小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集80(過去作品)

INDEX|19ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

「指定席というか、喫茶店という空間は、自分も含めたところで決まった光景を見たいと思ってくる時もあります。気持ちに余裕を持ちたいと思うことってありますよね」
「気持ちの余裕っていう言葉好きですね。私も気持ちの余裕を求めて喫茶店に来るんですよ。おいしいコーヒーを飲みながらまわりを見ていると、一番贅沢な時間を使っているような気になりますからね。
 余裕を持ちたいと思うのは心に隙間がある時だった。寂しくない時にわざわざ意識しなくともよかったからである。その隙間を埋めてくれるかも知れない女性の出現に、気持ちは色めきたった。
 その時一体何が寂しかったのだろう?
 周期的に躁鬱症が襲ってくる武雄、いつ頃から意識し始めたか忘れたが、気がつけばまわりにもやが掛かったように見える時期があった。黄砂のように薄っすらと黄色く、ウコンのようにハッキリとした黄色に感じることもある。精神状態が不安定な時はコーヒーを飲むと一番落ち着く、馴染みの喫茶店がほしいと思ったのもそれが原因で、見つけたのはマスターが気さくに話しかけてくれて気分が晴れたからだ。あの時マスターと話をしなければ、馴染みの喫茶店をほしがっていたという記憶すらなかったに違いない。
 この店は決しておしゃれな店というわけではない。綺麗な店ではないが、レトロな雰囲気は木目調の壁に現れている。座席もワイン色のソファーで、少し暗めである。それだけに年配の常連客が多い。常連の中では一番若いと思っていたが、千尋のような女性も常連にいるなど、思ってもみなかった。
 最初に馴染みの喫茶店にしようと思った店があった。その店は白壁に彩られた外観に、中に入っても白壁が基調だった。明るさを前面に押し出しているような店で、落ち着いた雰囲気というよりも、煌びやかだった。
 常連になろうかと思ったが、客のほとんどは大学生で、何度か通うと自分が場違いな雰囲気にあることを感じていたようだ。そのことに気付いた時、不思議なことに店は跡形もなく消えていた。まるで気持ちを見透かされたようだ。
「店の常連になるってのは、最初から意識するものではないのかも知れないですね」
 マスターと千尋を前に話したことがあった。
「それはいえるかも知れませんね。店の側から言わせると、常連になりたくて意識している人は雰囲気で分かるんですよ」
「そうなんですか? それは何か恥ずかしいですね」
 照れたように千尋が笑う。手は口に軽く持っていって、まるでお嬢さんのような雰囲気を漂わせている。
「いやいや心配しなくとも千尋さんにはそんな雰囲気ありませんでしたよ。実に自然ですた」
 武雄が見てもそう思う。露骨な態度は似合わないが、何かを醸し出す雰囲気は十分に持ち合わせている。
 静かな店を思い出していた。風の通りぬける音かと思うような耳鳴りが聞こえていた。空気が薄い時に感じる音のようである。空調の音だけが響いていて、決して狭くない空間全体が、密室の息苦しさを感じられた。
 学生時代によく利用していた図書館を思い出す。まわりの重苦しい雰囲気の中、果てしない空気が閉所を感じさせ、睡魔を誘う。
 目が覚めれば汗を掻いていて、間近に迫ったテストの勉強などまともにできていない。それがその後も夢となって現れる。まるでトラウマになったかのように……。
 冬になるとよく利用した図書館、帰りに寄ったおしるこ屋があった。喫茶店のように落ち着いた雰囲気ではないが、図書館のような静かなところからの帰りに食べる甘いしるこにも落ち着いた気持ちにさせられた。
 テストが終わっても図書館はよく利用した。本が好きだったので、近くにあった図書館には気分転換に行くことが多かったのだ。
 図書館にいる女の子が皆かわいく見えた時期があった。じっと机を睨んで勉強していると頭を上げた時、同じような姿勢で皆真剣に勉強している。そんな時目があった女性と知り合ったことがあった。
「おいしいおしるこ屋知ってるんだけど」
 これが口説き文句だった。気の利いた口説き文句を言えればいいのだろうが、なぜおしるこ屋が口から出たのか分からない。
「私、甘いもの好きなんです」
 これがきっかけで付き合い始めた女性とは数ヶ月続いた。しかし、付き合っている頃のことをほとんど覚えていない。最初に声を掛けた時に驚いて振り返った時の顔、今から思えば千尋と同じ顔だったように思える。
――どうして覚えていないのだろう?
 よく考えてみれば、それも分からないでもない。千尋と付き合いはじめて千尋が自分の中で次第に大きくなってくるのを感じる。千尋の出現で彼女とのことが過去になっていくに連れて、自分の中での彼女が千尋のイメージを大きくするのだ。決して忘れているわけではなく、千尋の中で大きくなって同化してしまうのだ。
 女性との付き合いとはそんなものかも知れない。身体だけが目的ならば、あまり細かいことを考えることもないだろう。だが、そんなことが自分にできるはずがない。好きになったから相手をいとおしむ気持ちで抱くのだ。決して欲求のためだけではない。
 一度結婚を真剣に考えた女性がいた。彼女は武雄よりも二つ年上、年齢的にも彼女が二十三歳だったこともあって、彼女自身の結婚願望が強かった。
 きっとその気持ちが男心をくすぐるのだろう。普段は清楚で落ち着いた雰囲気の持ち主だが。一旦こうと思えば引き下がることはない。強情な性格の裏側にある従順さが、いつも見え隠れしていた。
 結婚願望が強い女性がこれほど魅力的だとは思いもしなかった。
「結婚は男の墓場だ」
 と聞いていたが、それほどでもないと思っていた時期である。
 男にとって変わるものがあるとすれば女性である。女性の言葉の魔力というべきか、男が一番男らしくなれる時も、女性の言葉によるものなのかも知れない。
 しかし、まともに聞いていると疲れることもある。
「女は男に平気で嘘をつくからな。気をつけないとな」
 と友達との話にでたことがあった。武雄は人を疑うことの知らない男である。相手が女性であればなおさらで、相談されればしっかりと話を聞いてあげた。
 さすがに疲れを感じてきた。最初こそ男冥利に尽きるということで、話を聞くことを厭わなかったが、同じような話をされると聞く方のストレスも溜まってくる。
「この間もその話聞いたよ」
 といって、
「あ、ごめんなさい。じゃあ、違う話題にしましょう」
 といってくれればまだましで、
「そうだったかしら、でもまた聞いてほしいのよ」
 と話を初め、結局まったく同じ話だったことがあった。要するに彼女たちにとって話を聞いてくれれば誰でもいいのだ。他の人に話したと思った話だったのだろう。だからこそ平気でまた同じ話ができるのだ。
――結局、僕だけじゃないんだ――
 と感じることが情けなかった。
 だが結婚を考えた彼女は違った。弱いところが見え隠れしているが、芯はしっかりしている。男に愚痴を聞かせるなどプライドが許さないタイプである。武雄に甘えることはあっても、決して自分に甘えることはない。それが彼女の最大の魅力だった。
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次