生と死のジレンマ
典子には天性の能力が備わっていた。
一つがこの、
「持って生まれた自己防衛能力」
であり、もう一つは、
「自分が寄せ付ける人間が自分に危害を加えない相手」
というものであった。
もちろん、幼児の頃にそんな能力が分かるわけもなく、矢久保と知り合った頃にやっと気づき始めたというくらいであった。
もっとも典子がその能力に最初に気付くきっかけをくれた相手が矢久保であったということに間違いはなく、それだけ二人の出会いは少なくとも典子にとっては自分の運命の分岐点となるはずだった。
典子は義兄に悪戯されたことをここで記してもいいのだが、その内容となると、普通のSMのようなものではなかった。確かに異常性癖によってもたらされた関係ではあったが、義兄妹としての絆を深めたのも事実であった。
典子はこの時の経験を、ずっと忘れることはなかった。いつも思い出す時は、
――まるで昨日のことのよう――
という感覚で思い出すのであったが、矢久保と知り合ってからは、それまでの感覚とまったく違い、急にかなり昔のように感じられると思わせた。
一気に時代が進んでしまい、自分の感覚を追い越したのではないかと思えるほどで、その感情の犠牲になったのが、
「矢久保の記憶喪失」
なのではないかと思うようになっていた。
典子は義兄とのしばらくの間の、変態とも思える関係を「黒歴史」だとは思っていない。ただ思い出すタイミングがあり、思い出すのは大切なことだという意識を持っていることだった。
矢久保がどこへ行ったのか、典子には分からなかった。典子は義兄の愛情を黒歴史だとは思っていなかったが、悪いことだという意識はあった。しょうがないという意識の中で、悪いことも許されるという感覚はその頃の社会風紀から考えるとありえないことであり、その思いを人に知られようものなら、もう誰も相手にしてくれないことだろう。
平和な時と違った動乱の時期は、まわりにすがらなければ生きてはいけない時代だった。自分一人がいくら息巻いたとしても、大きな波に飲み込まれるか、吐き出されてしまって、這い上がることができなくなってしまうかもどちらかだ。そのためにも社会道徳の存在は絶対であり、社会通俗に逆らうことは生きていけないことを意味していた。
だが、当時の日本は自由志向も叫ばれていて、自由な文化が花開きかけた時代でもあった。だが、そんな悠長なことを言っていることができないほど、世界は急速に動いていた。社会風俗でも出る杭は打たれ、表に出すことのできない風習が蔓延っていた。義兄と典子の関係もそんな中での一つの出来事に過ぎなかったに違いない。
義兄は頭がよかった。当時、田舎から帝国大学に入学するなど、普通ならあり得ないことを、義兄は達成した。理系では地元でも天才ともてはやされ、
「いずれは博士だな」
と言われていたが、その第一歩として、帝国大学に進学することになった。
物理学を学んでいたが、一年生の頃から天才の片鱗は見えていて、学会でも論文が高い評価を受けたようだ。
世の中が戦争へとまっしぐらな中で、義兄の研究は、兵器開発に十分な役割を果たしていた。
義兄は自分の研究が兵器開発に利用されることを嫌っているわけではなかった。かといって、戦争に使われてその成果を軍から評価されても、別に嬉しいという気持ちではなかったようだ。
――義兄はまったく別の何かを見ているんだ――
と典子は感じていたが、それが何なのか分からない。
ただ、兵器のためであろうが、自分の研究に耐えず没頭している義兄は、軍や政府の利権に絡むことは一切なかったようだ。
「俺の研究が兵器に使われているのをどう思う?」
と、義兄は典子に聞いたことがあった。
その頃の典子は、まだ中学校に通っていて、兄に対しては足元にも及ばないが、頭がよかったのは間違いない。中学を卒業してからの進路を決めかねていたが、学校からは、
「君だったら、女学校への進学も十分に狙える」
と言ってもらえた。
典子の中学校から女学校へ進学する女生徒はそれほど多くなく、実際に合格できるだけの成績を取れる女生徒があまりいなかったというのも事実で、やはり女性が上位の学校に行くなど、この頃はあまり考えられることではなかった。
しかも、典子には何の目標もなかった。義兄のように、何かを研究しているわけでもなければ、それどころか、自分が得意な科目も認識しておらず、好きな科目もよく分からないというほどだった。要するに、勉強に対して興味がなかったのだ。
別に勉強が嫌いというわけではない。むしろ好きと言ってもいいほどだった。
だが、何か目標がなければ、成績も平均して人よりもいいというだけで、何かに特化しているわけではないので、先生の方も強く進学を推すことができない。
つまりは、どの学部を受験すればいいかということすら決められないのだ。だからと言って典子は優柔不断だというわけではない。好きな科目も自分では分かっているつもりだった。
だが、必ずしも、
「得意な科目が好きな科目だとは限らず、好きな科目が得意というわけでもない」
と言えた。
勉強を一生懸命にやっても、その成果が別のところで出てしまい、本来であれば成績がよくて褒められたい科目が中途半端な成績では、全体がいくらよく褒められたとしても、嬉しくもなんともないのであった。
そんな典子がそれから数年もしないうちに看護婦として働いているというのを想像できた人がどれほどいただろう。
「典子さんなら、平凡な生活で平凡な結婚をしているんじゃないかしら?」
と思っている人や、
「変な男に引っかかって、それまでの生活を棒に振っているかも知れないわね」
という人、それぞれのようだ。
別に二重人格というわけではなかったが、偏見の目で見られることが多かったのも事実で、それが典子には黒歴史だったと言ってもいいかも知れない。
研究者として一定の成果を上げ、社会的にもその名誉や尊厳が保証された義兄に比べれば、典子は普通の看護婦として、その人生でかなりの開きがついてしまった。それでも、
「義兄は義兄、私は私」
と言って、家族による兄妹差別を一蹴した典子は、中学を卒業とともに、家を出たのだった。
看護婦を通いながらなんとか生活していたが、病院で知り合った医者とねんごろになり、一時期、
「結婚するんじゃないか?」
とも言われていたが、典子の過去を調査した相手の家庭に反対され、結婚は叶わなかった。
医者と別れてから病院にもいられなくなり、、また放浪するようになったが、今度の病院では少し長くいられるようだった。
病院としては、それほど大きな方ではなかったが、近くに軍の施設があったり、そのわりに病院関係の施設が行き届いている環境ではなかったので、軍関係からの患者が多かったようだ。
中には外地から怪我をして戻されたけが人も多くいて、矢久保もその一人だったわけだが、入院施設も一応整っていたこともあって、入院患者はひっきりなしであった。それだけ人手がたくさん必要で、軍関係ということもあって、あまり秩序もよくないというウワサが立っていたこともあり、看護婦として定着する人は少なかった。