おその惣助物語(五話まで)
おそのが「もう落ち着いたし、大丈夫だ」と言うと惣助は手を放したが、「大丈夫け?帰れるけ?」とおそのを家に入れようとした。
すると、今度は手を引いても、肩を押しても、おそのの方が動かない。びたっと足を地面に吸いつけたようになってしまったので、惣助はわけを聞こうとした。
「どしたぁ?うちでなんかやだくなるげなことあったけ?」
おそのは少しだけ戸惑った。でも惣助は極端に恥ずかしがり屋だし、噂話を好かない男だったので、惣助に話すことには、あまり抵抗はなかった。だが、「誰にも言わねえでな…」と言って、今晩の染二郎の様子を話した。
一つ一つ、惣助は「うん、ん」と相槌を打ちながら、さして驚かずに、でも哀しそうな顔をして、話を聞き終えた。そしてこう言った。
「やっぱり、そうだったけな…」
「えっ?」
おそのは惣助の「やっぱり」という言葉に、「まさかもう染二郎のことは村中で噂になってるのか」と思い、焦った。
「誰かに…聞いたんだか…?」
おそのがそう聞くと惣助は首を振ったが、なぜ知っているのかを言わない。おそのは、「変だな」と思った。
確かに染二郎が家を空けがちになってから、まだひと月も経っていない。そろそろ噂が立ち始めるとは思っていたけど、よそから聞いたわけではないらしい。
「じゃ、なんで……」
その時、惣助がぎくりと身を震わせ、俯いて顔を隠すのをおそのは見た。それで、惣助がいつも陰から自分の様子を、自分の家を見ていたのではないかと、気づいてしまった。
「まさか、惣助さん…」
おそのの声色が疑いを滲ませると、惣助ははっと顔を上げて叫んだ。
「違う!違えだよおそのさん!おら、なんもしやしねえ!なんも思ってねえ!違えだ!」
惣助はそう言ってぶんぶんと首を振ったが、それでおそのは、惣助の心を見抜いた。だからかえって、不思議だと思っていたことが分かったのだ。
そうだ。惣助はさっき自分が首を吊って死のうとするのを止めてくれた。それに、「もう死なないか」と、泣きながら何度も自分に聞いた。それから、自分が落ち着くまで腕の中に置いていたし、今も親身になって話を聴いてくれている。
なぜそこまで気遣って一生懸命になってくれるのかが、おそのには不思議な気がしていた。でも、いつも陰から覗いているくらいに自分を想っていれば、それも自然なことだ。
しかも、惣助はそんなことは一言も言っていない。シラを切り、ただ通りかかっただけのように振る舞って、おそのに対して「なにも思っていない」と言っている。
惣助はおそのをたぶらかそうなどとは考えていないし、本当に、ただ助けたかっただけなのではないか。
おそのは脇を見ながらそう考えてから、もう一度惣助の顔を見た。
惣助は今度は、おそのに悪く思われたのが悔しくて悲しいのか、唇を噛み締めて泣き、ずっと小さく首を振っている。
おそのの胸の中で、何かがぷちんとはじけた。それはほんの小さなものだったけど、少しだけ、「今は惣助さんと一緒に居たい」と思った。
作品名:おその惣助物語(五話まで) 作家名:桐生甘太郎