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短編集80(過去作品)

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 これが現実だったらどうだろう? ひょっとして、現実の自分を見つめているもう一人の自分がいて、見つめている自分が誰かを垣間見ようとしているが、結局確認できないでいるかも知れない。もちろん、現実の自分は、そのどちらも確認できるすべなどなく、何事もなかったように話に夢中になっている。そんな光景が頭の中で交錯することもある。
 だがそれは一瞬のことだ。目が覚めてくるにしたがって夢を忘れていくように、何かをひらめいても、夢の世界に関係のあることは、すべて忘れていくようだ。
 利き腕の話をいつでも思い出している。今見ている夢自体が、まるで利き腕の話しのような感覚になりはしないだろうか?
 利き腕を気にしていると、もう一本の腕がおろそかになる。何か対になっているものは、必ずもう一方の存在を気にするものではないだろうか?
 対になっているもの、例えば男女の関係などどうだろう? 園部は今までに女性と恋愛をしたことがない。好きになった女性はたくさんいるが、告白をしたこともない。
 相手を見つめていれば、ひょっとして気付いてくれて、万に一つの可能性でもいいから自分を好きになってほしいと思う方だった。自分から積極的に動くことをしない。傷つくことが怖いのだ。
 傷つくことで自分が自分ではなくなってしまう。自分でなくなったら、すかさず夢の世界の自分にとって変わられる。夢の世界の自分はきっとまったく違う人間なのだ。まるで鏡のように正反対の人格を持っているかも知れない。
 それを園部は許さない。自分の世界を築き上げている小説世界。それもすべてがなくなってしまうような気がするからだ。
 だが、築き上げた小説世界が夢の世界を描くことで成り立っていたらどうだろう?
 今までにそんなことを考えたこともなかったのに、利き腕の話が頭にこびりついて離れなくなってから無性に考えるようになった。
――神秘的なものを追いかけてみたい――
 本能が動き始めた気がする。神秘的なもの、それを考えると浮かんでくるのは、女性というものだけだった。
――どうして今まで気付かなかったのだろう?
 気付いていたが失うものの大きさを考えると、意識して女性を見ないようにしていたかも知れないが、気がつくと女性を見つめていたりする。それも相手に睨み返されて気付くのだ。何とも情けなさを感じる。
 佐竹氏が面白いことを言っていた。
「江崎省吾という作家は、本当はいないじゃないかな? それぞれ読む人の願望によって作品を読み込んでしまうことで、存在できる作家のような気がするんだ。彼の話を読んでいると、私など、いつも女のイメージが付きまとうんだ」
 言われてハッとした。今までどうしてそのことに気付かなかったのだろう。彼の作品には、どこか女性的なところがある。女性というと、弱々しいイメージがある。しかし、考えてみれば陰湿な部分も女ならではではないだろうか? 無意識にそれを感じていたから、恋人がほしいと思っても、自分から行くことができないでいる。それが園部という人間の本質なのかも知れない。
 今までは作家としての自分しか見てこなかったが、人間としての自分を見つめなかったのは、見つめるのが怖かったからだ。見つめてしまうと、作家としての自分を否定してしまう気がしてならない。
 園部が女性恐怖症だとすれば、それは母親に由来するものだろう。親離れができていないと人に言わせれば、そういうことになるだろう。だが、何もかもを否定されて育ってきた園部にとって母親は、絶対的な存在だった。高校生くらいになって、言わなくてもいいのに、親戚のおじさんに教えられたことには、
「お前のお母さんは、男と浮気しているんだ」
 と言われた。確かにそれは事実で、それを知った時の園部は驚愕でしばらく口が聞けなくなったほどである。しかし、それも元を正せば父親の浮気、まぁ母親の性格を見ればどっちが悪いとも言いがたいところがあるが、少なくとも最初に母親の話を聞いたことで驚愕を受け、激しく憎んだのが母だった。汚らしいものに見え、
――いつも自分を罵倒するのは、そのストレスのはけ口を求めたからなんだ――
 という思いを強く持った。それがそのままトラウマとなり、いつのまにか、女性というものを一匹の動物としてしか見なくなった。だが心の中で「神秘的なもの」という感情を捨てきれず、それが恐怖症となって逆の効果に現れたように思えて仕方がない。
 そんな時に出会ったのが、江崎省吾という作家の本だった。なまじ恋愛小説など読んだとしても、中途半端な感情しか浮かんでくるはずはない。刺激的な中に恋愛感情の歪みのようなものを感じられる江崎省吾の作品に陶酔していったのだ。
 自分が小説家になろうと思ったきっかけは、もちろん江崎省吾のような作品を書きたいからだが、同時に母親の存在も消したかったのだ。だが、消し去ることができずに、却って自分の作品の中で永遠に命を与えてしまったようで、時々、無性に情けなくなる自分を抑えることができないでいる。それが時々、
――自分はある日を境に、一日を彷徨っているのでは――
 と思えてならない。
 夢の中で出会う女性がいつも同じなのも気になっていたし、そのたびにずっと以前から知っていたと思える。
「好きな女性ができると、以前から知り合いだったように思えてくるものだよ」
 と言っていた友達の話を思い出した。園部は彼女が好きなのだろうか? 好きだという意識が不思議と湧いてこない。懐かしさがあるにも関わらず、どこか冷たさを含んでいて、見つめられると、萎縮してしまう自分に気付く。
――母親のトラウマが抜けていないのだろうか?
 両親が離婚してもう十年が経った。母の浮気が噂になり始めて、両親の間には埋めることのできない溝が子供にも分かるほど大きくなっていた。
 思春期だった園部だが、離婚自体にそれほどのショックはなかった。男の立場が分かり始める年頃だったのか、
――これで父も楽になれるだろう。本当に好きな人とうまくできればいいんだ――
 そう感じた時、なぜか父親の背中が自分を見ているようで仕方がない。きっと園部が母親から苛まれているトラウマと同じようなものを持っているのだと感じたからだ。
 しかし、それが間違いだということをしばらくして知ることになる。離婚が成立して三ヵ月後、父の死を知らされた。自殺だった……。
――どうしてなんだ――
 あの時の父の背中が何かを訴えていたようで、それを分かってやれなかった自分が悔しい。きっと他の人では分からないことでも、あの瞬間の自分なら判ってやれたはず……。
 父の自殺に少なからずのショックを受けたが、本当のショックは、あの時の父親の背中に自分を見たことだった。
 時間が経てば少しずつ忘れていく。実際にしばらくして父の死のショックが和らいでくると、父の背中に自分を見たことも忘れがちになっていく。だが、忘れていくことで、却って心の奥深くにトラウマとして残ることになるのだ。
 月明かりの海を思い浮かべる。そうすると、不思議と創作意欲が湧いてくるのだ。まるで自分が江崎省吾になったようだ。
「園部さんを見ていると、会ったこともない江崎省吾の姿を思い浮かべる時があるんですよね」
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次