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生と死のジレンマ

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「ドッペルゲンガー?」
「ああ、これはね。もう一人の自分を見るという話になるんだけど、結構昔から言われていることで、古くは古代の神話にも残っている話らしい」
「もう一人の自分って、それは似た人という意味ではなく?」
「ああ、違うんだ。まったく同じ人間が、同じ時間に存在しているという意味なんだ」
「世の中には似た人が三人はいるというけど、あれはあくまでも似ている人というだけの意味なのね」
「そういうことだね」
「でも、そのドッペルゲンガーというのは、どういうものなんですか?」
「もう一人の自分を自分で見る場合もあれば、他の人が見る場合もある。だけど、言われていることとすれば、そのドッペルゲンガーを見てしまうと、見た人は皆死んでしまうということなんだ」
「まあ、恐ろしい。でも、それって単なる伝説なだけなんじゃない?」
 典子は本当に恐怖を感じているようで、話を都市伝説として終わらせたいとしているようだった。
「そうかも知れないけど、たくさんの有名人や著名人がドッペルゲンガーを目撃したと言って、実際にそのあとしばらくして亡くなっているんだ。当然表に出てきていない話もたくさんあるはずだって思うよ」
「他にはどんな特徴があるの?」
 典子は怖がってはいるが、興味もあるようだ。
「共通点としては、ドッペルゲンガー―は人と話をしない、そして、ドッペルゲンガーの現れる場所は、その本人の行動範囲でしかないということ、そして、ドッペルゲンガーは自分で扉を開けることができるなどということかな?」
「なるほど、何となく分かるような気がします。特に元の人間と行動範囲が一緒だということは、次元が違う人を見ていると言えるんじゃないかって思います」
「どういうことだい?」
「今いる私たちは三次元の世界に住んでいるでしょう? 一次元は線の世界、二次元は平面。三次元は立体、そして四次元はそこに時間という軸が絡んでくると言われていると私は思っているのよね。私たち三次元の人間には、一次元、二次元の世界に入ることはできないけど、見ることはできる。でも、四次元はあくまでも概念の世界というだけで見ることはできない。そういう意味でいくと、四次元という世界が創造できたのだとすれば、私たちからは四次元を見ることができないけど、四次元の人たちからは私たち三次元の人間や、二次元。一次元も見ることができるということよね」
「ということは、四次元の人間は見ることはできるけど、三次元という世界の理屈を解釈はできていないかも知れないということよね。だったら、三次元の人間にも、四次元に通じる何かがあってもいいかも知れないと言って創造したのが、ドッペルゲンガーという発想なんじゃないかってことかな?」
 という矢久保を見ながら典子は少し考えてから、
「若干、考えが違っているように思うんだけど、大筋としては同じなんじゃないかって思うわ」
「次元の違いで解釈するなら、ドッペルゲンガーだけでなく、石ころだって、暗黒星という創造物だって、同じ発想で解釈できるんじゃないのかな?」
「ええ、私はそう思う。その三つは共通点だけを見ていると、似た発想から生まれてきたように思うけど、実際にはまったく別物に思える。共通点というのは別次元というところに端を発していると思われるけど、四次元から三次元を見た時、まるで石ころだったり暗黒星のように見えているのに意識していないものだとすれば、ドッペルゲンガーも、同じように意識したことで、見たような気になっているというだけのことなのかも知れない。いや、逆に視界に入っているんだから意識していないことがおかしいという発想は成り立たないと思うと、見たということを自覚するには、特殊な能力が必要なのではないかと思う。その方がよほどドッペルゲンガーの存在を否定するよりも、信憑性が感じられるし、石ころや暗黒星の存在を肯定する材料にもあるんじゃないかって思うのよ」
 典子の発想は面白かった。
 その時の典子は自分の中に義兄の発想が埋め込まれているかのように思えた。確かに普段から義兄のようなSFチックな発想や、奇妙な話や、都市伝説に興味を持っていた。元々興味などなかったはずなのに、それはきっと義兄に遭わなくなってから気付いた自分の脅威本位な性格が影響しているに違いない。
 義兄が科学的な研究をしているのであれば、典子はそこから心理学的な発想をするようになっていた。だが、同じように心理学に造詣の深い人がこんなに近くにいるとは思わなかった。誰であろうそれこそが、矢久保だったのだ。
 彼の口からドッペルゲンガーという言葉を聞いた時は驚いた。典子はその言葉を知らなかったわけではない、知っていると言ってもよかったが、知らないということにして矢久保がドッペルゲンガーについて何を語るのか、聞いてみたかったのだ。
 彼の言っていることは、典子が理解している内容とさほど変わりはなかった。典子は矢久保が話したくらいのことは知っていたし、もっと深く理解しているという自負もある。「典子さんは、結構いろいろ詳しいんだね」
 と聞かれ、
「ええ、実は私の義兄が学者をしていて、その影響で私もいろいろお話を聞いたり、自分なりに本を読んだりとかはしたんですよ」
「なるほど、そうだったんだね? 僕の場合は自分の経験とそれによって気が付いた性癖について勉強しているうちに、心理学のような話に興味を持つようになってね」
 と矢久保は言った。
 さすがに自分の母親に無理やり犯されたなどという話はしなかったが、その経験から自分の性癖に気付いたとしても、それはありえることだった。典子も義兄がそばにいたことで自分の性癖に気付いた部分は多々あった。レズに走ったのも、そんな自分を先輩が見据えたからなのかも知れない。それを想うと、自分が矢久保と似ているところはたくさんあると思うのだった。
 典子が義兄のことを他人に対して口にしたことは今までになかった。本当ならこれほど有名な学者を義兄に持っていれば、自慢したくなるのも無理のないことのように思えるが、典子の場合はそうではなかった。
 むしり隠しておきたいと思った。
 それは典子の中にある一種のプライドのようなもので、典子はあくまでも褒められたりおだてられたりして喜ぶのは自分のことだと思っていた。まわりのいくら自分に近い人間であっても、その人は他人であり、手柄があったとしても、それは自分のものではない。そのことを必死で訴えているつもりでいたが、それが伝わることはなかった。心の中で自分という人間がそういう性格であると思われたくなかったからだ。
 二人の間で会話も途絶え、いよいよ相手の身体を貪る時間がやってきた。
 これはいつものことであり、前戯の前戯とでもいうべきか、会話が最初にあるのが二人の営みのオアターンであった。
 矢久保という男は果ててしまうと、他のオトコ同様に、憔悴感がハンパではなくなってしまう。
 一緒に果てることができたとしても。まだまだ余韻が残っている女の典子にとっては、アッサリとしてしまう彼とずっと身体を重ねていたくなかった。
 最初に会話をすることで、最後の感情を頭に持ってくる。それを典子は、前戯の前戯だと思っていたのだ。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次