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生と死のジレンマ

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「これはもちろん、究極の気持ちだから、他の誰にも言えないんだけどね。それだけ死ぬことと生きることとの間に境目は薄いものなんじゃないかって思うのよ。実際には生きている人間は死の世界を覗くことってできないでしょう? しかも一度死んだら、生き返ることはできないってね。だから、生死の間には、超えることのできない結界があるって思う。だから、自殺をしようとしても、なかなか叶わないし、自ら死を選ぶことは冒涜のように言われる文化があるのよ」
「でも、今の時代は、生と死の狭間には、そんな結界などないかのように思うでしょう? これって本当にそうなのかって、逆に私は思うの。『死んだら終わり』っていう発想は、本当に間違っていないのかって思うことが、死ぬことを冒涜だという発想と一緒に考えないといけないんじゃないかってね、そう感じたのよ」
「宗教では、輪廻という発想もあるようね」
「そうね、人間は死んでも生まれ変わることができるという発想よね。でも、そう思うからこそ、この世での行いにこだわるという宗教的な発想があるんでしょうね。逆にいうと、そういう発想がなければ生きてこれない時代があった。今のような最悪の時代とは別の意味での最悪さ、ひょっとして、本当に線で繋がっている過去なのかしらね?」
 彼女はなかなかいろいろ考えているようだ。
 典子は、人の死を嫌というほど見てきた。病院で死ぬ人も、戦争で死ぬ人も数えきれないほどだ。しかし、死をたくさん見れば見るほど分からなくなってしまう。
――病院で死ぬ人は、病気などで運悪く病気になって死ぬのだから、戦争で死ぬのとは違う――
 とも考えたが、
――死にたいと思う人などいないだろう――
 という発想では、戦争であれ、病気であれ同じものなのだ。
 病気で死ぬ人と、戦争で死ぬ人の違いは、自分がどうにかできるかできないかの違いでもあるだろう。病気の人であれば、結果的に死んだとしても、しっかり看病して、助かるように助力するものだが、爆弾や焼夷弾で即死したり焼け死んだりする人は、看護婦の典子にはどうすることもできない。
 それでも、助けられないということでの、やり切れない気持ちに違いはあるのだろうか?
 典子は最初、
「違いなどない」
 と思っていたが、次第に
「やっぱり違うんだ」
 と思うようになった。
 戦争で死ぬ人を見ることは、感覚がマヒしてしまうことに繋がると思うからだ。
 では、自分に関係のある人が死んだとして、その人がどうやって死んだのかということを考えた場合、違いはあるだろうか?
 典子にはないと思っている。自分に関係のある人が死んだ場合、大切であればあるほど、死というものを別世界のものだと思いたくなる。まるで他人事のように思うことで、典子は記憶を失ってしまったのにも、何か理由があると思っている。
 失った記憶もあれば、覚えている記憶もある。部分的な記憶喪失なのだろうが、突発的な記憶喪失ほど、原因は突発的なことではないかと思う。何かショックなことがあり、そのショックなできごとは、自分にとっていいことなのか、悪いことなのかを考えていた。
――記憶喪失って、夢と似ているような気がする――
 と典子は考えた。
 夢というのも、目が覚めるにしたがって忘れていくものである。典子の意識として感じているのは、
「楽しかったり、嬉しい夢ほど忘れてしまっていて、怖かったり覚えていたくない記憶ほど、覚えているものだ」
 というものであった。
 ということは、記憶を失ったものには、楽しかった記憶も含まれているのかも知れないと思う。覚えているのは、おかしな記憶ばかりだということも、その思いを裏付けているような気がするからだ。
 あの空襲警報の中で感じたのは、矢久保と話したドッペルゲンガーの話が印象的だったことである。
「もう一人の自分」
 この発想は、怖いものであるが、意識の中に確かにあった。
 矢久保の話を聞いたから、その感覚を持ったわけではなく以前からかんじていたことであった。
 典子は矢久保と話をしていて、自分のドッペルゲンガーを想像したが、もし、矢久保はその時、思いついたから話をしたわけではなく、自分のドッペルゲンガーを見たことで口にしたのかも知れない。
 ドッペルゲンガーは見ると死ぬと言われていて、、人に話そうがどうしようが関係はない。そういう意味で話をしたのだろうが、典子にはその話を聞いてしまったことで、矢久保は死ぬことになったと思っている。
 まだ、彼の死体が見つかったという話を聞いたことはない。捜索願は出ているが、こんな時代なので、行方不明者を見つけ出すのは、実に難しいことであろう。
 典子は、最近次第にあの日のことを思い出せそうな気がしていた。ただ、思い出すことは自分にとってよくないことのように思えてならないが、それが、
「私が矢久保さんを殺したのかも知れない」
 と思ったからだ、
 だが、それは最終的に矢久保自身が望んだことのように思えた。
「俺もそろそろ潮時なのかも知れないな」
 と、そう言った。
 何が潮時なのか分からないが、典子には彼の気持ちが分かった気がした。
――もし、私が潮時だと思ったとすれば、それは先輩との恋愛感情を抱いたことを、矢久保さんに看破された時かも知れないわ――
 典子は、矢久保とドッペルゲンガーの話をした時に、一緒に何か話をしたような気がした。
――そうだ、彼の最初の相手が、自分の母親だった――
 ということを聞かされた。
「禁断」
 という言葉をそのまま使える内容で、典子が先輩とレズの関係になったということを彷彿させられ、まるで矢久保に自分の心の奥の奥まで見透かされているような気分になり、怖くなったのを感じた。
「穴があったら入りたい」
 などという生易しいものでもなく、同じ穴でも、
「同じ穴のムジナ」
 だと言っていいだろう。
 典子はその時、急に恐ろしくなった。
 自分が自分ではなくなったような感覚になり、その前に聞いたドッペルゲンガーの話と頭の中が交差して、
「いるはずのないもう一人の自分を創造してしまったのかも知れない」
 と思ったのだ。
 その自分が、矢久保を殺した。
 殺された矢久保も、実はもう一人の矢久保であり、お互いに存在しないはずのものを葬ったという気持ちになったのだが、精神的には人を葬ったという意識を持ったため、そのショックで記憶を部分的に喪失したと考えてもいいだろう。
 記憶を喪失することが、まるで病気の抗体を作っているかのようで、時間が経てば、失った記憶も思い出せそうな気がしてきた。
 ただ、本当に思い出したいと思うかどうかは別であり、典子の中では、
「なるべくなら、思い出したくない」
 と思った。
 その理由は、思い出すことでそれまで自分の中で突き詰めたいと思うことが成就するような気がしたからだ。
――本当は成就させたいのに、成就することで失うことの方が多いような気がする。だから、記憶を失ったのではないか?
 という思いにもなっていた。
 典子の中では、記憶が戻ることで、永遠に抜けることのできないジレンマが、その後の自分に開けてしまうような気がしたのだ。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次