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短編集80(過去作品)

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 最初からあったはずの覚悟だったが、さすがに部屋に入るまで戸惑わせたに違いない。だが、暗い部屋に入って、感極まって唇を塞いだ時に、お互いの気持ちがひとつになったと感じたのか、美佐子は積極的に抱きついてきた。
 まるで恐さを忘れるかのように、何か払拭したいものがあったのか、美佐子は夢中だった。そんな美佐子を普段の彼女からは想像もできない。気持ちに余裕があって、毅然とした態度が印象的だったのが嘘のようだ。
 身体をくねらせるその姿は、まるで男性の侵入を今か今かと待ちわびているようで、部屋に入ってからの美佐子は終始妖艶な雰囲気を醸し出していた。
 そんな中で、一度だけ、処女を思わせる行動があった。
 最初に美佐子にシャワーを浴びさせて、その後に竜田が自分で浴びて戻ってきたのだが、ベッドの中で腕を畳むようにして胸を隠していた姿がいじらしかった。
 だが、竜田がベッドに入ると暖かさを求めるように抱きしめてくるのだが、完全に身体が抱きしめあった瞬間に、美佐子の身体に痙攣が走った。
――あれ? この期に及んで拒否?
 と思ったのは、竜田自身女性経験が少ないからだろう。少ない女性経験の中で、意外と冷静に状況を把握できているのは、想像したとおりの展開が繰り広げられているからに違いない。
 頑なな態度は、そのまま続くのかと思った。元々自分にも頑ななところがあると感じはじめていた竜田だっただけに、無理にこじ開けることが無意味なのは誰よりも分かっていることだ。
 しばらく様子を見るつもりだったが、痙攣は一瞬にして治まった。ゆっくりと震えが引いていくわけではなく、ピタッと止まったのだ。
 ピッタリと纏わりつくきめ細かい肌に暖かさを感じると、もう迷うことはない。思い切り抱きしめて、後はそのまま本能のままに任せるだけだった。
 もう、美佐子に抗いはなかった。もちろん、竜田も責める一方である。お互いの気持ちをむさぼるかのように強く抱きしめあっているうちに、お互いの身体を初めてだと思えなくなっていた。
 美佐子もそうだったに違いない。的確に竜田の望みどおりの行動に出てくれ、次第にそして一気に気持ちが高ぶっていった。
「ああ、あなただったのね?」
「何がだい?」
「いつも私の夢に出てきてくれていたのは」
 何と答えていいか分からなかったが、自然に出てきた言葉は、
「そうだよ」
 とだけだった。そこから先は言葉などいらない。お互いの気持ちを一つにするだけだった。
「いつもあなたのことを考えていたのかしら?」
 意味深だった。
 夢で出てきたといわれて嬉しかったのは、すべてが終わって、隣で寝息を立てている幸せそうな美佐子の顔を見た時までだった。夢を見ながら一瞬こわばった顔、そして起きてから言っていた。
 恐い夢、そして苦しい夢、決して掴めないものとは、竜田のことではないのだ。竜田と出会うまでは竜田の夢ばかりだったに違いない。そしてそれを意識していたことにさっき初めて気付いたのだろう。それだけに、満たされた気持ちが竜田を包み込むような快感に誘ってくれたに違いない。
 美佐子はどうだったのだろう。一つになって満たされた気分になると、何か忘れていた呪縛が新たに思い出され、夢となって現れたのかも知れない。竜田が母親に感じるようなものを美佐子も感じている。竜田にはそれが父親に対するもののような気がして仕方がないのだ。
――美佐子は何かに怯えている――
 そう感じたのは、お互い男女の仲になったことを悟ったからだ。
 男女の仲になったことのある女性は今までにもいた。自分の本能というよりも、捜し求めていた女性が見つかったと感じたからだが、それがことごとく勘違いだったことに気付いた時、自分は女性を愛することなどできないのではないかと感じるのだった。
 同じような気持ちの女性ばかりを好きになっているのだ。それが自分にとっての理想なのか、それとも好きな人を自分の理想だと思いたいのか分からない。しかし美佐子と出会ってからは、自分の理想だと思いたいことへの思い入れが招いたものだということに気付いた。
 何かに怯えている女性と愛し合ったこともあった。過去に暗い影を持っている女性がほとんどだったように思う。妖艶な雰囲気が醸し出す想い、それがいとおしさに繋がるものに違いない。
 怯えている女性を見ると、雨に濡れた舗装道路の横にヒッソリと震えながら雨宿りをしている子猫を思い浮かべてしまう。いきなりのヘッドライトに驚いて、そのまま道路に飛び出してしまう。そのあとの結末は想像するだけでも気持ち悪い。最後の怯えた顔が印象に残っているだけだ。
 ネコというイメージは、可愛らしさと何者にも影響を受けない大らかさとを兼ね備えた雰囲気である。イヌは人情に触れて影響を受けるが、ネコにはそんなことはない。
――イヌは人につき、猫は家につく――
 といわれるがまさしくその通りだ。
 人間の中にもネコのような人はいるものだ。いざとなれば自分が可愛い。それが悪いと誰が言えよう。その人に意識があるかどうかは分からないが、
――自分を大切にできない人が人の気持ちなど分かるわけがない――
 という考えの人もいる。
 竜田はどちらかというとそちらの考えだ。苦労を重ねた中で得た結論であれば、誰が非難できよう。経験から見つけた人生の選択肢であることは間違いない。それだけにネコのような雰囲気のある女性に影を感じる。
 しなやかな身体のラインが纏わりついてくるような女性をいかにもネコの雰囲気に見立てることは、無意識ながらにも今までにあったことだろう。
 その中でも美佐子には最初から意識してのネコを感じる。悦びの表情の中でも我慢の限界を超えた時の悦楽さは、今までの女性では感じられなかった。どこか淡白に思えるところも美佐子なら許せるのだ。
――彼女は男というものを知っている――
 さすがに初めての夜でそこまでは感じなかったが、毎日愛し合うようなこともなく、お互いに気持ちの高ぶりに任せているところがあるわりに、すぐ求めようとはしない。しかし、一旦重ねた身体はどこまでも熱く、とろけそうな身体の芯からこみ上げてくるものに身を委ねることを一番の快感だと思っている。
「私、少し変でしょ?」
「何がだい?」
「身体のライン……」
 何のことを言っているのか分からなかった。竜田自身、身体のラインの良し悪しが分かるほど経験があるわけでもないし、何よりもそんなことを気にするような女性に見えないだけに却って気になってしまった。
「気にならないよ」
 漠然と答えたがそれでよかったのだろうか? 彼女はいったい竜田にどのような答えを期待したのだろう。
「気にならないよ」
 というだけでは、
――君を特別な女性として見ているわけではないから、気にならない――
 と言っているようにも取られてしまう。本当は、
「自分はそんなことを気にする男性ではないんだ」
 ということを言いたかったのだが、彼女に伝わっただろうか?
「私、男性恐怖症なの」
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次