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生と死のジレンマ

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 ただ、矢久保はそうは思っていないようだった。果てた後の倦怠感を典子が嫌がっているなどということはまったく分かっていない。自分勝手な男に成り下がってしまっていることを理解できていないのだ。
 この日の会話は、半分記憶喪失になった典子だったが、忘れているわけではなかった。むしろ、ハッキリと覚えている。
 会話がなくなってお互いを貪るようになると、典子の身体はいつになく反応していた。
「ああ」
 矢久保も興奮が次第に強くなってくる。
 お互いに意識が薄れていく日艦隊がある。いつもそこで、
「このまま意識を失ってしまったりすれば、これ以上の快感はないのかも知れないわ」
 と感じるが、気を失うことはなかった。
 何と言っても時代がっこういう時代である。気を失ってしまったりして逃げ遅れるわけにはいかないと思ったからだった。
 この頃になると夜間爆撃も頻繁で、深夜だからと言って、安心できない場合もあったりする。おかげで寝不足の時もお互いにあるくらいで、特に看護婦の典子には辛い頃であった。
 典子と矢久保のどちらが快感を貪っていても冷静だったのかというと、典子の方だっただろう。
 快感というのは、男性よりも女性の方が数倍強いと言われているが、そのことを分かっているだけに、余計に典子は快感にすべてを委ねることはできないでいた。
 特に性癖が異常なお互いであるので、二人ともが深みに嵌ってしまうと、一歩街合えれば死に至ると言えなくもなかった。
 典子の場合は、Sであった。彼女が自分で感じているように、相手によって、SにもなればMにもなる。同じ相手に両方だって十分にいけるだけの自負もあった。
 そんな自分を顧みていると、目の前でM性を発揮している矢久保に対して、さらに苛めたくなってくる。自分が先輩にされて感じている感覚を自分が与えているのだと思うと、背筋がヒヤッとするほどの快感が襲ってくるのだ。
 男と女の違いはあるが、相手がオトコだという異なるものであれば、余計に興奮は深まっている。
――これが最初に私に襲い掛かってきたあの男なのか?
 と思うと、背筋に流れる一筋の汗が、まるでナメクジの這ったような気持ち悪さと快感のどちらを感じていいのか分からないという思いに至る。
「アメとムチ」
 という言葉があるが、自分が与えているものと、相手に与えられるものが、普通であれば、自分が与えるものがムチであり、相手からはアメが返されると感じるのだが、彼に関していえば、
「お互いにその両方を求め、与えている」
 と言える気がする。
 典子は矢久保を襲っている時、ふとした瞬間、
「目の前にいるのが、自分のような気がする」
 という思いに陥ることがあった。
 その時も彼の顔に浮かんだ自分の顔を見て、さっきのドッペルゲンガーという話を思い出した。
――私はこのまま死ぬのかしら?
 と思った瞬間、耳を右から左に抜けていくサイレンの音が響いているのを感じた。
「空襲警報だ」
 と、どこかから声が聞こえた。
 そしてすぐに爆発音とともに、耳が急に聞こえがよくなって、爆弾が落下する音さえ確認できるようになっていた。
 だが、二人の野獣はここでやめるわけにはいかなかった。どっちも顔を見合わせて覚悟を決めているようで、なぜかその顔に安心感をお互いに感じていたのだ。
 絶頂はすぐにやってきた。典子は脱力感から、遠くの方で逃げ惑う人の叫び声を聞きながら、自分が浮世離れしているような気持ちになった。自分が着ている服が長襦袢か羽織袴のような純日本風の衣装で、部屋の壁が真っ赤に見えるような気分さえしていた。
――まるで吉原か、玉ノ井のようだわ――
 と、昔からある遊郭を想像しているだが、もちろんそんなところに入った頃があるはずもない。
 まわりの壁が赤く見えたのは、きっと表が燃え盛っていることを無意識に想像していたからだろう。
――もうこのまま死んだっていいわ――
 なんて思ったりもしたが、それは絶頂に達した後の感情が強すぎたからに他ならない。
 我に返れば、
――どうしてあの時逃げなかったんだろう?
 と後悔するのだろうが、後悔すれば、それは死んでしまった後ということになるだろうから、おかしなものだった。
 それを想うと、なぜか噴き出したくなり、動かすのが億劫な身体をくねらせて、ただ笑いに興じていた。
「何がそんなにおかしいんだい?」
 矢久保もまわりのことなど知った風ではないと言った感じで、逃げようとはしない。このまま死んでもいいとでも思っているのだろうか?
「どうして逃げようとしないの?」
 と聞くと、
「どうせいつかは死ぬんだ。慌てて逃げたってしょうがない。今の世の中、死ぬのも地獄、生きていくのはもっと地獄なのかも知れないしな」
 と言った。
「逃げ回って、結局生き残っても、こんな世の中、ロクなことがないのは分かる気がするわ。でも、それなのに、どうしてみんな生きようとするのかしらね?」
「本能なんじゃないか? 自殺を試みる人だって、躊躇い傷をいくつも作ったりするだろう? 意外と死を覚悟している人の方が品掛かったりするものだよ」
「じゃあ、私たちも死なないかも知れないわね」
「ああ、そうだな」
 と言って、二人で笑みを浮かべた。
 しかし、さすがに身体が動くようになると、
「じゃあ、そろそろ俺たちも逃げようか?」
 と言って、矢久保はそそくさと衣服を着た。
 典子も同じように服を着て、必要なものだけを取って、表に出る。表は悲惨な状況になっていて、火は相変わらず燃え広がっているが、不思議なことにこのあたりまで押し寄せてくることはなかった。
 ただ、逃げる際中、典子の手を引いていたはずの矢久保の手が急に離れた。
「矢久保さん」
 急に手を離された典子はビックリした。
 お互いに手に汗を握っていたので、指が滑ったのかも知れないが、不思議なのは典子にとって、いつ彼の手が離れたのか、意識されていないということだった。
 その時、典子は今まで一緒にいたのが、本当に矢久保だったのかということも曖昧な気がしてきた。誰かと一緒にいたという意識はあるが、一緒にいた相手を忘れてしまったことで、急に命が惜しくなってきた自分を感じた。
――急いで防空壕の中に――
 という思いが強く、とにかく近くの防空壕に逃げ込んだ。
 矢久保とはぐれてしまった時の意識を思い出したのは、いつになってからのことだったか、その日の空襲で記憶に残っているのは、防空壕の中からのことだけであった。あの日、何かウキウキすることがあったことだけは覚えていたのだが、相手が矢久保だったと思っても、その意識がピンとこなかったのは事実だった。
 後から思い出したのは、終戦を迎えてのことだったのだが、あの時に矢久保とドッペルゲンガーの話をした記憶も一緒によみがえってきた。
――どうしてあの時、彼はそんな話をしたんだろう?
 典子はドッペルゲンガーを見ると死んでしまうという話があることを想い出した。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次