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短編集80(過去作品)

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 別れが多いと、自分が消えてなくなればいいとまで思うのだろうか?
 どちらかというと冷静に考えている武雄は、別れがあれば出会いがあると考える方だ。楽観的に考えることを冷静沈着だと言われるのなら、嬉しい限りである。熱しやすく冷めやすいと感じたことのない武雄は、子供の頃から、
――どうして皆そう思うんだろう? 思い悩むことだって多いのに――
 と感じていた。いろいろなことを考えていると、楽観的に考えることがまるで逃げの考えであるように思えて、自ら避けてしまうところがある。楽観的に考えれば楽なはずなのに、楽に考えてしまえばいざとなった時に、苦しみが倍増すると思えてならない。無意識な伏線である。
――皆、自分の前からいなくなる――
 それがどれほど辛いことか、今になって身に沁みている。
 子供の頃に感じたペットが死んだ時の悲しみが一番辛かったように思うくらいだ。いつも一人でいることの多かった子供時代、ペットだけが友達で話し相手だった。まわりにうまく立ち回る弟を見て、憎たらしいと思う反面、羨ましくもあった。
 それは当然というものだ。孤独を一番嫌っていたはずの武雄が、孤独を愛する人間というようにまわりから見られてしまうと、そうではないのに、そんな気分にさせられてしまう。それが辛いのだ。
 もし、自分が今も子供の頃のような性格だったら、弟や良子の気持ちが分かるかも知れない。しかし、高校生になった頃から結構まわりの女性が意識してくれ始めてから、性格が変わってしまったような錯覚に陥った。あくまでも錯覚である。そんなに簡単に性格が変わるはずもあるまい。分かっているくせにそう感じてしまっていた。
 ペットが死んだ時に流した涙も、祖父が死んだ時に流した涙も同じ涙なのに、覚えているのはペットが死んだ時のことだ。確かに家族にあまりいい気持ちを持っていない武雄だったが、同じ人間の死に対してよりペットに対しての思いの方が強かったのかと思うと、自分が情けなくなってくる。
 ある日、良子がフラリと帰ってきた。どこで何をしていたのか、かなりのやつれようである。初め見た時に、まさかそれが良子だとは思えなかったくらいだ。顔も痩せこけて、骨格から変わってしまったかと思えるほどであった。
「一体どうしたんだい?」
 彼女の顔を見て、そんなことを聞ける人が果たしているだろうか? 完全に憔悴しきっていて、完全に別人である。まるで魂を抜き取られたかのようで、この世のものとは思えない顔であった。
 良子はやっとの思いで帰り着き、三日間ほど死んだように眠っていたそうだ。とりあえず体力の消耗が激しいというだけで、どこにも怪我をしていないことから、安静と睡眠だけが薬となった。何度かお見舞いに行ったが、面会謝絶ということで門前払い。追い返す方も恐縮しかりだろう。しかし、一番話を聞きたいのは親に違いない。自分の親に感じたこともないような哀れみの気持ちを良子の親に感じていた。
 意識がしっかりしてきても、言動はどこかがおかしいようだ。実際に会って話をするのだが、最初は何がおかしいのか分からなかった。それがおかしなことのすべてだとは言い切れないが、話す中で分かってきたのが、
――どこかで記憶が飛んでいるようだ――
 ということである。記憶が飛んでいるために時系列がハッキリせず、話の辻褄が合わないのである。
 だがその中で一つ分かったことは、家を出た原因はどうやら弟に感化されたようだ。弟が家を出る前から二人は密かに付き合っていて、頃合いを見計らって良子が家を出るという計画が最初からできあがっていたようだ。
 それに誰も気付かなかったとは、それだけ二人がうまかったのか、まわりも予期していなかったのか、話はあまりにも衝撃的だった。特に武雄には衝撃的で、なぜかというと、ひょっとして素振りがあったかも知れないと感じているからだ。
――良子がそれとなく暗示していた――
 と思えば思うほど、いろいろな場面が思い浮かんでくる。
 二人だけで話すことが増えたこと、それまでよく話題にしていた弟のことを一切話さなくなったこと。それはいなくなった弟を思う兄を思ってのことだと感じていたから無理もなかったが。やはり気付くのであれば、武雄しかいなかったはずである。
――良子と弟はどんな生活をしていたのだろう?
 それに関しても少しずつ分かってきた。
 小さなアパートを借りて、四畳半人生を過ごしていたようだ。まるで三十年前の新婚夫婦を思わせるではないか。二人に明日という希望はあったのだろうか?
 それにしても弟がそんな地味な生活を送れるなど信じられない。感化したのはむしろ良子の方ではないだろうか。そう考えれば先に行方をくらましたのが弟だったことの説明がつきそうな気がする。
 その間に武雄の頭の中に少し黄色い影が差し始めていたことに、我ながら気付いていた。鬱病に期間が少しずつ長くなっていき、それが普段の生活との差を縮めていった。決して同じになるはずはないが、それだけ欝状態でも違和感がなかった。
――こんな人生だってあるんだ――
 と思ったのは開き直りだと思っていたが、決してそれだけではなかった。弟と良子の生活を想像していると、まるで自分の頭の中にあったことが表に出てきているようで、不思議な気分に陥ってしまう。
 本当は真っ白だと眩しすぎるのだ。眩しすぎる人生なんて、そう長続きするわけがない。いつも無意識に最悪のことを考えている武雄にとって、欝状態というのは、頭を中和するための大切な時期なのかも知れない。
 風の便りに弟が死んだことを知った。人知れずに死んでいったという話だが、それを聞いて元々二人で暮らすことを考えていたはずの良子はあまりショックを受けていない。
――来るべき時がやってきた――
 という印象を受けたのかも知れない。
 武雄自身はそう感じている。人知れず死んでいった弟がいなくなったことは悲しいが、それよりも、最初から、死が近いことを分かっていたように思う。寿命だったと思える歳ではないはずなのに、ろうそくの炎が消えるのを目の前で見ているように、炎が小さくなっていくのが分かったのだ。
 暗い部屋の中でろうそくを見つめている雅夫と良子の姿が思い浮かぶ、それを部屋の入り口から見ている武雄。ろうそくの揺れる炎で表情が微妙に変わりつつあるのを見ていると、こわばった表情に恐ろしさしか感じない。
 弟の表情を見ていると、そこにいるのが自分であるような気がしてならない。
 そういえば昔夢で見たことを思い出した。夢とはすぐに忘れてしまうものだと思っていたが、実は忘れているのではなく、心の奥に封印されているものだ。それがふとした瞬間によみがえり、
――どこかで見たこと、感じたことがある――
 というデジャブーとして現れる。それを今実感しているように思う。
 部屋の中に座ってろうそくを見つめている武雄、そして部屋の入り口に佇んでいる男の人がシルエットに浮かんでいる。扉の外が明るいので顔まで確認することはできなかったが、夢の中ではそれを弟だと思っていた。その夢がいつ見たものか忘れてしまったが、今思い返せばそこにいたのは弟ではなく、現在の自分だったのだ。
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次