短編集80(過去作品)
甘いものを食べるという事実よりも、女性のために好きでもないものを食べるということが本人にも信じられないのだろう。言葉に出して言ってみたということは、自分の気持ちを分かってほしいという心積もりがあったに違いない。
なぜか最近武雄はそのことを思い出す。自分が女性のために何かをするという気分になれないからだ。完全に昔と変わってしまった。結婚しようと思っていた女性と結婚していれば、どんな人生を歩んでいるだろう。
――何だかんだ言っても最終的には同じところに戻ってくるんだろうな――
これが武雄の人生観である。自分の根本的な性格が変わらない限り、どんなに回り道をしても、最終的に落ち着く場所は同じだという考えは最初からあった。いろいろな発想が頭に浮かんでくるが、それも潜在意識があってこその発想なのだ。
「運命には逆らえないものさ」
と友達と話したことがあったが、落ち着く場所という観点から、自然に出てきた言葉であった。
最近の武雄は自分が義務感だけで生きているように思えてならない。何をするにも義務感が伴っている。仕事はもちろんのこと、食事やお風呂まですべてに義務感を感じるのだ。仕事と食事やお風呂とは少し違う義務感なのだろうが、義務感には変わりない。
――どうしてそんな考えになってしまうのだろう?
情けなくもあったが、今ではその理由も分かるような気がする。
何かに集中できる時間がないというのが一つの理由。時間に追われているというほど忙しいというわけでもないが、必要以上に時間を意識するようになっていた。
「時間がもったいないじゃないか」
子供の頃にいろいろ考えながら行動することが多かったため、迅速な行動が苦手だった。よく親から言われていたが、それも迅速な行動を示す弟と比較されてのことだった。そんな気持ちが見えていたので、弟や親に逆らいたくもなるというものだ。
わざとゆっくり行動して怒りを煽るような態度を取っていた。元々納得しないと行動する方ではなかったので、肉親だけに親にも気持ちが分かっていたのかも知れない。分かっていて敢えて文句をいうのだ。
弟もそのことは分かっていただろう。親に怒られている兄を見て、見ぬふりをしていたが、絶対に意識はしていたはずだ。
――まわりから意識されている――
そう感じると、さらに怒らせるような行動を取りたくなってしまう。天邪鬼なのだろうか?
考えが先に来てしまうと、行動がなかなか伴わない。優先順位をつける能力に欠けているのだろうと思っているが、間違いないだろう。最悪なことを思い浮かべてしまうと行動が取れなかったりする。小さな失敗を絶えず繰り返している人もいるのに、武雄の失敗はなぜか目立つのだ。大袈裟になってしまって、いつも失敗をしているように思われがちである。
――要領が悪いんだ――
決して自分が悪いとは思わない。どこかに原因があるのだろうが分からない。まわりの人は分かっていてわざと何も言わないように思える。
――教えてくれればいいのに――
だが、自分が相手の立場だったらどうだろう? 嫌われるのを覚悟で指摘するだろうか?
指摘する以前に、相手の目に萎縮してしまう。睨み返されるのがオチだと思うに違いない。
「同じ失敗を二度と繰り返さなければそれでいいんだ」
と言われる。しかし、それが一番のプレッシャーだ。もう二度と失敗は許されないと硬くなってしまう。普段なら気付くようなことも気付かずに、まわりが見えなくなってしまうだろう。だから考え込んでしまう。悪循環というものだ。
考える暇があったら行動すればいいのは自分も分かっている。考えていて先に進むものなら悩んだりしない。それだけに、要領という言葉が一番嫌いだった。
失敗を恐れて自分を表に出せなくなる。あれだけ喜怒哀楽が激しいと思っていた武雄の顔から表情が消えたようになってしまった。何度会社を辞めようと思ったか、その勇気もない自分がさらに情けなくなった。
そんな時に現れたのが、千尋だった。最初のなれなれしさにはウンザリするところもあったが、その中に決して引かない強情な顔が見え隠れしているのに気付いた時、相手が自分の気持ちを探っているのだと感じた。
今まで付き合った女性とは明らかに違っていた。結婚を考えた女性に対しては、
――もうこれほど愛する人は現れないだろう――
という気持ちを持ったままで、愛していると言えるどうか分からない千尋に対しての気持ちが次第に大きくなってくるのを感じていた。
――どこがいいのだろう?
顔を見るたびに感じる。
なれなれしさがあるわりには、冷静沈着な表情に「大人の女」を思わせる。仕事が終わってホッとした時にそばにいてほしいのは、千尋のような女性だったのかも知れない。
結婚を考えていた女性とはいつも喧嘩になっていた。思い切り頬をひっぱたいたこともあるし、腕には噛み付かれた跡がまだ残っている。
感情と感情のぶつかり合いだった。それだけ愛し合っていたということの裏返しでもあるが、燃え上がれば燃え上がるほど、だめだった時のギャップは激しい。もうそんな思いはしたくなかった。新しく女性と付き合いたいと思っても、どこか煮え切らないところがあったのはそれが原因である。
「あなたって、肝心なところで足踏みをするのね。私はこんなに待っているのに」
積極的な女性はそんなことを口にした。ドキッとさせられて背中に汗がぐっしょりと滲んでくるのを感じる。だが、そんな気持ちもすぐに収まってくる。自分が冷静沈着な人間であることを自覚し始めていたからだ。少々のことでドキッとしていては、冷静沈着が自分の生き方だと思えてきたことを否定することになる。ひいては自分の人生の否定にも繋がるのだ。
何もかも分かってくれる女性を捜し求めるようになった。
「お前を本当に好きになる女性は、間違いなく素敵な女性なんだろうな」
と言っていた友達の言葉を思い出す。素直に聞いていたが、今思えばそれだけ自分の性格が難しいということになる。
――甘えたいのかな?
何もかも分かってくれる女性はきっと甘えさせてくれるものだと信じて疑わなかった。最近の自分の生き方がかなり変わってきたことを感じる。千尋に出会うまでは、時間という網の中をくぐるように生活していたのだが、意識が少し変わってきた。確かに網のように張り巡らされているが、その一本一本をくぐることでしか見えてこないものがあることに気付いたのだ。
――一寸先は闇だというではないか――
闇だからこそ楽しいとも言える。先が何もかも見えていたら何が楽しいものか。減点方式の人生なんて真っ平ごめんだ。
――出会いがあって別れがある――
ありきたりな言葉だが、真理をついている。
だがそれも自分に自信がないとハッキリ口にして言うことができない。余裕がなくなるからだ。経験を積めばそれなりに自信となるはずなのだが、なかなか経験が自信に繋がってくれない。
――いろいろなことを考えてしまうからだろうか?
自信過剰なところもある。
「嘘でもいいから、自分に自信を持つことは大切なんだよ」
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次