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生と死のジレンマ

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 しかし、あの時の典子から、どうして女性が好きだという発想になったのだろうか? それを看破したのが女性であれば分からなくもないが、男性に看破されたというのは、実に不思議な感覚だった。
「でも、どうして分かったの?」
 と、典子は思い切って聞いてみた。
「君と最初に病院で身体を重ねた時から本当は分かっていたんだ」
 と、典子が想像した通りだった。
「あの時の俺は、自分が女性になったんじゃないかと思うほど、典子さん、君をまるで腫れ物に触るかのように接していたんだけど、そんな俺の腕を君は必死になって抱きしめようとしただろう? 君が処女だということはすぐに分かったけど、あんな態度を処女の女性がするとは思っていなかったので、僕も少し戸惑ったのさ。そんな時、君が俺に向けたその目は、優しくしてほしいというよりも、自分のすべてを見てほしいという風に見えたことで、オンナにだけ心を開いたことがあるんじゃないかって思ったんだ。もちろん、確証があったわけではない。あの時の感情は今思い出しても一種異様な感じがするんだよ」
 と答えた。
「私はあの時、あなたの指を正直、痛いと感じたんだけど、その痛さが次第に心地よくなっていったの。それで身を任せる決意ができて、委ねているうちに、意識が朦朧としてきた。まるで水の中に浮かんでいるような感覚だったんだけど、それは、赤ん坊が羊水に浸かっている時というのが、そんな時ではないかと思っていたの。でもね、その時に感じた臭いは、間違いなくあなたの臭いで、男性特有の臭いだったわ。若干のタバコ臭も感じたし、荒々しさもあった気がする。でも、本当にあなたに対してオトコというもののすべてを感じていたとすれば、私はきっと拒否していたと思うわ」
 典子はそう言って、虚空を見つめていた。
「俺はオンナというものが実際には分からない。今までに相手にしたオンナは何人かいたんだけど、それぞれまったく違った女性ばかりで、ただ快感に達する時だけは皆同じなんだ。俺が女を欲するというのは、最後には皆同じレベルになって俺を求めてくるからなんだ。もし違った反応をする女性がいるとすれば、俺は絶対に相手にしないと思うんだ」
「もし、そんな女性がいるとすれば、あなたには最初から分かると思う・」
「俺は分かると思っている。もちろん、オンナである以上、絶頂に達する時の行動は同じものだと思うんだ。男だって同じだと思う。でも、俺は男を相手にしたことがないので、その感覚が分からないんだ。でも君は女性を知っているんだろう? ということは、他の女性がどのような反応をするかということも分かる気がするんだ」
「言われてみればそうかも知れないわね。でも、私は彼女に対して。自分と同じところがあると正直感じたことがないの。実は、同じところがないかということを身体を求めあいながら感じていたんだけども、結局同じところは分からなかったのよ」
「それはきっと、君が同じになるその時に、自分も一緒に上り詰めているからなんじゃないかな? 男はオンナの快感を知ることで果てるんだけど、女性同士の場合はどうなんだろうね?」
「言われてみれば、私は彼女の快感で身もだえしている姿を見て、それが自分の快感に結びつくという感覚になったことはなかったわ。相手の快感が自分に結び付くというのは、相手が異性の時だけのことなんじゃないかって、今は思っている」
 典子が失った記憶というのは、断片的なところであって、本人に意識がないということで、ある意味、最初に気付いた矢久保は、典子と話をしていて、違和感を感じたところもあったに違いない。
 典子は最初はレズの相手と矢久保を比較するつもりがなかったが、矢久保の腕に抱かれている時、自分が何を意識しているのか定かではなかった。
――ひょっとするとこの時から、記憶の一部をなくしていたのかも知れない――
 と後になって典子は感じたが、典子はそれまで別のことを考えていた。
――私がレズだということを、矢久保さんに看破されたことで、それがショックで記憶を失ったのかも知れない――
 と思うようになっていた。
 典子の記憶の中でレズの先輩への意識は、記憶が繋がっていないという感覚はない。しかし矢久保との間のどこかに記憶が途切れているところを感じるのだ。典子にとって矢久保との再会がどういう意味を持つのか、実際に再会してみなければ分からないことだった。
 それ以上に、
「ただ、会いたい」
 という気持ちも強く、過去の記憶をわざわざ思い出す必要もないような気がした。
 戦争は終わり、もう防空壕に隠れる必要もない。ただ混乱の世の中で、いかにして生きていくかということが重要だった。
 看護婦という職業は、意外と潰しが聞いた。戦後の当初は病院もまともに運営できず、野戦病院のような感じだったが、復興が進んでくれば、慰労器具や医薬品も充実してくるというもので、そんな中、少しずつだが、記憶が戻ってくるような気がしたのは、気のせいだっただろうか。
 典子は、あの日のことを再度思い出していた。空襲警報の音が、右から左に高速で走り抜けている感覚があり、最後に消えていったあの感覚が、よみがえってくるのであった……。

                 生と死の狭間

 戦後の混乱で、バラックが立ち並んでいる場所では、瓦礫の下に何が埋まっているか分からないという場所もある。ひょっとすると、戦争中に、崩れた瓦礫の下敷きになって、火災に巻き込まれた人の骨が埋まっていることもあるだろう。増えた野犬がそのあたりをほじくり返して、死体が見つかったという話を聞くことも珍しくはなかった。
 矢久保と典子が最後に逢引きしていたその日の空襲は大規模なもので、数十機の爆撃機が上空に飛来し、爆弾や焼夷弾を雨あられと落としていった。
 現場では逃げ惑う人々でごった返していた。典子と矢久保はちょうど行為の真っ最中で、逃げ遅れたという感があった。
「火が回ったぞ」
 という声を遠くの方で聞いたような気がして、快感というだるさに身を任せる猶予などあるはずもなく、さっさと衣服を身にまとい、表に逃げ出した。
 防空壕まではそんなに距離はなかったのだが、何しろ表はパニックになっていて、逃げ惑う人に手をつないでいた二人は引き裂かれる形になった。
 防空壕に逃げてきたのは典子の方で、矢久保とははぐれてしまった。
「矢久保さーん」
 大声で叫んでみたが、あのパニックのさなかでは声も掻き消されてしまう。
 防空壕に向かうと、そこにはけが人も結構いて、看護婦という立場からも、防空壕に避難させていた医薬品を使って応急手当をした。
 しかし、あくまでも応急手当なので、完全によくなったわけではない。中には手術が必要なくらいの重病人もいたが、できることは限られていた。
 そんな状況に、典子は歯がゆい思いを感じていた。
――こんな状態でなかったら、助けられるのに――
 と感じていた。
 しかし、敵はこちらの全滅を狙っているかのように無差別な攻撃を仕掛けてくる。しょせん、一人がいくら頑張ったところでどうなるものでもない。早く攻撃を終えて、少なくとも爆弾が降ってこない状況になるのを待つしかなかった。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次