短編集80(過去作品)
美佐子を見ていて安心感があったわけではない。自分よりももっと深い影を持った人だということを意識していたからだ。それがある意味自分に対しての安心感に繋がったのかも知れないが、
――美佐子を包み込むことができるのは自分だけだ――
という自負もある。
その日の夢は、美佐子の夢だった。そういえば、付き合いはじめて今までに美佐子の夢を見たことなどなかったように思う。見ていて覚えていないだけかも知れないが、その時に限って見ている意識があった。
母の夢はよく見ていた。追いかけても縮まらない距離、それが母との夢に対するイメージで、まさしくトラウマを夢で見ているも同然である。
「母が私を助けてくれたの」
美佐子の声が聞こえ、美佐子だと思った人が自分の母親に見えた。
「お母さん」
思わず声に出掛かったが、出さなくて正解だった。出さなかったというよりも出なかったのだが、よく見るとその人は自分の母親ではない。
血の気の引いた土色の顔には精気は見られない。ただ正面を凝視する視線だけが、冷たく感じられ、トボトボと当てもなく歩き続けているようだ。声を掛けられる雰囲気ではない。
着ている白い服が真っ赤に染まっている。顔まで赤いものがついていることから、容易ならない事態であることは想像できる。歩いてきた後ろを見つけると、そこには一人の男がうつ伏せになって倒れている。
動くことのない黒い物体、その横で震えている中学生の少女……、
ああ、なんと美佐子ではないか。
美佐子が母親に助けられた瞬間の夢を見ているんだとすぐに想像がついた。
思わず、目をそむけて後ろを見る。するとそこには美佐子が立っている。
「うっ」
声にならない声を上げたかと思うと、美佐子の表情が今目の前で見た母親の表情そのままであることに気付く。
いや、微妙に笑っているようにも見える。ゾッとするほどの妖艶さで、竜田を見ている。胸の感覚がなくなり、流れ出る血を止めることができないと悟ると、死というものを意識せざるおえなくなった。
美佐子は父親に蹂躙されたことを忘れていなかった。好きな男に抱かれることで本当は忘れるはずだったのだが、抱かれたことにより一つになり、竜田の過去を自らが見つめることによって、自分の進むべき道を見つけたのだ。
「あなたは、お母さんをどうしたの?」
そういうと、美佐子の顔が自分の母親の顔に変わっていく。
今は亡き母親、
「出て行かないでよ」
必死にすがる子供を払いのける母親に対し、最後にとった竜田の行動、それは竜田自身の中で永遠に封印されていた。好きになった美佐子という女性に思い出さされ、そして皮肉にも自らを罰することになる……。
「心中ですかね」
「いや、どちらかというと、女性の方からの無理心中の方が強いかも知れないぞ。男が自分で刺したようには見えないからな」
部屋に明かりが刺すと、白い手袋をしてコートを羽織った男たちが、惨状を冷静に見つめている。
長かった静寂を破るように、湿気を帯びた重たい空気が一気に開放された。そこには動くことのない男女が横たわっていたのだ。
( 完 )
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次