おその惣助物語(五話まで)
黒々とした硬い地面をえっちらおっちら鍬で掻き起こして、耕す、二十歳ほどの男があった。男は黙々と鍬を振り下ろして土を柔らかくし、時々汗を拭いながら満足そうに畑の出来具合を眺めた。男は細面にきりりとした目を持っていた。丸い鼻だけが目立つが、それがかえって愛嬌があって、背はさほど高くないが体が細く、女が寄ってこないのではないかとの心配はそれほどなさそうであった。
男は木綿もの一枚で擦り切れた小倉帯を締め、編みようの甘い藁草履を履いていた。
「よう。どうだい、土の具合は」
二十歳ほどの男が急いで振り返ると、畑と畑の間に少々高くなった道の上、四十ほどの白髪まじりの痩せこけた男が立っていた。こちらも木綿もの一枚で、それから菅笠をかぶっているところを見ると、どこかへ行ってきた農夫らしかった。鍬を持ったまま畑の男はぺこりと頭を下げ、愛想の良い笑みを返す。
「はあ、耕しとるだでえ、いい頃になるまでに、間に合わせなきゃなんねえだあ」
真面目で愛想の良いらしい男は、鼻を気にするように、指で忙しなく掻いていた。
「そうけえ。まあおめえは仕事が真面目だからよ、心配はしてねえけんど」
そう言ってから四十男は畑の端に一足だけ踏み入ると、顔の横に手のひらを寄せて声を低くする。
「他に手伝ってくれるもんもねえでよ、早く惣助が嫁さんもらわねえかって相談で、婆さんたちが話込んでっから、教えに来ただよ。惚れてるあまっこがいたら、白状しちまわねえとなあ」
そう言って四十男は面白そうに口元を押さえて、にひひと笑った。それを見て「惣助」と呼ばれた男は顔を真っ赤にすると、急にちっちゃくなってうつむいてしまい、「そ、そげなこと、おら…」、と困ってしまった。
真面目と愛嬌にくわえて、惣助はどうやら初心なところが抜けきっていないらしい。そんな惣助の様子を見て四十男は嬉しそうににたにた笑いながら、「ほんじゃあ、またなあ。忠告はしたでえ」と勝手気ままに帰って行った。
広い畑にぽつんと残された惣助は、四十男の言ったことをいつまでも気にするように鍬の柄をもじもじと揉み続け、まだ顔を赤くしていた。顔は下を向いていたが、その目はどこか思い出の中を見ているように定まらなかった。
「そげなこと…」
それから惣助はしばらく鍬の柄を揉むのに夢中になっていたが、はっと気を取り直して鍬を握り直すと、また一心不乱に畑仕事に取り掛かった。
まだあまり陽も暖かくない初春の田舎空に、土を掘り返すざっくざっくという音、草鞋がざりっと土を踏みしめる音がしていた。
惣助は、あの「六つの子」であった。父や母は、自分に食べ物を用意してやるために田んぼを捨て、余っていたわずかな土地で畑を始めて、それからすぐに父が病に罹った。長く床に臥せったままの後、父は助からずに亡くなってしまい、長い看病と働き続けの生活にくたびれていた母も後を追うように亡くなった。
その時すでに十四になっていた惣助は、たった一人で畑仕事を始めたが、母がよく教えてくれたことをきちんと守り、なかなかに評判のよい品を納めることが出来ていた。
村中でも惣助をみんな可愛がってくれ、惣助の暮らしがどうにもならない時には、庄屋でさえも胸を痛めた。素直で働き者の惣助は、今ではいっぱしの良き農夫だった。
この話は、江戸に幕府が開いていくらかしか経たない頃の下総に住まう、ちっぽけな農夫と、村娘の話である。
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作品名:おその惣助物語(五話まで) 作家名:桐生甘太郎