の造船場も近くにあるので、住民の居住都市としても、軍需都市としても、戦略爆撃には欠かせない標的だった。毎日のような空襲も致し方ないのだろうが、最初の頃のような混乱も収まってきて、被害は少しずつ減少傾向にあった。
 もっとも、都市の半分近くは焼失していて、建物疎開をするまでもなく、歯抜け状態になっているので、燃え広がることもさほどなくなっていた。しかも市民も空襲に慣れてきて、防空壕迄の避難も混乱なく行われているので、爆弾による直撃でもなければ、防空壕で何とかやり過ごすこともできた。
 それでも悲惨なのには変わりなく、学校の運動場などには、入り切れないほどの死体が置かれていて、火葬も間に合わないほどであった。それでも国は、
「一億総火の玉だ」
 などと寝言のようなことを言っている。
「竹槍やバケツリレーなど何の役に立つというのか」
 と言いたいのはやまやまだが、言ったら最後、憲兵に連れていかれて、拷問を受けるのを覚悟しなければならない。
 政府や軍が戦争にならないように努力していた時、戦争機運を煽ったのは、国民であり、マスコミだった。そういう意味でのマスコミの罪は重いだろう。しかも、選挙区が厳しくなってからは政府による報道管制が敷かれ、政府のいいなりの報道しかできないのだから、最大の先般はマスコミなのかも知れないという意見も、まんざら信憑性のないものとは言えないだろう。
 前述の昭和十五年に召集され、大きな負傷を負い、送還された男は、ちょうど、この土地に住んでいた。
 彼の名前は矢久保隆二という。
 彼は、その土地に生まれ育ったわけではないが、けがを負ってもう戦地に戻ることは困難となったので、この街に流れ着いて、海軍造船所で、軍需の仕事に従事していた。まだ不自由な身体だったので、通院は欠かさずに行っていたが、空襲が激しくなると、通院も軍需もままならなくなってきた。
 矢久保は一人で暮らしていたのだが、家族は田舎にいた。
「いつでも帰ってきてもいい」
 と言われていたが。帰る気はサラサラなかった。
 田舎に帰ったとしても、優しい言葉を掛けられることはない。この時、
「いつでも帰ってこい」
 というのはあくまでも社交辞令であり、矢久保が帰ってくるわけはないという思いがあるから、平気でそんな戯言が言えるのだ。
 帰ったら最後、隔離されるがごとく、外出もままならず、
「お前のようなハンパ者は世間様の笑いものだ」
 と言われるだけだった。
 さらに、身体が悪いと言っても、結局はこき使われる。
「どうせ、どこも痛くはないんだろう」
 と言われて、彼の人格はおろか、人間として扱われないに決まっている。
 矢久保はそんな環境の元に育った。
 高等小学校を出てから、中学に入ることもできず、働きに出された。いわゆる丁稚奉公のようなものである。
 時代は世界恐慌の時代で、田舎の暮らしでひどいところは、娘がいれば、娘を売らなければその日の生活もできなかったくらいの時代であった。矢久保のような男の子であれば、丁稚奉公に出されることも、倒れるまで働かされることもどこにでもある事例であった。
 特に矢久保家はその傾向が強く、両親ともに血も涙もないと言われるほどの性格で、その最たる例が、決してまわりを信じようとしないところであった。
「騙されるのは、騙される方が悪い」
 と言わんばかりで、
「騙されるくらいなら、騙した方がよっぽどいい」
 というほどに、モラルなどの欠片もない家族だったのだ。
 そんな家族に育てられたからなのか、家族の遺伝子をそのまま受け継いだのか、モラルという意味では矢久保もかなり欠如していた。
 子供の頃の趣味はというと、
「昆虫採集だ」
 と答えるだろう。
 珍しい昆虫や、綺麗な蝶々のような昆虫を集めてきて、生きたまま串刺しにして、箱の中に収める。彼の感性としては、綺麗なものも、グロテスクなものも、感覚としては同じだった。要するに、
「芸術的に演出して、綺麗なものはより綺麗に、グロテスクなものはよりグロテスクに仕上がれば、それでいいのだ」
 というものだった。
 小学生のクラスメイトは、皆そんな彼を気持ち悪がっていた。
「お前、どっかおかしいんじゃないか?」
 と言われていたが、矢久保はまわりからのどんな批判であっても、反論を唱えるようなことはしない。
 ただ言われたことを黙って聞くだけで、何を考えているのか分からないところが、まわりの人間に対して、
「何て気持ち悪いやつだ」
 と言わしめるだけだった。
 最初こそ彼は一人でこっそりと昆虫採集をしていたが、そのうちに教室の中でもやるようになった。それを見た生徒のほとんどは、ゾッとした気持ちになったことだろう。
 最初の頃こそ、皆自分たちの遊びに夢中で他人のことなど気にもしていなかったが、さすがに一人で籠って黙々と何かをしている様子を無視するのは難しくなった。
「何が気持ち悪いって、あいつは時々ニンマリとした表情になるんだ。その時の顔っていうと、まるで妖怪のように、耳元から口が裂けているように見えるくらいの恐ろしさなんだ」
 一言で言うと、
「道化師のようだ」
 と言った子がいたが、その言葉を聞いて皆。心の中で、
「そうだそうだ」
 と呟いたが、声に出した人はいなかった。
 声に出すことが恐ろしい。それほどの気持ち悪さをまさか皆小学生で味わうことになるなど思ってもみなかっただろう。
 気持ち悪がっていたのは生徒だけではない。先生のほとんども彼を気持ち悪がっていた。下手に説教などしようものなら、じっと黙って下を向いて聞いているが、説教している先生が言葉に詰まった瞬間、顔を挙げて、例のニンマリした表情を浮かべる。これほどの恐ろしさを先生も感じたことはなかっただろう。
「ぐっしょりと背中に汗が滲んだ」
 と言っていた先生もいたが、まさにその通りだと、他の先生も考えた。
 ただ、当時はそんなおかしな子も稀ではあったが、いるのはいたと言われている。動乱の時代であり、震災や強硬で参ってしまっている世情が生み出した悪魔のような子供、
「社会が悪い」
 という言葉だけで片づけられるものではないだろうが、少なくとも矢久保家の場合は、社会が生み出した環境に、持って生まれた親からの遺伝が影響してか、末恐ろしい悪魔のような子供が生まれたと言っても過言ではないかも知れない。
「俺って、いったい何なんだろう?」
 一度は自分のことをそう思う時が普通の人ならあるのだろうが、矢久保少年に限っていえば、そんなことはないのではないかと思われた。
 それほど彼は冷徹であり、冷酷であり、性格を表す時、「冷」という言葉が必ず入る人物なのだろう。
 そんな彼が思春期になった頃、父親は外地によく赴くようになり、家を空けることが多かった。そのおかげで彼の家は当時としては裕福な家庭として君臨できたのだが、相変わらず世間と打ち解けることもなく、アンモラルな家庭としてまわりからも相手にされていなかった。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次