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短編集80(過去作品)

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 と思わせるが、そんなことは決してない。ミステリーのような緻密なストーリー性と、浮かんでくる発想とがうまく繋がってこないのだ。悔しいが江崎省吾にはそれがある、江崎省吾という作家に他の作家にない思い入れがあるのは、そのためだろう。
 緻密なストーリーさがあるわりに、発想のすごさを感じるのは、それだけ江崎省吾という作家がミステリアスなベールに包まれているからだろう。自分の世界を持っていて、誰にも犯すことのできないその世界は、垣間見ることも不可能なのだ。
 過去の話を多用し、時系列を操っているが、彼の操る時間に濃さを感じるのはなぜだろう。
 園部が夢をよく見る方だと思う。内容を覚えている夢もあるが頭が起きてくるにつれて忘れてしまう夢も少なくない。覚えている中で圧倒的に多いのが、大学時代を思い出す夢である。
 今から思えば、何も考えずに過ごしていた頃のように感じられる。だが、夢から覚めて思い出すのは、その頃に考えていたことである。結論めいたことの見つかるわけではない果てしなく漠然とした考えをずっと続けていた。夢から覚めると、頭の中は大学時代に戻っている。
 執筆をすることとは、自分の世界を作り、そこに入り込むことだ。夢の世界と似ている。
――夢の世界を表現できれば、さぞやすごい小説ができるだろうな――
 と何度思ったことか。
 夢の世界では必ず主人公は自分である。しかし、それは本当の自分ではない。本当の自分は夢を見ている自分なのだ。客観的に夢全体を見渡し、まるで映画鑑賞をしている観客になっている。
 どうして本当の自分だと分かるかというと、主人公としての自分の意識がまったくないからだ。
 例えば冷たいものを触って、
――冷たい――
 と感じるのは当然の意識である。だが、それは触ったものに自分の意志が働いていないからではないだろうか。
 右手がとても冷たく、左手が暖かかったとしよう。両手を合わせると、どちらをより感じるだろう? どちらかに気持ちを集中させたとしても、結局どちらを感じるか分からなくなってしまう。
 きっと平衡感覚を保とうという気持ちが無意識に働くのだろう。冷たかったから暖かさを求めてしまう。熱いから冷たさを求めてしまう。それぞれの指で同じことを同じ瞬間に考えることができるのだろうか。
 それは夢の世界にも通じることだ。夢とはいえ、同じ時間に同じ人間が存在していることを許せない。
 園部は自分が作家のくせに、夢を見ていても、実際にありえることしか信じられない性格である。
――絶対に人間にできないことは夢であってもできない――
 それができるのは、小説の中だけなのだ。だから、小説を書くことができるようになったのだろう。自分の中で夢というものの存在が大きくなり、夢を思い出すことができるようになったので、小説が書けるようになった。執筆と夢は密接に繋がっていることを、書けるようになって初めて気付いた。
 しかし、相変わらず、思い出せない夢が多い。それだけ、現実離れしたものが多かったのだろう。自分が信じられる夢以外は、覚める瞬間に忘れていくのだ。
 それでも、夢を見ている自分と、主人公の自分の二人がいることに気付いてからは、夢を覚えていることも多くなった。現実離れしたものを夢だと思っていた頃が懐かしい。
 園部の小説には、「夢」、「時間を使った空間」という考え方が、いくつも盛り込まれている。それがテーマともいうべきものと結びついて、一つのジャンルを形成している。
「園部さんの作品のジャンルは、これまた分かりにくいですね」
 佐竹から言われたことがあった。説明するのに、熱い手と冷たい手を合わせる話を例に出したが、本当に分かってくれただろうか? 話している本人ですらイメージを浮かべながら話しているのだから、聞く方にはなかなか伝わりにくいものである。
「自分のジャンルというものが確立していないと、小説家としてはやっていけないものなのかも知れませんね」
「私は自分で書けるほどの文才はないですが、いろいろな個性に出会える立場にいるんですよ。だから、個性を感じることで、より一層の発想を深めることができる。作家の先生とは逆の考えなのでしょうね」
 佐竹はそういって、一人納得している。
 だが、その気持ちは園部にも分かった。冷たい手と熱い手の気持ちをそれぞれ感じることができるのも立派な才能、それが佐竹にはあるのだ。人それぞれ見えている見えていないのいかんに関わらず、無意識に自分の才能に気付いているのかも知れない。
「文才はないが、音楽には少し造詣が深いんですよ。ピアノやギターを弾いたり、作曲をしたりもします」
「ほう、それはすごいじゃないですか。音楽ができる人って尊敬に値すると思うんです。同じ芸術家でも私などにはできないものを持っているからですね」
「それは何ですか?」
「人には皆利き腕というのがありますよね。私だったら右利きなんですけど、でも、音楽に造詣の深い方って、ピアノにしてもギターにしても、両方の手で違うことができるでしょう? それが私には信じられないんですよ」
 佐竹はニコニコしながら聞いている。
「ああ、そうですね。でも私も最初は全然だったですよ。子供の頃からピアノを習っていましたからね。苦にならなかったですよ。きっと慣れではないでしょうか?」
「そうでしょうか。私には絶対にできないような気がするんですよ」
 その気持ちに偽りはない。きっとできないだろう。それは性格的なものも影響しているように思う。
――できないものは、絶対にできない――
 まるで夢を見ている時の感覚だ。
 逆に夢を見ている時の方がその意識は強い。現実の世界に身を投じていると、
――ひょっとしてできるかも知れない――
 と思うことがある。希望や期待というものだ。夢の中では希望的観測は許されない。潜在意識の範囲では何でも見ることができるかも知れないが、夢の中では、潜在意識の枠外では絶対にありえない。夢というのはある意味、雁字搦めの世界なのだろう。
 夢の世界で、園部は佐竹と話をしていた。きっと音楽のことについての話だったように思う。まるで、さっきの話を先に夢で見たような気がする。佐竹から返ってくる言葉も予想の範疇だった。
 夢を見ている園部が、そんな二人を見つめている。遠くから近くから、まるでテレビカメラになったような気分だ。表情までハッキリと分かるのだが、そこまで覚えている夢も珍しい。後に同じようなシチュエーションを現実で味わうからに違いない。
 よく見ていると、誰かが二人をじっと見ているように思う。白熱した会話に集中している二人はそのことに気付いていない。表から見ている自分が気付いているだけなのだ。
――誰なんだろう?
 と思って垣間見るが、悲しいかな分からない。表から見ている自分は夢の参加者ではないのだ、だから相手を確認することができない。
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次