生と死のジレンマ
それまで典子の感覚として、レズビアンというと、女性ばかりを相手にする人だという思い込みがあったので、彼女が両刀であったということを知った時、ショックを受けた。だが、彼女と別れようという思いがあったわけではない。むしろ、もっと深く結びつきたいと思ったのだ。最初は相手からの無理やりであったが、気が付いてみると、自分の方が夢中になっていた。実はこれは先輩のフェロモンによるものであって、今まで先輩が「手を出した」女性のほとんどは、すぐに彼女に夢中になった。ただ一つの違いというと、典子が処女だったということだ。今までの彼女の相手に処女はおらず男性を知っていた。それゆえに操りやすいところがあったのだが、処女だった典子に対しては、それまで知らなかった処女が相手ということで、少なからずの興味をそそられた。気付かぬうちに彼女も典子の魅力に嵌っているようだったが、こんな関係は典子が学校を卒業するまで続いた。つまりは、先輩は自分が看護婦になってからでも典子の相手をしていたのである。さすがに二人とも就職して現場に出てしまうと、なかなか会う機会もなくなり、自然消滅のような形になったが、二人とも、
――変な別れをするくらいなら、自然消滅というのが一番よかったのかも知れない――
と思ったようだった。
典子は最初に先輩から言い寄られた時は、当然ビックリした。まだ処女なのに、最初の相手がオンナというのは、状況を考えただけで、想像できるようなことではなかったからだ。
――どうすればいいのかしら?
という戸惑いの中、基本的に相手は先輩、無碍に抵抗することは許されない。
彼女の愛撫を受けながら、身体が震えていた。
「可愛いわよ」
と耳元で囁かれると、典子は身体が宙に浮いているかのようだった。
典子は耳が性感帯であった。まるで魚がまな板の上で弾くように、彼女はビクッと反応した。それをまるで想定内といった表情で覗き込む先輩を見て、
――何て嫌らしいんだ――
と感じた。
しかし、それは嫌ではなかった。見つめられて身動きできない自分は、頭の中では義兄の愛撫を思い出しているという罪悪感で、顔が真っ赤になった。それを先輩がただの羞恥心だと思ってくれているのであればありがたいと思っていたが、愛撫が進むにつれて、それでは満足できない自分がいることに気が付いた。
――この場面で、私は何に満足したいというの?
そう思うと、何をもって満足というのか典子は分からなかった。
先輩の指は一番敏感な部分をまさぐり、爪でひっかくようにしてきた。
「あっ」
思わず反応してしまった自分に恥じらいを感じ、
――これがオンナなんだわ――
と感じた。
初めて感じたのではないことは、義兄の指を思い出せば分かることだが、明らかに義兄の指とは違っていた。義兄の指はがさつではあったが、決して刺激を高めるような行為をしなかった。それなのに、先輩は女性らしいソフトタッチな進行なのだが、ところどころでひっかいたり、つねったりと、刺激を最高潮に持っていこうとしている。どちらが男性的かと言われると、先輩の方だと思えてしまうくらいであった。
責めてくる強弱だけでその愛情を図り知ることはできないが、さすが女生徒いうべきか、典子の敏感な部分を的確に責めてくる。典子がしばらく先輩に溺れてしまったをいうのは、肉体に溺れたのはもちろんのこと、寂しいと思っている気持ちに巧みに入り込んできて、敏感にくすぐってきたからではないだろうか。
先輩は、典子の考えていることをよく看破する。
「そうだと思ったわ」
というのが口癖で、典子が言ったことを肯定するのではなく、自分から典子を見ての気持ちをいうと、それが当たっているという疑う余地のないものだった。
典子も先輩に、
「やられっぱなし」
というわけではない。
先輩の敏感な部分は、相手が分かるのと同じで自分にも分かる。そこを責めると、先輩はハスキーな声で鳴いた。
「あああんっ」
糸を引くような声を出すこともあれば、絶頂を隠すこともなく、隣近所に聞こえても構わないとばかりに遠慮の欠片のないことを出すこともある。
そのたびに典子も頭のてっぺんを快感が走り抜けるような気がした。
お互いに相手の身体を貪り始めると、最初は声を出すことはない。すすり泣くような声とシーツのこすれる音が混じってしまって、打ち消されるほどの小さなうめき声であったが、空気は完全に湿っていて、空気の湿りを感じるだけで、典子の身体からは快感が溢れてくるのだった。
敏感な部分に先に触れられると、思わず声が出る。それが声を立てていいのだという暗黙の了解になった。
一度声を上げてしまうと、そこから先は二匹のメスイヌの世界であり、文字にできないほどの淫靡な様子が、時間を感じさせずに繰り広げられる。すべてが終わったその後に訪れる憔悴感は、男性との行為では感じられるものではないだろう。
男性との一番の違いは、お互いに果ててしまっても、すぐに復活できることだ。しかも快感が残っている限り、半永久的に相手を求められる。しかも、どちらかが最初に疲れ切ってしまい、身体に触れられることすら嫌になるようなことはなかった。お互いを待たせることもなく、最高潮に至るまでの過程は、実に味わったことのあるものでなければ分からないとはまさにその通りであろう。
二人が自然消滅したというのも、そういう経緯から、お互いに分かっていたことなのかも知れない。今はまったく会っていないが、先輩が今もレズビアンの道の真っ只中にいるのか、それとも男性に身体を委ねているのか分からない。しかし一つ言えることとして、
――先輩には私以上の女性が現れることはない――
という思いを抱いているということだった。
だが、これは時間の経過とともに訪れる身体の変化には勝てない場合もあるので、典子が矢久保に感じた思うのように、彼女も男性に気持ちを移していたとしても、そこに何ら典子としての感情があるわけではなかった。
いったん関係が切れてしまえば、まったくの他人だと思えるのは、女同士という関係だったからなのか、それともこれが二人の性別という概念を超えた関係だといえるのか、考えれば考えるほど答えなどでないような気がした。
典子は看護婦になってから、いつも一人だった。看護婦仲間からは、どこかよそよそしい雰囲気で見られているようで、
「あの人、近寄りがたいわよね」
と言われていた。
「ただの暗さというわけではなく、人を寄せ付けない何かがあるんじゃないかしら? 過去に何かあったとか、そういうことなんじゃない?」
女性の噂話は、人が聞いていないと思うと、その限度を知らない。
もし聞かれては困ると思っているくせに、聞こえても無理のないところでウワサをするから厄介だ。典子も同僚看護婦がそんなウワサをしているのは知っていたし、それは別に意識もしなかった。
――別に彼女たちと一緒にいないから寂しいわけじゃない――
と考えると、どうしても頭をよぎるのは、レズの相手だった先輩看護婦の何とも言えない恍惚の表情だった。
明らかに自分が女役で、先輩が男役であった。