おその惣助物語(五話まで)
三話 惣助の病
六月。畑も出来上がり、家の夏窓を開けた頃である。惣助の家は土間の上に柱が何本かあり、天井は縄で組んだ木で骨組みを造って、茅を縛りつけただけの、なんということはない農家であった。窓には障子は無いので、そこから春夏は風が吹き込んで過ごしやすい。
しかし、もう日差しも強くなってきたある日のことだった。惣助は笠を忘れて畑に行き、たっぷりと日に当たってくたびれたところへ、畑からの帰りに少々雨に降られた。
それで体が冷えてしまったが、「少しくらい」と思って我慢してそのまま眠ってしまったので、起きてから大層な熱に苦しむことになってしまったのだ。
もちろん女房子供はおらず、家には他の誰も居ないため、惣助は一人、床の中でウンウン唸っていた。数日そうしているうちに腹はへるし、どんどん具合が悪くなる。村の者は「しばらく惣助さんを見かけねえけんども」と心配を始め、惣助が寄り合いにも来なかったので家を訪ねた。すると、ほとんど死にかけた様子の惣助が布団の中でぐったりとしていたので、慌てて医者に見せ、庄屋が惣助の家にも来た。
この村の庄屋はとても優しく、お上へも度々村人の貧しさを訴えて年貢の減免を願い出たりしていたので、村人から大層慕われていた。その日も庄屋の三右衛門は、村で年寄りが騒いでいるのを聴きつけ、わざわざ自分で惣助を見舞いに尋ねた。
三右衛門は、供の女中に何やら耳打ちをしてから戸口へ入る。部屋には惣助の看病のために村のお婆があてがってくれた孫娘も居て、ちょうど惣助に水を飲ませていた。
三右衛門が現れ、枕元へ歩いてきたのを見ると、惣助はびっくりして起き上がろうとする。
「さ、三右衛門様…すまねえだ、おら…」
「ああ、よいよい。起き上がらずとも。病人は寝ていなさい。しようのないことだ」
「そんだども、三右衛門様がきなすってくれたのに、すまねえで…」
「よいよい」
三右衛門は、今一度惣助をなだめて寝かせてから、ふうとため息を吐いた。
「雨に降られたと、爺たちから聞いた。…お前は普段から、あまりものも食わずに畑へ行く。それは“始末”という目で見れば、獲れたものを食いつぶすこともなく、よいことかもしれぬ。しかし、それだから少しのことでそんなに体を壊してしまうのだ。真面目もいいが、もう少し元気をつけなさい。これ、ここへ…」
三右衛門がそう言うと、後ろに居た女中が風呂敷を広げ出す。三右衛門は惣助のそばに居た娘をちょっと見て、「あまり方方で喋るでないぞ」と小声で言った。娘は何事かと、女中が差し出した品を見る。
風呂敷から出した包みの中には、鯵の干物が三匹と、大きな玉子焼き、それから白米の握り飯が入っていた。
「まあ!」
惣助の傍に居た娘は目を丸くして叫んた。惣助はぎょっとして、鯵と三右衛門をかわるがわるに見た。
庄屋も百姓の身と言えど、古くは武将に仕えた家なども多い。それより一段身分が低い農民にとってみれば、「庄屋様から頂き物をする」というのは、有難いことなのだ。
それに本来なれば、農民が卵や魚を食べることなど、この頃はほとんど無かった。「贅沢」として禁止する藩からの御触書もあったくらいである。だから三右衛門は、「喋るな」と釘を差したのだ。
惣助は普段から、「ええ大根がでったでえ、世話になっとるけえ」と、三右衛門に良い作物をよって寄越したし、賦役の時には二人分も三人分も働いたので、三右衛門は惣助を大事に思っていた。それに、みなしごとなってしまったまま一人で育ってきた惣助を、なんとか気遣ってやりたかったのだ。
もちろん、惣助はすぐには受け取らなかった。
「そんだらことしてもらっちゃ、いやどうも、庄屋さま…」
惣助はそう言って、頂けないと首を振る。その義理の堅い姿に、三右衛門はちょっと苦笑した。
「いやいや惣助、受け取ってもらわねば。儂も気が済まんのでな。早く力を付けなさい」
「ありがてえだ、ありがてえだ」
惣助はそう拝んでから包みを受け取った。世話役の娘が惣助に箸を渡す。
惣助は傍に居た娘にも玉子焼きなど分けてやりながら、はぐはぐと包みの中を食べ終え、鯵の干物は二尾残して、包みを元に戻した。
「ごっそになりやんして、こったらもの…あんがとうごぜえます」
まだどこか遠慮がちに三右衛門の顔を覗き込んでいた惣助に、三右衛門はうむと頷く。
「よし。これでよい。早く元気になるのだぞ。娘、お前はきぬ婆の孫のおみつかい?」
「え、庄屋さま」
「そうか、おみつ。惣助を頼んだぞ」
「お任せくだせえ」
「三右衛門さま、ありがとうごぜえますだ」
惣助の礼に、三右衛門は振り向いてにこっと笑っただけで行ってしまった。
作品名:おその惣助物語(五話まで) 作家名:桐生甘太郎