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生と死のジレンマ

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「ひょっとすると、研究者以外の平凡な頭で考えれば、この謎は案外簡単に解けるのかも知れない」
 と思ってみたこともあったが、すぐに打ち消した。
 それは科学者としてのプライドから、考えてはいけないことであったが、この考えこそが真理をついていて、この考えを掘り下げることができなかったことが、ロボット研究を難航させた一番の原因だった。
 人間であれば、いくら研究しても研究の行き着く先はある程度予想がつくというものだ。それがまったく予想もつかないのは、考えが間違っているという証拠になるのだが、それを認めてしまっては、学者としての尊厳にかかわり、それ以上研究が続けられない精神状態に陥ることを意味していた。実に大きなジレンマであった。
「ロボットというものは、次の世界の可能性を絶えず考えなければいけない」
 という理屈は分かっている。
 しかし、その可能性というのは、どう考えても無限の可能性なのだ。
 その中には自分たちにまったく関係のない可能性も含まれている。人間であれば瞬時に理解できることも、ロボットは必至に計算してしまう。可能性が無限なのだから、計算方法も無限にある。つまり、無限を少しでも凝縮して、狭い範囲での可能性を作り上げなければ、知能を作ることなど不可能だ。
「それでは、それぞれのパターンを組み込めばいいんjないか?」
 という発想に至ったとしよう。
 この発想だって簡単に思いつくことではない。後から話を聞いた分には、いとも簡単に思いついたように感じるが、そこに至るまでにも紆余曲折があった。
 この紆余曲折が可能性なのである。
 可能性というものはいくらパターン化して考えたとしても、可能性自体が無限にあるのだから、パターンも無限にあるはずである。結局、この発想も無理があった。
 これもすぐに思いつきそうな発想であるが、やはりここに至るまでにもいろいろな弊害を乗り越えてきて、最終的に行き場をなくしてしまい、和了となった。まるで将棋のようではないだろうか。
 この問題は、
「フレーム問題」
 として、未来までずっと、
「解き明かされない定理」
 として、ロボット工学の弊害となっていた。
 逆に言えば、この問題さえ解決できれば、人型の人工知能を持った人造人間の開発は一気に進むことだろう。それが進められないということは、それだけロボット開発は人類のさらに高みへ上がるための試練だということなのかも知れない。
 永遠に辿り着けない無限ループだとすれば、それはそれで理屈に適っているともいえるだろう。
 義兄は戦争中、完全に軍部によって身柄を拘束され、一種の監禁、いや隔離状態に置かれていた。研究という目標があったからまだよかったのであろうが、普通の精神状態であれば、気が狂っていたとしても、仕方のないことだったのかも知れない。
 他の国の学者の同じようなものだったことだろう。ロボット研究が進まないまま、同時期にいろいろな兵器研究が進められていた。
 毒ガスなどの化学兵器、ナパームや核兵器などの大量殺戮兵器などがそうであろう。
 結局、戦争は大量殺戮兵器や、都市への無差別爆撃によって終末を迎えることになったが、
「もしロボット工学の研究が最先端で開発に成功していたら?」
 と考えると恐ろしいものがある。
 ロボットや人造人間の登場する話で最初に浮かんでくるのが、
「フランケンシュタイン」
 の話である。
 このお話は、
「完璧な人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった博士の物語」
 と一言で言えばそういうことなのだが、要するに人間に対しての「保険」を掛けておかなければ、開発したロボットが暴発するかも知れないという発想である。
 これは、科学者であれば、誰でも感じることであり、特に医学や薬学の世界では、一番最初に考えなければいけない発想であろう。それというのは、
「副作用」
 の問題である。
 疫病が流行って、そのためのワクチンを作り出すのだが、実施に至っては、たくさんの臨床試験が重要になってくる。まず、その薬の対象の病気に対しての効果が一番大切であるが、それ以上に、
「他の病気を誘発させないか?」
 という問題が大きくのしかかってくる。
 それhがいわゆる、
「副作用」
 という問題なのだ。
 どんなに対象の病気に適格に効いたとしても、他の病気を誘発するようであれば、当然使えない。それはロボット開発についても言えることだ。
 ロボット開発は元々人間が行っていたことをロボットにさせることで、分業化という発想から生まれたものなので、そんなロボットが人間を襲ったりするというのは、本末転倒な話である。それをフランケンシュタインの話は警告しているのだ。
 当時の軍部は、そこまで考えていたのかどうか不明だったが、ロボット工学が他の兵器に比べて進んでいないことへの苛立ちを覚えていたのは事実だった。
 実際に戦局が悪化していった時、
「ロボット工学のような研究に、今の状況で費用を掛けるというのは、どんなものでしょうか?」
 と軍部内で問題になっていた。
 しかし、上官の中には、
「こんな時だからこそ、他の国でも開発されていないロボット工学をわが国でいち早く開発できれば、起死回生を生むんじゃないのか?」
 という意見もあった。
 すでに悪化してきた戦局で、尋常な判断を下せる人もおらず、何が正しいのかも、行き着く先が見えていなかった。そんな状態なので、議論が分かれているものを無理に結論付けることもできず、結局そのままロボット研究は進められた。
 戦後になって米軍に押収されたロボット工学の資料としては、
「これは結構なところまで進んでいたんだな」
 と思わせるほどの研究がなされていたようだった。
 戦後彼らの一部はアメリカに連れていかれて、ロボット工学に従事させられる人もいたようだが、義兄はアメリカに徴収されることもなく、日本国に残っていた。
 義兄は日本でそれまでの研究を忘れるように言われ、一時期はアメリカ兵の監視下に置かれていたが、日本が民主国家になってからは、帝国大学で工学部で助教授として赴任したとのことであった。
 年齢的には無類の若さでの助教授に彼を天才として見る目もあったようだが、戦後の混乱の中で、次第に埋もれる存在になっていたのも仕方のないことだろう。
 そんな義兄と典子が再会したのは、戦後二年目のことだった。
 典子は兄の変わり果てた姿に、そして義兄も典子の変わり果てた姿にビックリしていたが、これも戦争があったかめだと思うと、無理もないことに思えた。それよりも再会できたことが奇跡に近いと思えるくらいで、素直にお互い嬉しかったに違いない。
 典子はこれまでに起こったことを義兄にほぼ飾ることなく話したが、義兄の方はそうもいかず、話せる範囲内で話をした。そして、
「俺は戦争中、政府機関での研究もあったので、あまり動きまわらない方がいいかも知れないので、ひょっとすると、どこかで姿を消すかも知れないが、その時は俺は死んだと思ってくれ」
 と言った。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次